穠子内親王
穠子内親王 | |
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続柄 | 順徳天皇皇女 |
全名 | 穠子(じょうし) |
称号 | 永安門院 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 | 建保4年(1216年) |
死去 | 弘安2年11月21日(1279年12月25日)(享年64) |
父親 | 順徳天皇 |
母親 | 藤原位子 |
穠子内親王(じょうしないしんのう[1]、建保4年(1216年) - 弘安2年11月21日(1279年12月25日))は、鎌倉時代の皇族・女院。順徳天皇の皇女で、母は大納言局藤原位子(内大臣坊門信清の娘)。女院号は永安門院(えいあんもんいん)。
藤原隆清に扶持されていたと伝えられている[1]。建長3年(1251年)11月2日に内親王宣下があり、同月13日に准三宮宣下および院号宣下が行われた。2年後の建長5年(1253年)8月29日に38歳で出家し、法名を理智覚と称した。弘安2年(1279年)に64歳で薨去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) ISBN 978-4-8205-7128-5 P163.
- 秋山喜代子「永安門院」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8 P253.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 (谷山俊英「順徳天皇」) P543.