禛子内親王
禛子内親王(しんしないしんのう、永保元年4月17日(1081年5月28日) - 久寿3年1月5日(1156年1月28日))は、平安時代後期(院政期)の女性。名は「禎子」とも表記される。
来歴
[編集]白河天皇と中宮賢子の末娘(第四皇女)として生まれ、永保2年(1082年)3月1日、内親王に宣下される。
康和元年(1099年)10月20日、准三宮に叙され、同日第25代賀茂斎院に卜定された。当時の天皇は同母兄の堀河天皇である。土御門高倉第に住み、土御門斎院と号した。康和2年(1100年)5月28日初斎院、康和3年(1101年)4月13日野宮に入る。嘉承2年(1107年)7月19日、疾病により退下し、同日に堀河天皇が崩御した。
天治2年(1125年)10月17日、出家。久寿3年(1156年)正月5日、無品のまま枇杷殿において薨去した。
参考資料
[編集]- 『史料綜覧』