清川来吉
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
清川 来吉(きよかわ らいきち、1864年2月9日(元治元年1月2日[1])- 1957年(昭和32年)10月26日[1])は、日本の医師、政治家。初代鎌倉市長。広島県出身。
来歴
[編集]1884年、広島県立医学校(現広島大学医学部)卒業。その後、帝国医科大学(現東京大学医学部)選科で学び1888年、医師免状を授与される。同年伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)入所、細菌学の実施研究を行う。ままなく帰郷し広島県下に診療所を開設、また広島県医師会長を兼ねた。1889年、栃木県足尾病院副院長に就任。1891年、鎌倉雪ノ下に養生所を開設して鎌倉との繋がりが始まった。神奈川県師範学校の他、鎌倉の小学校の嘱託医となる。1900年神奈川県検疫官。1902年、鎌倉町小町に養生院(現・清川病院)を開設。1909年、鎌倉町町会議員に当選し医道から政道に転身。1917年、鎌倉町町長に初当選、以降再選留任を果たし長期に渡り町政を担う。町民多年の宿望であった市制施行に尽力、また史都鎌倉を永遠に遺すため、全市史跡地として指定すべく都市計画法施行に尽力。1939年、鎌倉の市制施行に伴い、初代鎌倉市長となった。1957年、半生を鎌倉のために尽くしその生涯を閉じた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会、1983年、1071頁。
- 『鎌倉市史』鎌倉市史編さん委員会、1990年、496~498頁。
外部リンク
[編集]
|
|