西海市立亀岳小学校
西海市立亀岳小学校 | |
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北緯32度59分47秒 東経129度46分54秒 / 北緯32.996333度 東経129.781611度座標: 北緯32度59分47秒 東経129度46分54秒 / 北緯32.996333度 東経129.781611度 | |
過去の名称 | 第五大学区長崎県管下第一中学区彼杵郡公立下等中山小学校 公立中等中山小学校 簡易中山小学校 尋常亀岳小学校 亀岳尋常小学校 亀岳尋常高等小学校 亀岳村亀岳国民学校 亀岳村立亀岳小学校 西彼村立亀岳小学校 西彼町立亀岳小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西海市 |
併合学校 | 尋常下岳小学校 尋常亀浦小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)1月 |
閉校年月日 | 2018年(平成30年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒851-3311 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
西海市立亀岳小学校(さいかいしりつ かめだけしょうがっこう, Saikai City Kamedake Elementary School)は、長崎県西海市西彼町下岳郷にあった公立小学校。略称は「亀岳小」(かめだけしょう)、「亀小」(かめしょう)。
2018年(平成30年)3月末に閉校し、西海市立白似田小学校との統合で西海市立ときわ台小学校が新設された[1][2][3][4]。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「豊かな心を持ち、自ら求めて学ぶ育成と実践力のある、健康でたくましい亀小っ子の育成」
- 校章
- 亀の甲羅の形の中に、二羽の鳥が向かい合った絵を背景にして「小」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は田島日露記、作曲は宗久彌による。歌詞は2番まであり、2番に校名の「亀岳小」が登場する。
- シンボルツリー
- センダン - 学校だよりのタイトル(「せんだん」)や学校公式ウェブサイトのアドレスの一部(sendan)に使用されている。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)1月 - 学制に基づき、中山郷字佐古に「公立下等中山小学校」が開校。
- 下等小学科(4年制)を設置。
- 1877年(明治10年)
- 下岳郷字下河内790に「公立下等下岳小学校」が開校。
- 白似田郷字白似田1809に「公立下等白似田小学校」が開校。
- 1878年(明治11年)- 亀浦郷出口1138に「公立下等中山小学校亀浦分校[6]」を設置。
- 1879年(明治12年)- 公立下等中山小学校を中山郷字崎ノ宗に移転。
- 1882年(明治15年)- 教育令改正後の小学校教則綱領の制定により、初等科(3年制)と中等科(3年制)を設置し、「公立中等中山小学校」に改称。
- 公立下等下岳小学校・公立下等白似田小学校をそれぞれ「下岳分舎」・「白似田分舎」とする。亀浦分校を「亀浦分舎」とする。
- 1884年(明治17年)4月 - 白似田分舎を白似田郷1776に移転。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置し「簡易中山小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、亀浦村と下岳村の2村が合併し「亀岳村」が発足。これにより、亀岳村立の小学校となる。
- 1890年(明治23年)4月 - 小学校令の改正により、簡易科を廃止の上、尋常科(4年制)を設置し「尋常亀岳小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)
- 1894年(明治27年)- 下岳郷の笹川内に移転を決定し、現在地に校地を造成。
- 1897年(明治30年)1月 - 現在地に第一校舎が完成し、移転を完了。
- 1898年(明治31年)4月 - 高等科を併置し、「亀岳尋常高等小学校」に改称。
- 下岳分教場と亀浦分教場を廃止し、本校に統合。
- 白似田分教場が分離し、白似田尋常小学校として独立。
- 1901年(明治34年)- 児童数の増加に対応するため、第二校舎が完成。
- 1902年(明治35年)- 児童数の増加に対応するため、運動場を拡張。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育年限が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- これにより、旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に振り替えて設置。更に高等科(3年制)を設置し、修業年限を尋常科6年・高等科3年に改定。
