片岡平八郎
片岡平八郎 かたおか へいはちろう | |
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生年月日 | 1886年10月 |
出生地 | 日本 兵庫県 |
没年月日 | 不明 |
出身校 | 豊岡中学校卒業 (現・兵庫県立豊岡高等学校) |
前職 | 実業家 |
宗教 | 浄土真宗 |
城崎町長 | |
在任期間 | 1901年5月4日 - 1901年9月31日[注釈 1] 1905年3月3日 - 1917年7月22日 |
兵庫県会議員 | |
選挙区 | 城崎郡選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1894年2月 - 1896年10月 1896年12月 - 1899年7月 1899年9月 - 1903年9月 1937年3月 - 1939年9月 |
片岡 平八郎(かたおか へいはちろう、前名・郁三[1]、1886年〈明治19年〉10月[1] - 没年不明)は、日本の政治家(兵庫県会議員[1]、兵庫県城崎郡城崎町長[2])、旅館業者[3]、銀行家。弟に終戦時の第一師団長を務めた片岡董中将が居る。
人物
[編集]兵庫県出身。先代・平八郎の二男[1]。1921年(大正10年)、家督を相続、前名・郁三を改め襲名した[1]。豊岡中学校(現・兵庫県立豊岡高等学校)を卒業した[1]。「三木屋」と称し、温泉旅館業を営み、傍ら銀行重役であった[1]。但馬貯蓄銀行取締役、三共銀行監査役などをつとめた[1]。
1894年(明治27年)2月から1896年(明治29年)10月、同年12月から1899年(明治32年)7月、同年9月から1903年(明治36年)9月、1937年(昭和12年)3月から1939年(昭和14年)9月まで城崎郡選出の兵庫県会議員を務めた[4]。また、1901年(明治34年)5月4日から同年9月31日[注釈 1]、1905年(明治38年)3月3日から1917年(大正6年)7月22日まで城崎町長を務めた[5]。
家族・親族
[編集]- 片岡家
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 実業興信所編『山陰実業興信録 大正11年』実業興信所山陰本所、1922年。
- 篠田皇民『自治団体之沿革 伝家之宝典 兵庫県之部』東京都民新聞社地方自治調査会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。