清野静男
清野静男 八段 | |
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名前 | 清野静男 |
生年月日 | 1922年8月14日 |
没年月日 | 1977年8月28日(55歳没) |
プロ入り年月日 | 1949年4月1日(26歳) |
棋士番号 | 47 |
出身地 | 新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市) |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 木村義雄十四世名人 |
弟子 | 土佐浩司 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 清野静男 |
順位戦最高クラス | B級1組(13期) |
2022年2月27日現在 |
清野 静男(せいの しずお、1922年8月14日 - 1977年8月28日)は、将棋棋士。新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)出身。木村義雄十四世名人門下。棋士番号47。
棋歴
[編集]1936年に木村義雄十四世名人門下に入門。1949年に三段で順位戦に参加しC級2組で全勝、翌1950年にC級1組昇級して六段に飛び級。四段の経験がないプロ棋士は、清野の他にはプロ編入時に五段の花村元司がいる。
1959年、第9期王将戦の二次予選で山田道美、坂口允彦に連勝し挑戦者決定リーグ入り。1965年、第6期(1965年前期)棋聖戦 決勝トーナメント出場。 1972年、新たに創設された第1回(1972年後期)早指し将棋選手権で予選を勝ち抜き、本戦トーナメントに出場。2回戦で原田泰夫に敗れた。
1974年に八段に昇段し「表彰感謝の日」には普及活動を表彰された。
1977年、第4回名将戦の予選・決勝で滝誠一郎に勝ち本戦トーナメント出場。現役のまま同年に55歳で死去。
棋風
[編集]- 相居飛車・対抗型・相振飛車すべて指すオールラウンド・プレイヤー。特に飛車先の歩を突いてから、飛車を振る[1]独特の振飛車を見せた。
- 終盤巧者として有名で、華麗な寄せに定評があった。また、詰将棋も得意だった。
- 清野が得意とした玉飛接近の元祖右玉、端歩突き越しからの端攻め(一間飛車・九間飛車)[2]や単純棒銀[3]、角桂香飛を集中して美濃囲いを攻める岐阜戦法[4]、飛車と金を交換する横歩取りの変化[5][6]は現代将棋でも指されている。
人物
[編集]- 数多くの棋書を著しており、中でも詰将棋、終盤研究の書籍が多い。特に詰将棋創作の第一人者としても知られており、10冊近くの出版物がある。清野本人も詰将棋を非常に愛好し、師匠の木村からも「詰将棋なんかいくらやっててもダメだ」と窘められても、全くやめるつもりはなく、むしろ詰将棋制作こそが自分の終盤力の源だという自負があった。発表作品は数千点に上り、その精緻な作風からは目の肥えた詰将棋愛好家からの評価も高かった一方で、その知名度に肖り、戦後まもなくは清野作を騙る贋作も数多く出回っていたという。
- 森信雄七段は、初めて自分で買った将棋の本が清野の著作「将棋入門」と答えている[8]。
- 趣味は音楽(洋楽も邦楽も、自ら歌い演奏した)。20代の頃、古賀政男と全国を旅したり、棋士以外の好事家とアマチュアのバンドを組んだりしていた。ジャズのスタンダードナンバーでデューク・エリントン、ベニー・グッドマンらが歌った「ダイナ、私の恋人」が十八番[9]。
- 名古屋に中部将棋会館を建てる計画に熱心で、億単位で自費の提供も勘案していた[10]。また、拠点のない地方での普及活動[11]の難しさを語り、晩年には「新潟に北陸将棋会館を作りたい。地方都市なら3000万もあれば建つだろう。」[12]と夢を述べたという。
- 非常に酒が好きで後輩を連れて飲みまわり、金高清吉、間宮純一との三人で「三奇人」とよばれた[13]。
- 週刊将棋オンラインでの山田史生のコラムによると、昭和52年(1977年)6月28日の第36期順位戦C級2組1回戦での伊藤果四段との対局で、夕休明けでも清野は対局室に戻って来ないまま、清野本人から連絡が入り「あの将棋は負けた」と電話で投了伝達をした。清野は体調不良を抱えており「将棋を指す体力がなかった故の電話投了だったのだろう」と山田は回顧した[14]。清野は順位戦2回戦を不戦敗とした後、同年8月28日に胃がんにより死去したため、「電話投了」の対局が生涯最期の対局となった。
弟子
[編集]棋士
[編集]名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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土佐浩司 | 1976年2月1日 | 八段、一般棋戦優勝1回 |
- 天王山とよばれる5五の位取りと玉を含め自陣を上段にのばし厚みで勝負する棋風や、多彩かつ才気あふれる戦法選択は土佐にも受け継がれている。
昇段履歴
[編集]- 1936年 入門
- 1949年4月1日 三段(順位戦C級2組参加)
- 1950年4月1日 六段(順位戦C級1組昇級と飛び級昇段)
- 1952年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1974年11月3日 八段(「表彰感謝の日」表彰)
主な成績
[編集]記録
[編集]- プロ入り初年度の公式戦全勝(9勝0敗)[15]。
- 1949年の順位戦C級2組では最低段(三段)[16]かつ最短(順位戦1期目)・全勝でC級1組昇級。
- 第9期王将戦挑戦者決定リーグ参加(当年度の大山康晴王将への挑戦者は二上達也)
在籍クラス
[編集]→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 | 順位戦 出典[17] | 竜王戦 出典[18] | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T | |||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1949 | 4 | C2 | ||||||||||||||||
1950 | 5 | C1 | ||||||||||||||||
1951 | 6 | C102 | ||||||||||||||||
1952 | 7 | B117 | ||||||||||||||||
1953 | 8 | B109 | ||||||||||||||||
1954 | 9 | B111 | ||||||||||||||||
1955 | 10 | B105 | ||||||||||||||||
