畑英次郎
畑 英次郎 はた えいじろう | |
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生年月日 | 1928年9月10日 |
出生地 | 大分県日田市 |
没年月日 | 2023年8月4日(94歳没) |
死没地 | 大分県日田市 |
出身校 | 武蔵工業専門学校(中退) |
前職 | 地方公務員(日田市) 広瀬正雄衆議院議員秘書 |
所属政党 | (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (太陽党→) (民政党→) 民主党 |
称号 | 従三位 勲一等瑞宝章 |
第56代 通商産業大臣 | |
内閣 | 羽田内閣 |
在任期間 | 1994年4月28日 - 1994年6月30日 |
第19代 農林水産大臣 | |
内閣 | 細川内閣 |
在任期間 | 1993年8月9日 - 1994年4月28日 |
選挙区 | (旧大分1区→) 大分3区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1979年10月8日 - 2000年6月2日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1968年 - 1979年 |
畑 英次郎(はた えいじろう、1928年(昭和3年)9月10日[1] - 2023年(令和5年)8月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。
通商産業大臣(第56代)、農林水産大臣(第19代)、衆議院議員(7期)、民主党副代表、太陽党幹事長、大分県日田市長(3期)等を歴任した。
来歴
[編集]大分県日田市生まれ。1946年、武蔵工業専門学校(現東京都市大学)を中退し、出身地である日田市の市役所に入庁。その後、旧大分1区選出の衆議院議員・広瀬正雄の秘書に転じる。
1968年、日田市長選挙に立候補し、初当選。市長を3期11年務め、1979年に3期目の任期途中で辞職。同年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党の公認を受け、旧大分1区から広瀬の地盤を引き継いで出馬し、当選した(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元らがいる)。なお、旧大分1区は自民党ベテランの村上勇や、畑が初当選した当時は中堅議員だった、後に首相を務める日本社会党の村山富市、後に大分市長を務める民社党の木下敬之助らがおり、これらの有力候補も必ず一度は落選を経験しているが、畑は初当選以来、一度も落選していない。
当選後、田中派に入会し、竹下登が経世会を結成した際はこれに参加した。田中派の影響力が強かった逓信・郵政分野の族議員でもあり、郵政政務次官や厚生政務次官、衆議院逓信委員長を務めた。
1992年の竹下派分裂では小沢一郎、羽田孜を支持し、羽田派に参加する。1993年、宮澤改造内閣の不信任決議に賛成票を投じ、自民党を離党。羽田を党首に結成された新生党に参加し、第40回衆議院議員総選挙では新生党公認で再選。選挙後に発足した細川内閣で農林水産大臣に任命され、初入閣した。農相在任中はコメの不作や自由化等の懸案を手掛け、1994年1月26日には食糧自給をめぐる問題で、参議院に問責決議が提出され、一部の社会党議員が造反して賛成票を投じたが、反対多数で否決された。畑農相への問責決議案の採決は、1955年の自由民主党結党以来、初の非自民閣僚への問責決議案採決の例であった。
細川護煕首相は、不安定な政権運営や自らの政治資金疑惑を追及され、1994年4月に突如、退陣を表明。続く羽田内閣では、通商産業大臣に横滑りしたが、羽田内閣はわずか64日で総辞職に追い込まれた。同年12月、新進党結党に参加する。新進党結党後から反・小沢一郎の旗幟を鮮明にし、羽田孜を支持。1996年の第41回衆議院議員総選挙では大分3区から出馬して当選するが、同年末に新進党を離党し、羽田を党首に結成された太陽党で幹事長に就任する。1998年、民政党を経て民主党結党に合流した。民主党では副代表を務め、2000年の第42回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退した。同年、勲一等瑞宝章を受章。
2023年8月4日午前8時2分、老衰のため日田市の特別養護老人ホームで死去した[2]。94歳没。死没日付をもって、従三位に叙された[3][4]。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、426頁。
- ^ “畑英次郎氏死去 元農林水産相”. 時事ドットコム (2023年8月8日). 2023年8月8日閲覧。
- ^ 『官報』第1058号7頁 令和5年8月9日
- ^ “故畑英次郎氏に従三位”. 時事ドットコム. (2023年8月29日) 2023年8月29日閲覧。
- ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』(サンケイ新聞データシステム)
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 丹羽雄哉 | 衆議院社会労働委員長 1990年 - 1991年 | 次代 浜田卓二郎 |
先代 塚原俊平 | 衆議院逓信委員長 1988年 - 1989年 | 次代 田名部匡省 |
公職 | ||
先代 熊谷弘 羽田孜(事務取扱) | 通商産業大臣 第56代:1994年 | 次代 橋本龍太郎 |
先代 宮澤喜一 | 農林水産大臣 第19代:1993年 - 1994年 | 次代 加藤六月 |
先代 岩尾精一 | 大分県日田市長 1968年 - 1979年 | 次代 石松安次 |
党職 | ||
先代 結党 | 太陽党幹事長 初代:1996年 - 1998年 | 次代 民政党に合流 |