神戸市立御影公会堂
神戸市立御影公会堂 | |
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情報 | |
旧名称 | 御影町公会堂 |
用途 | 会館 |
設計者 | 清水栄二 |
施工 | 大林組 |
建築主 | 兵庫県武庫郡御影町 |
管理運営 | 神戸市東灘区役所 |
敷地面積 | 3,126 m² |
延床面積 | 3,234 m² |
階数 | 地上3階、地下1階、塔屋 |
着工 | 1932年6月15日 |
竣工 | 1933年5月20日 |
開館開所 | 1933年5月25日 |
所在地 | 〒658-0045 兵庫県神戸市東灘区御影石町4丁目4番1号 |
座標 | 北緯34度42分58.0秒 東経135度14分57.4秒 / 北緯34.716111度 東経135.249278度 |
文化財 | 国の登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2018年5月10日[1] |
神戸市立御影公会堂(こうべしりつみかげこうかいどう)は、兵庫県神戸市東灘区御影石町4丁目4番、石屋川の東側、国道2号の北側にあるにある歴史的建造物。国の登録有形文化財に登録されている[2]。集会施設として利用されるほか、施設内にある御影公会堂食堂は、建設当時から営業している老舗の洋食店として知られる。
経緯
[編集]御影町時代、この建物は御影町公会堂として建設された。設計は、清水栄二が手がけた[3]。
建設
[編集]白鶴酒造の嘉納治兵衛により、1929年2月26日に15万円、1932年5月1日に2万円、1933年4月1日に3万円の計20万円の寄付と、その利子2万9365円49銭、町費積立金及びその利子1万554円6銭、一般町費496円32銭の計24万414円87銭で以って建設費・設備費・雑費が賄われた。敷地は石屋字左美也百二十二番地の十二の945坪6合6尺の土地で、1932年6月15日に大林組の請負で着工し、翌年5月20日竣工。5月25日落成式。6月14日使用条例を定める。
戦災
[編集]1945年(昭和20年)、3度にわたる神戸大空襲により御影の町は焦土と化し、公会堂も被災した。
1947年(昭和22年)に園舎を全焼していた御影幼稚園がここで再開される。合併当時の教諭だった内海薫は、公会堂の被災状況をこう語っている。「公会堂の外側だけがやっと残ってたという感じで、内部はがらんどうのようでした。部屋も1階の3部屋だけが残ってましたね」「大ホールの方も全部焼けてしまって、入り口のロビーの所だけが残っていましたね。」新園舎は1951年(昭和26年)3月18日の卒園式に間に合うように完成した[4]。
終戦後、御影町には自力で修復するだけの財力がなく、御影町の神戸市との合併(1950年(昭和25年))後に市によって修繕・改修を受け、1953年(昭和28年)4月から使用を再開した。
戦後
[編集]大ホールは約一千人[5]が収容でき、神戸市最大の集会施設であった。
1957年(昭和32年)11月から、結婚式場を設置し、低廉な経費で結婚式を行っている。最盛期には年間1100件の挙式があったが、各所に結婚式場が増えたため減少。それでも1975年(昭和50年)には約400組が挙式を行っていたが[6]、1983年に閉鎖された。
また、1974年(昭和49年)夏からは冷房施設も整備された[6]。
後に神戸国際会館、神戸市立中央体育館、神戸文化ホールなどのより大型の施設が建設され、利用者は減少した[6]。
震災
[編集]建築後60年が経過して老朽化が進み、神戸市は公会堂を大改修して柔道の殿堂「嘉納記念館」とする計画を立案し、1995年元日付の神戸新聞に大きく掲載された。耐震性の問題から、正面玄関部分のみを残し、北側を壊して新しく建て替えるものであった。
しかし、その半月後に阪神・淡路大震災が発生した。周囲の建築物の多くが全半壊した中、公会堂はほとんど被害がなく、地震直後から約1年にわたり多くの被災者の避難場所として活用された。嘉納記念館構想はいつしか立ち消えとなった。
そして震災から21年経った2016年4月より、老朽化に対する修繕及びバリアフリー対応を目的として15億9700万円を投入して、建物外観の殆どをそのままにリニューアル工事が行われ、翌2017年4月10日にリニューアルオープンした[7]。地下には御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーが設けられ、嘉納治五郎が顕彰されている[8]。
2013年(平成25年)度のDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出されている[9]。
構造
[編集]以下は『御影町誌』に書かれた建設当時の情報である。
近世式鉄筋コンクリート三階建一棟 309坪2合5尺
- 地階211.76坪
- 一階309.29坪
- 大集会場
- 貸室第一号
- 貸室第二号
- 控室
- 浴場
- 二階201.35坪
- 貴賓室
- 日本室1号
- 日本室2号
- 日本室3号
- 日本室4号
- 浴場
- 三階141.00坪
- 食堂第一号
- 食堂第二号
- 控室第一号
- 控室第二号
- 塔屋及休憩所14.94坪
其他 - 娯楽室、露台
延坪合計978.34坪
脚注
[編集]- ^ 文化遺産オンライン
- ^ 神戸市の文化財建造物の登録(国登録郵券文化財) 平成30年3月9日文化審議会審議・議決に基づく神戸市の報
- ^ 「IDÉE LIFE Soundscape of Brazilian Swing feat. Orange pekoe」ブックレットより
- ^ 道谷卓 2000
- ^ 『東灘区25年』による数値、『東灘歴史散歩』では550名収容とある
- ^ a b c 東灘区役所 1976
- ^ 御影公会堂の改修工事について - 神戸市
- ^ 御影公会堂公式サイトの御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーページ
- ^ 2013年度DOCOMOMO JAPAN 選定作品 - DOCOMOMO JAPAN
参考資料
[編集]- 原田 健 編『東灘区25年』東灘区役所、1976年。
- 田辺眞人『東灘歴史散歩』東灘区役所、1980年。
- 編輯兼発行者 御影町長 玉木敬太郎 編『御影町誌』御影町役場、1936年。
- 編著者 道谷卓 編『うはらの歴史再発見 ~ちょっと昔の東灘~』東灘復興記念事業委員会、東灘区役所、2000年。