霊柩車

日本の宮型霊柩車
宮型霊柩車のリアスタイル
洋型霊柩車の例

霊柩車(れいきゅうしゃ、英語: hearse または funeral car,funeral coach)とは、葬送において遺体を移動させるために用いられる車両イギリスの霊柩馬車に起源があるとされ、手引き車、馬車、自動車のほか、鉄道車両にも見られる。

日本では神道仏教建築様式を模した「宮型霊柩車」と呼ばれる独特の霊柩自動車が用いられる[1]。「柩」が常用漢字に含まれないため、日本の法令上は霊きゅう自動車と表記される。

欧米

[編集]

欧米キリスト教圏では参列者が最後まで見送れるように、巨大なリアクオーターウインドウとバックウインドウを取り付けるなど、棺をあえて車外から見えるようにしたタイプも多い。キリスト教では「死のケガレ」といったタブー概念はなく、死は「天国への凱旋」と捉えられる。また教会での葬儀には誰でもオープンに参加でき、親族以外にも教会の一般信徒が手伝いなどをする。こうした宗教による死生観の違いが霊柩車の形態にも影響を与えている。

英国

[編集]

イギリスの霊柩馬車に起源があるとされる[1]

イギリスの霊柩車の一例
アメリカの霊柩車の一例

スコットランド地方ではスコットランド国教会の教会墓地とは別に、1840年代に民間共同墓地が開設されるようになり、従来の教会墓地に比べて公衆衛生への十分な配慮や個人所有の確保などが図られ、墓の提供に加えて規格化された葬送として霊柩馬車が採用されるようになった[2]

それまでは、水平にした梯子を乗せて運ぶ梯子葬列 (spoke funeral) 、棺を肩まで担ぎ上げて運ぶ肩葬列 (shoulder funeral) といった徒歩葬列が一般的であったが、民間共同墓地は霊柩馬車の使用を提案するようになり、葬列の移動時間は短縮された[2]

自動車が用いられるようになると、霊柩馬車は姿を消していったが、葬儀用に黒馬が引く伝統的な馬車が再び復活を果たしつつある[3]。現代でも葬儀社に依頼すれば、2頭立て御者付きの伝統的な霊柩馬車を手配してもらうことができ、根強い需要がある[4]

2021年に死去したエディンバラ公フィリップの葬儀では、生前、フィリップ自らが改造を指示していたランドローバー・ディフェンダーが使用された(画像リンク)[5]ピックアップ・トラック形で荷台部分が棺室になっている。

米国

[編集]

米国の葬儀は、一般に教会あるいは葬儀社のホールにて執り行われることが多い。葬儀後に墓地が葬儀場から遠いときは棺を霊柩車で移動する[6]。また、葬列の巡行が求められる際にも霊柩車が仕立てられる。

日本

[編集]
日本の霊柩車
上:棺車。2002年12月20日に三重県で撮影。
墓地併設の火葬炉のわきに置かれていたもの。この棺車は比較的素朴なものだが、近隣では手すり様の飾りが付いたものや、リヤカーのようにゴムタイヤを使ったものなども存在した。
下:宮型霊柩車。2003年10月20日に関東地方で撮影。

日本では遺体を納めたを輿に乗せ、人が担いで運んでいた[7]輿の屋根は唐破風で、後の宮型霊柩車の原点となっている[7]

その後、棺は大八車様のものに乗せて運ばれるようになり、これは「棺車」と呼ばれた。「棺車」には二方破風の屋根が付けられ、側面には花鳥等の彫刻が施されるなど、装飾や形状は後の宮型霊柩車に近いものであった[7]

その後、トラックの荷台に前述の輿のようなものを乗せて運ぶようになり、さらにそれが自動車と一体化した。 21世紀初頭の日本で一般的なスタイルは、大阪にあった「駕友葬祭」という葬儀屋を経営する鈴木勇太郎によって1917年(大正6年)に考案された。その後はトラックシャーシ同様に重い架装に耐えられるが、より格式のある高級乗用車のシャーシが用いられるようになった。 1921年(大正10年)9月4日名古屋市にある一柳葬具店が、新愛知新聞に外国製自動車を改造した霊柩車の広告を掲載した[8]