- 1909年(明治42年)6月 - 義務教育年限の延長で収容児童数が増加したため、第三校舎を建築。農業実習地を設置。亀岳村青年団が創立される。
- 1917年(大正6年)4月 - 高等小学校等に進学しない児童を対象とした亀岳実業補習学校(修業年限:4年)を併設。
- 1929年(昭和4年)12月 - スレート造校舎(2棟8教室)が完成。中山郷須田岳に学校水源地を設置。第二校舎を東側に移築し、家事裁縫室とする。運動場を拡張。
- 1935年(昭和10年)4月 - 青年学校令の施行により、併設の亀岳実業補習学校が「亀岳青年学校」に改称される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「亀岳村亀岳国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1949年(昭和24年)9月 - 中学校の新校舎が完成し、移転を完了したため、併設を解消。小学校第四校舎と青年学校校舎が返還される。
- 1958年(昭和33年)4月 - 第一校舎・第五校舎を改築。
- 1961年(昭和36年)6月29日 - 亀岳村と大串村が合併し、「西彼村立亀岳小学校」に改称。
- 1962年(昭和37年)11月 - ミルク給食を開始。
- 1963年(昭和38年)11月 - 脱脂粉乳給食を開始。
- 1964年(昭和39年)
- 3月 - 校歌を制定。
- 11月 - 校章と校旗を制定。
- 1966年(昭和41年)2月 - 火災により、給食調理場と宿直室を消失。
- 1967年(昭和42年)
- 4月 - 特殊学級(現・特別支援学級)を設置。
- 9月 - 完全給食を開始。
- 1969年(昭和44年)1月1日 - 町制施行により、「西彼町立亀岳小学校」に改称。
- 1971年(昭和46年)8月 - 簡易プールが完成。
- 1974年(昭和49年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1975年(昭和50年)4月 - 新校舎が完成。
- 1978年(昭和53年)2月 - 体育館が完成。
- 1982年(昭和57年)3月 - アスレチック施設が完成。
- 1983年(昭和58年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての校舎を増築。
- 1991年(平成3年)6月 - 台風により、シンボルツリーのセンダンの木が折れる。
- 1998年(平成10年)11月9日 - コンピュータ教室が完成。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 町村合併により「西海市立亀岳小学校」(現校名)と改称。
- 2018年(平成30年)
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 長崎自動車(長崎バス)「中山」バス停 - 長崎市街地から1番「石原」・「大串」行きのバスに乗車。
- 道路
- 国道206号
- (「バイオパーク入口」交差点から)長崎県道120号上岳宮ノ浦線
周辺
[編集]- 亀岳学童保育クラブ
- 中山保育園
- 唱題寺(日蓮宗)
- 長崎バイオパーク
同表記の小学校
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 西海市小中学校適正配置(学校統廃合) - 西海市ウェブサイト
- ^ a b 学校だより「白似田の風」2017年第1号 (PDF) - 西海市立白似田小学校ウェブサイト
- ^ a b 学校だより「せんだん」2017年第1号 (PDF) - 西海市立亀岳小学校ウェブサイト
- ^ a b c 広報さいかい2018年(平成30年)1月号 (PDF) p.8, p.14 - 西海市ウェブサイト
- ^ 読みは「じきば」。
- ^ 公立下等亀浦小学校とも。
- ^ それまで尋常小学校と高等小学校は別個の小学校であったが、小学校令の改正により、尋常小学校に高等科を併設し、尋常高等小学校にすることができるようになったため、改称が行われた。
- ^ 亀岳村立亀岳中学校は1947年(昭和22年)の発足当初は小学校一部と青年学校校舎を仮校舎として授業を開始。1949年(昭和24年)に上岳郷300番地(現・長崎県立西彼農業高等学校の隣接地)に新校舎を完成させ、移転を完了。「西彼村立亀岳中学校」・「西彼町立亀岳中学校」に改称した後、1971年(昭和46年)に西彼町立大串中学校と統合され「西彼町立西彼中学校」となった。
参考資料
[編集]- 「西彼杵郡現勢一班」(1926年(昭和元年)12月31日発行, 出版:郡役所廃止記念会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.302(コマ番号162)
- 「西彼町郷土誌」(2003年(平成15年)3月1日発行, 西彼町教育委員会)