酒井忠稠

 
酒井忠稠
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 承応2年3月30日1653年4月27日
死没 宝永3年6月3日1706年7月12日
改名 仙千代(幼名)
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下、右京亮
主君 徳川綱吉
越前敦賀藩
氏族 酒井氏
父母 父:酒井忠直
母:久松松平定頼の娘
兄弟 忠隆忠稠忠與江見舎政忠垠(定忠)直郷
正室:土井利房の娘
忠菊(長男)、忠音(次男)、忠位(三男)、娘(三浦便次室)、娘(加藤正甫養女)
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酒井 忠稠(さかい ただしげ)は、越前敦賀藩の初代藩主。忠稠系小浜藩酒井家別家初代。若狭小浜藩の第2代藩主・酒井忠直の次男。

生涯

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承応2年(1653年)3月30日、江戸竜の口の小浜藩邸で生まれる。

天和2年(1682年)9月29日、父・忠直の死去で1万石を分与され、小浜藩の支藩である敦賀藩を立藩した。その後は大番頭などを歴任している。

宝永3年(1706年)6月3日、54歳で死去し、跡を子の忠菊が継いだ。墓所は谷中瑞輪寺[1]

系譜

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父母

正室

子女

参考文献

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  1. ^ 酒井忠稠(さかい ただしげ)”. 墓マイラーが行く。. 2024年12月4日閲覧。