昭和初期は主にアメリカ製高級車パッカードを改造したものが多かったが、それは旧型の払い下げパッカードであった。戦前日本において上流層の自家用や官公庁の公用車として同車は好んで用いられ、ボディが老朽化した後も丈夫で高品質なエンジンとシャシは再利用に耐えたことから、霊柩車のベース車として多用された。イギリスでは同様な理由で最高級車ロールス・ロイス中古車が霊柩車に改造されて使用される事例が多く、「誰でもいつかはロールス・ロイスに乗れる」(=死んで棺に入った時)などと揶揄された。アメリカ車日本車欧州車に比べて概して大型であり、比較的遅い時期までボディとは独立したフレームを備えた旧い設計を踏襲していたことと、エンジンのトルクが大きいこともあり、重く大きな霊柩車ボディを載せやすく、日本では1990年代まで改造のベース車に好んで用いられていた。

2015年現在、日本では約6,000台が登録され、年間500台が更新されている。全国に約10社の改造メーカーがあり、特に手の込んだ改造ができる会社は6社である。そのほか、ワゴン車を改造したものや、湯灌設備を搭載したものも造られているが、すべてオーダーメイドである。光岡自動車は乗用車製造で培ったノウハウを応用し、個性的なフロントマスクのものを開発・販売している。

1990年代まではアメリカ製の「バン型」を輸入し使用することが多かったが、近年は国産車を改造したものが普及し、光岡自動車カワキタのようにアジア圏へ輸出するメーカーもある。葬儀関係車両の輸出は、国内メーカーではカワキタが最初となる。プリウスαメビウス)、クラウンフーガプラウディア)、ティアナカローラフィールダーリューギワゴン)、プロボックスサクシード)、アベンシスシャトルアテンザワゴンレガシィツーリングワゴンなど日本車のほか、ボルボベンツなど、どんな車両でも改造は可能という[9]

ボディーの色は多くが黒であるが濃紺や白等も需要が増え、ピンクなどバリエーションが増えてきている[10]

また日本人のライフスタイルや葬儀に対する考え方の変化から、西洋型の割合が増え宮型が減少している。衆目を集めたくない、ひっそりと葬儀を行いたいなどが理由とみられる[11]一方で「そもそも法的に宮型霊柩車が新造できなくなった」「ビジネス上の理由」などの事情もある。
詳細は後述#宮型から洋型へのシフトを参照の事。

また、バス型も増えている。この形状では見た目が通常のバスと変わらないため、一般的には霊柩車という認識が無い場合がある。バス型のベース車は大型観光バスからマイクロバスまで様々なサイズがある。

日本では「死のケガレ」の観念から、走っているのを見かけた場合は、親指を隠さないと死に目に会えないなどの迷信が一部地域にあり、親を連れて行かれないためのおまじないとされる場合もある[9]

前述したようにキリスト教圏においては、「死」を「ケガレ」と捉える日本とは異なり「天国への凱旋」と捉えるため霊柩車はタブー視されないため、欧米を中心に霊柩車のプラモデルミニカーもポピュラーなものとして販売されているが、日本ではほとんど製品化されていない。唯一の例外として、米沢玩具(現:アガツマ)のミニカー「ダイヤペット」が1980年にファンクラブ会員限定品として「リンカーン・コンチネンタル宮型霊柩車・神宮寺型四方破風大竜造」を限定発売した。製品の監修は、当時霊柩車の最大手メーカーであった米津工房(2002年倒産)が行っており、同社による解説書とお守りが同封されていた。  また同様に中古車も一般に売買されている模様で、Pimp My Ride Season-6 Ep.18ではキャデラック・フリートウッドの霊柩車がカスタムのベース車として登場した。

霊柩自動車

[編集]
大隈重信の棺を乗せた霊柩車(1922年)

形態

[編集]

様式は、おおむね宮型・洋型・バス型・バン型に分類される。これら4種とも、棺をスムーズに載せるためのレールと、棺を固定するためのストッパーが設けられている。通常の自動車の走行用ホーンとは別に、専用ホーンが装備されており出棺時に鳴らす。

霊柩車自体の価格が高額であることから、車種により葬儀費用が変動することが多く、ワンボックスカー、バス型、洋型、宮型の順に高額となる。

宮型

[編集]

