高松宮記念杯競輪

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高松宮記念杯競輪
概要
格付け GI
愛称 宮杯
概定番組 6日間トーナメント
主催者 滋賀県または大津市 - 1988年まで
大津市 - 2010年まで
持ち回り - 2011年以降
開催地 持ち回り
開催時期 6月
歴史
初回開催 1950年
初代優勝者 山本清治
最多優勝者 滝澤正光(5回)
直近優勝者 北井佑季(2024年)
Current event 第75回高松宮記念杯競輪
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高松宮記念杯競輪(たかまつのみやきねんはいけいりん)は、毎年6月に開催される、競輪のGI競走である。

2010年までは滋賀県大津市大津びわこ競輪場で開催された。同競輪場の廃止に伴い2011年より持ち回りとなった。

概要

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当大会は、1950年の第1回大会から2010年の第61回大会まで開催された大津びわこ競輪場を開設するにあたり、その選定地が近江神宮外苑であったことから、近江神宮に縁のある高松宮宣仁親王に賜杯の下賜を請願し、承諾を得たことに由来する。

1963年の第14回大会までは『高松宮同妃賜杯競輪』として、1964年の第15回大会から1972年の第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』として、1973年の第24回大会から1997年の第48回大会までは『高松宮杯競輪』としてそれぞれ行われ、1998年の第49回大会より現在の名称で行われている。

ファン・選手・関係者の間では親しみを込めて「宮杯(みやはい)」という略称で呼ばれる。また、例年6月という梅雨の時期に開催されることから「雨の宮杯」と呼ばれることもある。

当大会は「東西対抗戦」が謳われており、出場選手を東日本地区・西日本地区でそれぞれ分けた上で各地区ごとに予選を行うことが特徴である。かつては最終日の前日に東日本・西日本それぞれで決勝戦(他のGIでは準決勝戦に該当)を行い、それぞれ1 - 4着8名と5着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がる方式であった(レース後は1着選手が東日本王者または西日本王者として表彰された)。現在では5日目に東日本・西日本とも準決勝戦を2レースずつ行い、それぞれ1 - 2着8名と3着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がることになっている。

1992年の第43回大会限りで引退した中野浩一(同大会決勝戦2着)がグランドスラムに王手をかけながら唯一タイトルを獲得出来なかった特別競輪(GI)としても知られる。また、2004年の第55回大会に優勝した松本整や、2006年の第57回大会の内林久徳が大会直後や大会中に引退発表したレースでもある。

開催時期については、大津びわこ競輪場での固定開催であった時期は5月下旬〜6月上旬の間に開催されることが多かったが、持ち回りとなって以降、特に2012年の第63回大会以降は6月中旬(最終日は日曜日)での開催が続いている。

なお、第1回から第5回までは記念競輪(現在のGIII相当)として、第6回から第13回までは特殊競輪(現在のGII相当)として、それぞれ開催されており、特別競輪(現在のGI相当)として正式に認定されたのは1963年の第14回大会からであるが、第1回からほぼ6日間連続通しで開催されていたこともあり、現在では過去全ての優勝者を特別競輪を制覇した者として扱っている。

賞金

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以下は、第75回大会(2024年)の決勝戦における各着順の賞金額[1](単位:万円)。

( )内は副賞(1〜3着に授与)を含んだ金額[2]

1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 8着 9着
4,700
(4,790)
2,372
(2,412)
1,550
(1,574)
1,131.6 905.3 742.0 618.4 577.6 548.7

歴史

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1950年の大津びわこ競輪場開設記念開催となる第1回の『高松宮同妃賜杯競輪』では、高松宮が宮妃と共に決勝日に訪れ、賜杯となる優勝トロフィーを優勝者に自ら渡した。以降も高松宮は幾度も決勝日に来場し、決勝の表彰式に臨席するのが恒例となった。以後、1963年の第14回大会まで同名称で開催された。

