辻寛一
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
辻 寛一(つじ かんいち、1905年10月8日 - 1983年11月9日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)を務めた。
略歴
[編集]- 1905年(明治38年)- 岐阜県生まれ
- 1926年(大正15年)- 名古屋高等商業学校卒業。
- 名古屋新聞(現・中日新聞)で8年の記者生活。
- 1934年(昭和8年) - 名古屋市議会議員に。のち、愛知県議会議員も務める。
- 1942年(昭和17年)- 第21回衆議院議員総選挙愛知1区落選(無所属(立憲民政党))。
- 1946年(昭和21年)
- 4月 - 第22回衆議院議員総選挙愛知1区初当選(日本自由党)。
- 6月 - 第1次吉田内閣運輸参与官
- 1947年(昭和22年)- 第23回衆議院議員総選挙愛知1区 当選。同年、中日電機工業を創業。
- 1949年(昭和24年)- 第24回衆議院議員総選挙当選(民主自由党)
- 1952年(昭和27年)- 第25回衆議院議員総選挙当選(自由党)
- 1953年(昭和28年)- 第26回衆議院議員総選挙当選(吉田自由党)
- 1955年(昭和30年)- 第27回衆議院議員総選挙落選(自由党)
- 1958年(昭和33年)-
- 5月 - 第28回衆議院議員総選挙当選(自由民主党)
- 6月 - 第2次岸内閣防衛政務次官
- 1960年(昭和35年)
- 9月 - 名古屋市長選挙に自民党公認で立候補したが、現職の小林橘川に敗れ落選した[1]。
- 11月 - 第29回衆議院議員総選挙当選
- 12月 - 衆議院国土総合開発特別委員長
- 1962年(昭和37年)- 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長
- 1963年(昭和38年)
- 10月 - 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会理事
- 11月 - 第30回衆議院議員総選挙当選
- 1967年(昭和42年)- 第31回衆議院議員総選挙愛知6区当選
- 自由民主党全国組織委員長
- 1969年(昭和44年)- 第32回衆議院議員総選挙当選
- 1972年(昭和47年)- 第33回衆議院議員総選挙落選
- 1976年(昭和51年)
- 4月 - 勲一等瑞宝章受章
- 12月 - 第34回衆議院議員総選挙落選
- 1981年(昭和56年)- 中日電機工業の会長に就任。
- 1983年(昭和58年)- 死去
元秘書
[編集]- 加藤南(愛知県議会議員、第84代議長)
家族
[編集]- 息子 - 辻真先(推理作家、脚本家)
逸話
[編集]脚注
[編集]- ^ 『名古屋の選挙40年の記録』名古屋市選挙管理委員会、1988年3月25日、588-589頁。
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)
- 新訂 政治家人名事典 明治~昭和(https://kotobank.jp/word/%E8%BE%BB+%E5%AF%9B%E4%B8%80-1677005)
- 中日電機工業会社案内
議会 | ||
---|---|---|
先代 伊藤郷一 | 衆議院文部委員長 1953年 - 1954年 | 次代 越智茂 |
先代 新設 | 衆議院電気通信委員長 1949年 - 1950年 | 次代 関内正一 |
先代 原健三郎 | 衆議院逓信委員長 1949年 | 次代 松前重義 |
先代 福井順一 | 衆議院国土総合開発特別委員長 | 次代 廃止 |
先代 加藤常太郎 | 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 | 次代 小泉純也 |