高級乗用車ピックアップトラックを改造し、宗教的装飾(主に神社神輿寺院を模したもの)のある棺室を設置したもの。

ベース車の車種は、乗用車ではキャデラックブロアム、リンカーンタウンカートヨタ・クラウンなど、ピックアップトラックではハイラックスダットサントラックなどが用いられる。ピックアップトラックがベースの場合は、同メーカーの高級乗用車(クラウンセンチュリーシーマ等)のフロント部分を移植し(顔面スワップ)、宮型の架装を施すなどして威厳を持たせた上で、エンジンは種車となったピックアップトラックのものをそのまま用いる。

棺を収める部分は「棺室」と呼び、壁面や天井部分に極楽浄土を描いたもの、木彫りのの花などが描かれている。金細工や板細工、白木、金箔塗りなど、水気に弱い素材が多く用いられることから、雨天時の葬儀は透明なビニールカバーをかけて運用される。

宮型霊柩車は地域的な偏りが大きく、普及している地域とほとんど存在しない地域に分かれる。棺室は白木のものと漆塗りのものがある。関東地方の宮型霊柩車には白木のものは少なく、たいていは漆塗りである。白木の宮型霊柩車は関西の高級霊柩車に多くみられる。

ベース車が高価である上に、架装とそれに伴う補強がほぼ全て職人の手作業であることからさらに高額となり、新車を購入すると約2,000万円と言われる。

かつては中古車でも高額で取引される上に、用途が限られることから会葬事業者間で売買されることがほとんどであり、一般の市場に流通することは少なかった。現代では需要が減少したことで買い手が付かず、オークションに格安で出品されることもある[12]。外国人には非常に物珍しく見え、金細工や装飾が日本らしさの象徴と映るため、中古車の購入・輸出を試みる者もいる。

日本では人気が落ちている宮型であるが、モンゴルでは日本から輸入するほどの人気である。共産主義政権時代(1924 - 1992)に寺院が破壊されたという事情から「走る寺」として歓迎され、仏教復興に一役買っている。

2021年ミャンマーで軍事政権に抗議する市民デモが行われ、女性が死亡。各メディアで葬儀の映像が配信されたが、メルセデス・ベンツ・SクラスW220)の改造と思しきミャンマー風宮型霊柩車の姿が確認できる[13] [14]

韓国でも、喪輿(サンヨ)と呼ばれる伝統的な棺を運ぶ道具を模した[15]、日本の宮型霊柩車に似た霊柩車が製造されていたことがあるが、現在では改造する業者の撤退と、日本と同様に洋型霊柩車や霊柩バスに押されて、ほとんど見ることは無い。

洋型

[編集]
 
S170系クラウンエステートでの比較。洋型の特徴として全体的なフォルムは「エステートをランドウトップ化したもの」程度にとどまるが、実際にはエステートよりリアオーバーハングが長くなっており、リアバンパーとフェンダーアーチの間の部分にスペーサーとなるパネルが填められている。

ある程度以上の大型の高級乗用車やステーションワゴンを改造して作られる。荷台部分に取り付けられる装飾は、クラシックカーに見られるランドー・ジョイント(幌を開閉・固定する金具)を模している[16][17]ボディストレッチしてキャビンやリアオーバーハングを延長している場合が多く「リムジン型」と呼ばれることも多い。

車体色はやはり黒塗りが多いが、近年はパールホワイトやシルバー等が微増傾向にある。架装時のボディパネルの繋ぎ目等を隠すためなどから、多くはレザートップである。会葬者や親族が同乗できるよう後部座席が付けられている車や、前列3人乗りのベンチシートコラムシフト(いわゆる「ベンコラ」)仕様車もある。

特に架装部分は非常に重量があるため、ある程度の架装までは強度が確保できるフレーム式の車種をベースとすることが多かったが、いわゆる高級車でもモノコックボディの車が増え、宮型の架装には相応の補強が必要となり高額となった。ほぼ時を同じくして架装が比較的容易な洋型が増加した。

