浜松県
浜松県(はままつけん、旧字体:濱松󠄁縣)は、1871年(明治4年)に遠江国一円を管轄するために設置された県。1876年(明治9年)静岡県に吸収合併され廃止。 現在の静岡県西部及び中部の一部にあたる。
統合への批判
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静岡県への編入後、明治政府に対して分県を求める運動が幾度も起こったが、いずれも却下されてしまった。なお、現在でも一部で「浜松vs静岡」の言葉が存在するが、これが由来であるとも言われている。
沿革
[編集]- 1871年(明治4年)11月15日 - 第1次府県再編により堀江県が廃止され、静岡県(旧静岡藩)のうち遠江国を編入し、遠江国一円に浜松県が発足。県庁は敷知郡浜松(現在の浜松市)に設置。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県再編により静岡県に合併。同日浜松県廃止。
管轄地域
[編集]- 遠江国一円
現行の自治体では以下に相当する。
歴代知事
[編集]- 1871年(明治4年)11月15日 - 1872年(明治5年)5月2日 : 権令・多久茂族(元佐賀藩家老、多久領主)
- 1871年(明治4年)12月3日 - 1872年(明治5年)7月27日 : 権参事・岩崎長武(元高知藩士)
- 1872年(明治5年)7月27日 - 1872年(明治5年)11月27日 : 参事・岩崎長武(前浜松県権参事)
- 1872年(明治5年)11月27日 - 1876年(明治9年)8月21日 : 県令・林厚徳(前額田県権令、元徳島藩士)
関連項目
[編集]先代 堀江県 静岡県の一部(遠江国) | 行政区の変遷 1871年 - 1876年 | 次代 静岡県 |