城崎町
きのさきちょう 城崎町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町→豊岡市 | ||||
現在の自治体 | 豊岡市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
郡 | 城崎郡 | ||||
市町村コード | 28541-2 | ||||
面積 | 31.19 km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 | 4,134人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 豊岡市、竹野町 | ||||
町の木 | シダレヤナギ | ||||
町の花 | アヤメ | ||||
城崎町役場 | |||||
所在地 | 〒669-6101 兵庫県城崎郡城崎町湯島448 | ||||
外部リンク | 城崎町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯35度37分33秒 東経134度48分27秒 / 北緯35.62589度 東経134.80742度座標: 北緯35度37分33秒 東経134度48分27秒 / 北緯35.62589度 東経134.80742度 | ||||
ウィキプロジェクト |
城崎町(きのさきちょう)は、兵庫県北東部にあった町。本項では町制前の名称である湯島村(ゆしまむら)についても述べる。
2005年4月1日、豊岡市、城崎郡竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併して新「豊岡市」となったため消滅した。
地理
[編集]円山川の西岸に沿って市街地があり、その中に城崎温泉も位置する。なお、日本海にごく近い印象があるものの、町域は豊岡市と竹野町に抱かれたような立地となっており、海には直接面していない。
城崎温泉は関西の奥座敷として知られ、京阪神方面から城崎温泉駅まで多数の特急列車が直通している(大阪・尼崎方面からは「こうのとり」、京都方面からは「きのさき」、大阪・姫路方面からは「はまかぜ」)。
- 山: 来日岳 (567m)
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]城崎温泉は、温泉寺の開祖である道智上人という僧が衆生済度の大願を発し、一千日の祈願をしたことにより開かれた温泉と伝える。のちに聖武天皇の勅を得て、道智上人が温泉寺を開創した。以後多くの人に親しまれ、桂小五郎も一時ここに潜んだという。志賀直哉の『城の崎にて』は、彼が1913年事故に遭い、当地で療養した折の経験を元にしている。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、今津村・湯島村・桃島村の区域をもって湯島村が発足。
- 1895年(明治28年)3月15日 - 湯島村が町制施行・改称して城崎町となる。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 内川村と合併し、改めて城崎町が発足。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 豊岡市・竹野町・日高町・出石郡出石町・但東町と合併し、改めて豊岡市が発足。同日城崎町廃止。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば城崎町の篤農家は「西村佐兵衛、片岡平八郎、加藤信太郎」などがいた[1]。
- 商工業
『山陰実業興信録 大正11年』によれば物品販売業を営む人物は「岡田兵三郎、竹内瀧蔵、久保田宗吉、久保田順三、谷垣意知治、熊原幸吉、下山鹿次郎、武内増蔵、佐藤甚太郎、今西清蔵」などがいた[2]。
製造業を営む人物は「細田顕次」、運送業を営む人物は「高橋大治郎」、請負業を営む人物は「藤原孫蔵」、仲立業を営む人物は「沖野秀治」などがいた[2]。
旅館業を営む人物は「西村六左衛門、伊賀政蔵、片岡平八郎、結城小左衛門、結城寛、杉本繁造、井上吉右衛門、守口九左衛門、山本小ベン、齊藤宗三郎、安田貞吉、垣谷はる、輪笠與八郎、石田松太郎、西村佐兵衛、柿谷しな、兒島國治、河原庄三郎、西村彦七」などがいた[2]。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]バス
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』131頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月25日閲覧。
- ^ a b c 『山陰実業興信録 大正11年』302頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 実業興信所編『山陰実業興信録 大正11年』実業興信所山陰本所、1922年。