宮型のベース車ではトヨタ・クラウンワゴンや前出のキャデラックが使われていたが、洋型のベース車はトヨタ・クラウンエステート等の高級ワゴン車をボディストレッチしてリムジン化し使用することが多い。国内高級車の上級移行によってステーションワゴンが廃止されたため、3ボックスセダンをベースとするようになった。セダンを改造する場合は、通常は後部をステーションワゴンのような形にして屋根も高められる。

その一方で少数ながらフォーマル性を優先して、高級セダンを3ボックスのままリムジン化し、霊柩車らしさを抑えたタイプもある。このタイプは後部開口部を広げるため、デッキ付きのハッチバック(量産市販車でのわかりやすい例を挙げればダイハツ・アプローズなどがある)に改造されている。

従来はベース車に大型高級車を使うのが主流だったが、光岡自動車からステーションワゴンのトヨタ・カローラフィールダー(2代目、E140G型)をベースとしたおくりぐるま ミツオカリムジン type2-04(ニイゼロヨン)が発売された。2012年5月にベース車の新車販売が終了したため、現在は認定中古車として販売されている。

宮型から洋型へのシフト

[編集]

宮型霊柩車は数を減らしているが、その理由としては以下のような問題が挙げられる。

宮型霊柩車が忌避されるようになった

  • 宗教・思想の多様化への対応:宮型は仏式神式の葬儀にしか用いないが、洋型は宗教・宗派を問わず使用でき、仏式・神式の葬儀にも使用できる。昭和天皇大喪の礼の際も洋型が使用された。
  • 見た目が忌避される:日本人の宗教観や葬儀に対する意識の変化、ライフスタイルの変化(都市化や核家族化、家族葬などの流行など)から、2000年代中期以降(遠目からはランドゥトップ化したステーションワゴンにしか見えない洋型とは対照的に)、外観が目立ち過ぎる宮型への忌避感が強くなった。
  • 自治体が運営する火葬場を中心に、地元住民への配慮で宮型霊柩車の乗り入れを禁止する例が増加していること[18]。また、火葬場の建設を近隣住民に反対されている場合は「宮型を使用しないこと」が建設の条件になることもある。特に住宅地に近い新設斎場に関してはこの傾向が強い(例:名古屋市立第二斎場。従来の八事斎場は乗り入れ可能)[19]

宮型霊柩車の製造・購入・維持が難しくなった

  • コスト面の問題:重量の嵩む宮型霊柩車は、ベース車も重量・用途に耐えうる高額で頑丈な車両が必要となる上、職人による手作りで複雑な装飾・架装がなされることから、洋型霊柩車と比較しても車両価格が高額となる。これに加え、毎年払う自動車税車検費用などの固定費を差し引いたら、宮型の利用が少なくなれば赤字になる。一方、洋型霊柩車の場合小さいものでは光岡・リューギ(→トヨタ・カローラ)をベースにするモデルも存在しており、カローラがベースのため税込み700万円弱からの設定となっているなどイニシャル/ランニング双方のコストを抑制できる。[20]
  • そもそも適切なベース車がない:そもそも霊柩車の製造自体遺体を乗せるためリムジン化を伴う大規模な改造ではあるが、宮型はそこに加えピックアップトラック様にもしなければならない。そのような改造をするとなるとモノコック車よりラダーフレーム車のほうが容易[21]だが、一方のベース車は軽量化を企図してモノコック化(トヨタ・クラウンの場合、S150系(1995年 - )よりモノコックボディを採用)が推進されている。
  • 保安基準上の問題:特種用途自動車である霊柩車であっても、ベース車が乗用車であれば乗用車の外装突起規制が適用されるため、2009年(平成21年)以降に製造された車両では適用される保安基準のうち「外装突起規制」を満たせず登録することができない。つまり実質上「から宮型霊柩車の新造を禁じられる」事態になった。
  • 維持管理の問題:保安基準の改定により、ベース車が実質上2008年式以前に限定されるため、車両老朽化に対しても一般の旧車同様、補修パーツの絶版により維持修理が困難となる。また架装部分に関しても、彫金・木工職人の減少や高齢化で維持管理が難しくなっている。

こうした理由から、増車や経年劣化等による車両更新の際に、フレキシビリティに富んだ洋型に代替する業者もあり、葬儀社も宮型の取り扱いをやめるなど、宮型を選びたくても選べない状況になりつつある。