1964年第15回大会から1972年第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』の名称で開催され、1973年第24回大会から長らく『高松宮杯競輪』として開催されてきたが、1997年第48回大会の直前に皇室経済法等の規定により高松宮家から「下賜を取りやめたい」という申し出がなされたため、一時は高松宮杯競輪の開催が危ぶまれるという事態に陥った。最終的に同年はそのまま「高松宮杯競輪」として開催されたが、翌1998年第49回大会からは『高松宮記念杯競輪』と改称することで落ち着いた[3]

1999年第50回大会からはそれまでの6日制から4日制へと改められ、2002年第53回からそれまでの特別競輪という呼称に代わりグレード制が採用されたためGI競走に格付けされた。

2010年第61回大会では総売上が目標額(133億円)に達しなかっただけでなく、大津市が競輪事業の存廃の分岐点と定めた110億円をも下回る107億4605万1900円に留まったことから、大津市は2010年度末(2011年3月末)をもって競輪事業と大津びわこ競輪場の廃止を決定した[4]。このため高松宮記念杯自体の存続も議論されたが開催は継続されることになり、2011年度以降は他の特別競輪同様に開催を希望する競輪場での持ち回りで実施されることになり[5]、現在に至っている。ただ、持ち回りとなって以降は、大津びわこ競輪場と同じ近畿の岸和田競輪場が積極的に誘致しており、2011年以降2023年までで通算8回開催しており、それ以降も開催地が決定している2025年まで5年連続して開催予定(通算10回目となる開催予定)である。

2020年の第71回大会はCOVID-19の流行と感染拡大の防止の観点から、競輪のGI競走としては初めての無観客開催として開催が行われた[6][7]2021年の第72回大会は、緊急事態宣言の期間延長及び大阪府からの要請を受けて、前半2日間(6月17日・18日)は入場制限あり(事前申し込みはなし)の有観客での開催[注 1]で、後半2日間(19日・20日)は無観客での開催で、それぞれ行われた[8]

2023年の第74回大会からは、4日制から25年ぶりに6日制へと再び戻された[9][10]。その上で、ガールズケイリンによる東西対抗のトーナメントが組み込まれ[11]、のちそのレースがガールズケイリン初のGI『パールカップ』として行われること[12]大阪・関西万博に協賛することも併せて発表された。また、4年ぶりに入場制限も撤廃された[注 2]

2024年の第75回大会は、令和6年能登半島地震を受け、令和6年能登半島地震復興支援競輪として実施される。

出場選手選抜方法

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高松宮記念杯競輪の出場選手は、東西対抗の趣旨に則り、東地区と西地区に分かれて選抜される。

  • 東地区…北日本地区・関東地区・南関東地区のいずれかに在籍する選手
  • 西地区…中部地区・近畿地区・中国地区・四国地区・九州地区のいずれかに在籍する選手

毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手108名(東西54名ずつ)、補欠選手10名(東西5名ずつ)を選抜する[13]

  • 選考期間…前年10月〜当年3月(6ヶ月)、選考月…4月、最低出走回数…24出走(但し変更になる可能性がある)
  1. S級S班在籍者
  2. 過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)
  3. 選手選考対象期間において2ヶ月以上JCFトラック種目強化指定(A)に所属した者(開催時S級1班所属が条件)
  4. 平均競走得点上位者を東西別に順次選抜(同点の場合は賞金獲得額上位者を優先)

なお、補欠選手は正選手を除く平均競走得点上位者から東西別にさらに順次選抜される。

勝ち上がり方式

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この大会は、他のどの競輪開催とも異なり、『高松宮杯競輪』となった1973年第24回大会以降は「東西対抗戦」の形式をとっているのが特徴である。

これは、準決勝までの勝ち上がり戦について、東日本(競輪の地区でいう北日本・関東・南関東、したがって静岡・長野・新潟以東)、西日本(中部・近畿・中国・四国・九州、したがって愛知、岐阜、富山以西)で分かれてレースを行い、準決勝を勝ち抜いた東西各4名及びワイルドカードとなる1名によって決勝戦が行われるというものである。