1956 | 11 | B110 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | B110 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | B110 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | B111 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | B106 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | B110 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | B108 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | B112 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | B115 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | B203 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | B218 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | B207 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | B207 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | B212 | ||||||||||||||||
1970 | 25 | B209 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | B202 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | B212 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | B217 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | C102 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | C116 | ||||||||||||||||
1976 | 主催者移行問題により中止 | |||||||||||||||||
1977 | 36 | C201 | ||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
主な著書
[編集]急所シリーズ
[編集]- 将棋の急所(1963年、高橋書店)
- 将棋指し方の急所(1969年、高橋書店)
- 将棋初段の急所(1969年、高橋書店)
- 将棋必勝の急所(1969年、高橋書店)
- 将棋実戦の急所(1970年、高橋書店)
- 将棋ハメ手の急所(1970年、高橋書店)
将棋基本戦術
[編集]- 将棋基本戦術(1964年、永岡書店・虹有社) - 複数の出版社から発行されたロングセラー。現在は解説書の少ない「ガッチャン銀」「縦歩取り」も解説。
- 将棋の初歩から必勝戦術(1972年12月、永岡書店) - 「将棋基本戦術」の姉妹編。入門者向けに初歩の解説が詳しい。
- 新・将棋基本戦術(1975年、永岡書店) - 旧版に実戦棋譜などを加筆。当時としては新戦法だった「右玉」「穴熊」「九間飛車」まで解説。
- 将棋基本戦術 新装版(1980年5月、虹有社) - 没後の追悼も兼ね、旧版に清野の戦法ごとの実践譜を併録。
駒落ち
[編集]- 駒落ち定跡から覚えよう 将棋初級入門(1978年10月、梧桐書院、ISBN 4-340-07107-2) - 70年代棋書では珍しい2色刷り。2手ごと(上手1手、下手1手)に盤面図と解説が挿入されている。
- 駒落ち定跡で強くなる 将棋中級入門(1979年4月、新刷版1984年1月、梧桐書院、ISBN 4-340-07108-0) - 多色刷りなので盤面は非常に見やすい。香落ちを卒業し平手に進む構成。対振り飛車の概説もあり。
詰将棋ほか
[編集]- 新作詰と必至(1952年、野口書店)
- 将棋入門 (1960年、永岡書店)
- 新選詰将棋(1963年、虹有社)
- 将棋必勝のきめ手(1964年、高橋書店)
- 将棋の手筋(1964年、高橋書店)
- 格言を中心にした新しい将棋の指し方(1964年9月、高橋書店)
- 詰将棋新題(1965年、虹有社)
- 将棋勝ち方の秘訣(1965年11月、高橋書店)
- 将棋必修 実戦型詰将棋 新題(1967年11月、梧桐書院)
- 図解将棋入門 (1969年、永岡書店)
- 図で解説した 新しい詰将棋100題 三手から二十三手詰まで(1972年、永岡書店)
- 初心者のためのやさしい将棋の指し方(1974年、恵文社)
- 一人で楽しむ詰将棋(1974年、有紀書房、ISBN 4-638-07224-0)
- 実戦 詰め将棋(1974年10月、西東社、ISBN 4-7916-0761-9)
- 実戦型・詰将棋秀作選(1975年、梧桐書院)
- わかりやすいオール図解 棋力テスト 詰将棋新作選(1976年4月、有紀書房、ISBN 4-638-07227-5)
脚注
[編集]- ^ 順位戦C級1組・対下平幸男(1950-01-01)など
- ^ 「雀刺し」とは飛香の上下が逆になる(「将棋ジャーナル観戦記」横田稔 1987年)
- ^ 2013年の第62期王将戦七番勝負第1局で佐藤康光王将が採用
- ^ 2006年の第37期新人王戦決勝で糸谷哲郎四段が採用
- ^ 2015年の叡王戦四段予選で星野良生四段が採用
- ^ 2016年の第75期順位戦B級2組 6回戦で菅井竜也七段が採用
- ^ 1986年1月12日、羽生善治が四段昇段後の初対局(非公式戦・阿部隆四段との東西若手棋士・三番勝負第一局)で採用した戦法が、「ガッチャン銀」(後手)である(「将棋世界」1986年3月号)。
- ^ 関西将棋会館・公式twitter @shogi_osaka(2017年2月9日)
- ^ 「近代将棋」1989年12月号記事「名棋士の思い出」。
- ^ 「将棋世界」2004年11月号「戦慄の名古屋戦法、悪夢の岐阜戦法」(山岸浩史)ほか
- ^ 大平武洋六段が新潟に、渡辺正和六段が富山に移住して、地方で活動したことがある。2016年時点では、日浦市郎八段が北海道に移住し、普及を行なっている。
- ^ 将棋ペンクラブ記事「清野静男八段のこと」(原田泰夫、1989年)
- ^ 能智映『愉快痛快棋士365日』(日本将棋連盟)P.9
- ^ 週刊将棋online - コラム「将棋界 つれづれ草」第51回 懐かしき個性派棋士 電話で投了を告げた清野八段
- ^ プロ入り初年度全勝は、2016年度に藤井聡太四段も達成した(10勝0敗)。
- ^ 終戦直後は、二段・三段の「成績優秀者」も順位戦に参加できた。他にアマ枠もあり。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。