バス型(霊柩バス)

[編集]
バス型霊柩車(霊柩バス)
日野・セレガ(9m車)
2012年8月23日、岩手県で撮影。
増加する小規模な葬祭需要に対応するため観光バス仕様を構造改造したもので、中央部トランクスペースに棺箱収納が可能。
北海道・北陸・東北の霊柩バスでは7m車が主流で、客室内部に棺箱収納が多い中、東北運輸局管内での9m車は初登録となる。

バス型は、マイクロバスや中型・大型バスを改造して作られている。

地域限定の特例として棺のほか、遺族・僧侶神官牧師)・葬儀参列者などを乗せるスペースがある場合がある。地域的な差が大きく、特に冬季の気候が厳しいことから自宅葬が少なく葬儀会場葬が多い北海道などでは主流となっている。北海道では中型・大型の観光バスや送迎バスをベース車とするものもある。

フロントエンジン(キャブオーバー)のマイクロバスは後部に棺を収めるタイプが主であり、リアエンジンの中型・大型バスは床下中央部のトランクルームに設けられた棺室に収めるタイプが主である。

マイクロバスや前扉仕様の低床型送迎バスをベースにした霊柩バスでは、トランクルームそのものがない場合には棺室用にトランクルームが新たに設けられることが多く、また狭いながらもトランクルームがある場合には棺室のスペースを確保するために広げられる場合もある。これにより棺室の部分に当たる座席は撤去されている。

観光バスをベースにした霊柩バスでは、客室の床を通常より高い位置に配置した構造(いわゆるハイデッカー)により、座席を一切撤去することなく床下中央部のトランクルームに棺室が設けられる。このため、棺室の真上に当たる座席にロープを引っ掛けるフックが取り付けられており、棺を搭載する際にはロープを掛けた上でその座席を使用不可として扱い、棺を搭載しないときはロープを外した上でその座席を使用可として扱う。

バン型

[編集]

葬儀場所から火葬場や墓地まで遺体を搬送するのに使われるだけではなく、遺体を病院などから自宅、自宅から葬儀会場へ移動させる際にも用いられる。もっぱら後者の用途に使われるものについては、「寝台車」「搬送車」と呼ばれる。自宅から葬儀会場へ運ぶ場合は納棺を済ませている場合も多いので、棺を乗せられるようになっている。

ミニバンステーションワゴンを改造して作られ、後部座席を半分ほど撤去してストレッチャーごと遺体を乗せる台が取り付けられている。病院などへの乗り入れを考えてあえて装飾などを施さず、ナンバープレートと、前ドア下部の「限定」表記でしか、自家用乗用車やタクシーハイヤーと区別が付かないものもある。

首都圏では、前面・後面に「白地に緑十字」の「東京寝台自動車株式会社」の寝台車が有名(ただし同社の車両は生体の輸送にも用いる)。「一般旅客自動車運送事業」の許可に基づき、車検証の「車体の形状」欄は「霊柩車」「患者輸送車」となっている。

その他

[編集]

欧米では少数ながらオートバイやトライクなどによるバイク式の霊柩車を運用する葬儀社も存在する。これらの霊柩車は、棺室の搭載方法により、側車型、一体型(トライク型が大半だがオートバイ型もある)、トレーラー型に大別できる。さらに自転車を改造した側車型(一輪側車型の他に全四輪仕様のクワッドサイクル型も存在する)、トライク型(バイク式同様の後輪2輪型の他、前輪2輪タイプのリバーストライク型もある)など、さまざまな霊柩自転車が運用される。 また、アジアではトラックも霊柩車として利用される。

法令上の制限

[編集]

日本では、遺体を葬祭式場から火葬場土葬の場合は墓地)へ移動する際に使用される特種用途自動車である。

道路運送法では、遺体は貨物に区分される。許可の区分からも貨物自動車の一種として扱われるが、棺・遺体等の重量は積載量としてみなされないため、霊柩車には最大積載量は設定されない。

洋型や宮形を保有する葬儀社等は一般貨物自動車運送事業(霊きゅう限定)の認可を取得している。遺体は法律上「人」ではなく「物」であることから旅客運送には当たらないため、第二種運転免許は必要ではないが、しばしば喪主を助手席に乗せ営業運行するなどの理由で、葬儀社の内規により二種免許を保有する運転手のみを割り当てることもある。

バス型を保有する葬儀社等は、一般貸切旅客自動車運送事業(貸切バス事業)の認可が必要となる。遺体は「団体客の手荷物」として付随する荷物扱いとなるが、車両には棺を固定するスペースを設置することから用途が限定され、バスであっても8ナンバーの霊柩車となり、運転席ドア付近に「霊柩」の表示を要する。このためバス型霊柩車での営業運転には、車体の大きさに応じた二種免許(中型二種・大型二種)保有者による運行が必要となる。

軽バンをベース車とした軽自動車規格に収まる霊柩車も極めて少数だが存在し、事業用特種用途車(黒地に黄文字の8ナンバー)が交付される。この場合は軽貨物自動車運送事業に該当する。

車検証上の「車体の形状」を「霊柩車(621)」とする車両は、地方自治体等が使用する場合を除き、その用途を事業用自動車としてのみ登録できる。このため市中で見かける霊柩車はほぼ例外なく事業用の緑ナンバー車であり、運転席ドアに「限定」の表示がある。

外見上は霊柩車であっても、白ナンバー(自家用自動車)登録の場合は、8ナンバー(特種用途自動車)なら「患者輸送車」もしくは地方自治体等の保有する霊柩車であり、1・4ナンバー車(貨物自動車)の場合は「バン」型の貨物車として登録されている(霊柩車特有の見掛けの問題はさておき、要件を満たせば登録自体は可能)。1つの自治体()に対して保有台数の上限があると言われ、霊柩車を保有したい事業者の新規参入は、空き枠がある地方部を除いて難しいとされる。

2016年から2017年にかけて、国土交通省からの許可を得ずに白ナンバー車を霊柩車として運行していたとして、東京都神奈川県の葬祭業者5社が、2017年5月神奈川県警察から書類送検されている[22]

なお、地方運輸局長令により、霊柩車のレンタカー登録・貸出は行うことができない。

主なメーカー

[編集]
光岡・ガリューIII「おくりぐるま」

 

鉄道車両

[編集]

かつては鉄道車両にも「霊柩列車」が存在した。

鉄道院・鉄道省

[編集]

英照皇太后明治天皇及び大正天皇崩御の際に、その遺体を輸送するために轜車が製作された。皇族以外の者では病客車によって遺体が搬送された記録が残っており、東海道本線大磯から京都まで運ばれた新島襄や、東北本線東京から盛岡に運ばれた原敬の例がある。

名古屋市

[編集]

一般用としては、1915年大正4年)に名古屋市に市営の共同墓地と火葬場(八事霊園)が建設されたことに伴い、尾張電気軌道名古屋市電の前身の一つ)が墓地に線路を引き込み、既存の電車(9号とされるが、4号とする説もあり)を改造して霊柩電車を製作している。前述の轜車をプロトタイプとして製造されたと伝えられる[23]。この霊柩電車は、車体の中央部に棺を出し入れする幅1800mmの扉を設置し、会葬者とともに墓地まで運んだという。この霊柩電車は1935年(昭和10年)頃まで使用されたが、1931年(昭和6年)までとする説もある。

名古屋市以外の計画

[編集]
大阪
大阪では1915年(大正4年)に霊柩電車構想が浮上したが[24]第一次世界大戦開戦後に経済が復調すると大阪市人口は150万人を超え[25]都市化と相まって自動車が普及し、霊柩電車構想は実現しなかった[24]
東京
東京は江戸時代以来下町に人口が集中していたが、1916年(大正5年)頃から東京への人口集中がさらに進み、下町では住宅不足に陥っていた。そのため、雑木林やススキの草原だった武蔵野多摩で宅地開発が行われるようになり、火葬場も下町からこれらの地域に移転した。
1921年(大正10年)になると、当時はまだインターアーバン路面電車であった京王電気軌道(現・京王電鉄)に霊柩電車を走らせる計画が浮上した。京王線沿線には多磨霊園があり、京王線から霊園まで既存の道路に軌道を敷設することを想定していたが、大阪同様に都市化の進行とともに自動車が普及し、この計画も実現されなかった[26]

ロサンゼルス鉄道

[編集]

アメリカロサンゼルスの市内交通を担ったロサンゼルス鉄道が"Descanso"(安息・休憩の意)という愛称を持つ無番号で1910年製造の霊柩電車を保有していたことがあり、南カリフォルニア鉄道博物館保存されている[27]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 碑文谷創 (2008年6月27日). “<葬祭編:第35回> 宮型霊柩車が消える?! -変わりゆく葬儀の光景-”. セカンドステージ冠婚葬祭講座. 日経BP社. 2017年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月7日閲覧。
  2. ^ a b 久保洋一「19世紀イギリスの墓地 : 共同墓地を中心とした研究動向の整理」『歴史文化社会論講座紀要』第10巻、京都大学大学院人間・環境学研究科歴史文化社会論講座、2013年、51-105頁、hdl:2433/1716442019年5月26日閲覧 
  3. ^ 世界の葬送”. 公益社. 2017年2月7日閲覧。
  4. ^ 松涛弘道『世界の葬送』イカロス出版、2009年、101頁。 
  5. ^ フィリップ殿下の特注霊きゅう車を公開 自身も開発に携わり”. 毎日新聞 (2020年4月16日). 2021年4月18日閲覧。
  6. ^ 松涛弘道『世界の葬送』イカロス出版、2009年、127頁。 
  7. ^ a b c 利用者の皆様へ 霊柩自動車のご紹介”. 一般社団法人全国霊柩自動車協会. 2021年2月21日閲覧。
  8. ^ 沿革について”. 一柳葬具総本店. 2023年1月13日閲覧。
  9. ^ a b プリウスを真っ二つ!? 霊きゅう車「改造工場」に潜入した! 11月5日(木)16時14分配信 若林朋子
  10. ^ ど派手クラウン快走中 全身ピンク、出産送迎に霊柩車に:朝日新聞デジタル、閲覧2017年11月7日
  11. ^ 【教えて!goo】宮型霊柩車が減少した2つの理由(1/3ページ) 産経ニュース、閲覧2017年11月7日]
  12. ^ News Up 霊きゅう車は時代を映す鏡 NHK
  13. ^ ミャンマー 死亡した女子学生の葬儀に1万人(2021年2月21日)”. ANNnewsチャンネル (2021年2月22日). 2024年1月30日閲覧。
  14. ^ 動画:ミャンマー首都で女子学生の葬儀 デモで銃撃され死亡”. AFP (2021年2月22日). 2024年1月30日閲覧。
  15. ^ 「お墓」から韓国社会が見える!!(その4)”. 中日新聞 (2015年9月4日). 2024年1月20日閲覧。
  16. ^ トヨタ博物館 メルセデスベンツ 500K
  17. ^ 67.<この頃はやらない自動車談義ですが…> I.後期高齢車”. ダンディー先生のお茶飲み話 . Littera 逍遥雑信 <リテラ> (2008年7月29日). 2012年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月2日閲覧。
  18. ^ クラシカル霊柩車“絶滅”の危機…火葬場入場禁止の自治体も 「走る寺」アジア仏教国では人気(2ページ目) 産経WEST(産業経済新聞社)、2017年3月15日(2021年4月29日閲覧)。
  19. ^ 減少する「宮型霊柩車」 人気がなくなったワケ中京テレビ、2019年9月7日(2022年2月18日閲覧)
  20. ^ リューギセンターストレッチリムジン(光岡自動車公式、2023年3月21日閲覧)
  21. ^ 目的こそ異なるが、ラダーフレーム車のボディをピックアップ様に改造する事例としてはスズキ・ジムニーの通称「バンカット」(Bピラーより後ろのルーフを切除し、かつて設定されていたソフトトップ車のようにするカスタム)の事例が見られる
  22. ^ 無許可の車を霊きゅう車として使用 葬祭業者を書類送検 NHKニュース 2017年5月23日
  23. ^ 封印された鉄道史』p.46
  24. ^ a b 封印された鉄道史』(p45)
  25. ^ 大阪市交通局七十五年史』(p56)
  26. ^ 封印された鉄道史』(p44, p45)
  27. ^ 路面電車の技術と歩み』(p120)

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]