2023年の第74回大会より、それまでの4日制から6日制に拡張され、それに合わせた番組体系となった。一次予選は競輪祭オールスター競輪と同じく2走合計でのポイント制となり、競輪祭と同じく一次予選においては特別選抜が廃止され全員フラットな条件からスタート。前半3日間のうち2走で獲得したポイントにより東西各36名の二次予選進出者を決定し、そのうち上位の東西各9名が4日目に行われる優秀競走(二次予選特別選抜)として白虎賞(西日本)・青龍賞(東日本)に進出する。5日目の準決勝は、東日本・西日本それぞれ2レースずつ行われ、すなわち合わせて4レース行われるのは全競輪の開催の中で唯一であり、決勝進出が確約される着順が2着以上となるのも特別競輪の中で唯一となっている。

なお、敗者戦は東西関係なく番組編成される。

2023年からの番組(勝ち上がり戦のみ)

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初日 0002日目000 0003日目000 0004日目000 0005日目000 最終日
一次予選1(東)
(4)(2)
一次予選2(東)
(2)(4)
二次予選(東)
(3)
青龍賞(1) 準決勝(東)(2)
 優秀  0決勝(1)0
西 白虎賞(1) 準決勝(西)(2)
一次予選2(西)
(2)(4)
二次予選(西)
(3)
一次予選1(西)
(4)(2)
敗者戦 00-00 (4) (8) (11)
ポイント[14] 1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 8着 9着 棄権
一次予1 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
一次予2 13 11 9

5日目までの勝ち上がり戦については全て、西暦下1ケタが奇数の年は、奇数のレースでは西日本、偶数のレースでは東日本、それぞれのレースが交互に行われる。一方、西暦下1ケタが偶数の年は、奇数のレースでは東日本、偶数のレースでは西日本、それぞれレースが交互に行われる。

  • 1 - 3日目
「一次予選」 2024年は初日が第1~第4レースと第9レース~第12レース、2日目は第1~第4レースと第7~第10レース、3日目は第1~第4レースと第7~第11レースで行われる[注 3]。各選手2回(1日目・2日目<第7~第10レース>、1日目・3日目、2日目<第1~第4レース>・3日目の3パターンのうちいずれか)出走し、東日本・西日本それぞれ合計ポイント1~9位が4日目の優秀競走(二次特別選抜予選)である青龍賞(東日本)または白虎賞(西日本)に進出、合計ポイント10~36位が二次予選進出。なお、獲得した合計ポイントが同一の場合は、選考順位上位の者が優先される。一次予選では現行のポイント制となってからはシードレースである特別選抜予選はなく[注 4]、また一次予選が行われる3日目までは、欠場選手が発生した場合でも選手の補充は行わないことになっている。
  • 4日目
「二次予選」 第5〜第10レースで行われる。各レース1~3着9名が「準決勝」進出。
「白虎賞」 第11レースまたは第12レース(年次による)で行われる、西日本の優秀競走(二次特別選抜予選)。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
「青龍賞」 第11レースまたは第12レース(年次による)で行われる、東日本の優秀競走(二次特別選抜予選)。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
  • 5日目
「準決勝」 第9~第12レースで行われる。各レース1~2着8名と、3着4名のうち青龍賞又は白虎賞の上位入賞者(存在しない場合は二次予選の上位入賞者)1名が選出され「決勝」進出。
  • 6日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着は表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。

一次予選では特別選抜競走がないため、出場選手全員が同じ条件で開催を迎える。また強制帰郷はないため、失格・途中欠場がなければ全員最終日に出走できる。

過去の勝ち上がり方式

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2001年の第52回大会までは予選(一次予選、二次予選)と準決勝は東日本(関東・南関東以東)と西日本(中部以西)に分かれてそれぞれで勝ち上がりを行い、決勝では東西の各準決勝(東・西王座決定戦)の1〜4着4人ずつと5着2名の中から競走得点上位1名が進出するという体裁だった。

2002年から2012年

2002年の第53回大会から番組が変更となり、東西対抗戦のタイトルこそ残しているものの、その前哨戦として2月に「東西王座戦」(GII)と題してそれぞれの地区でトライアル競走を開催し、その成績を基に本戦の出場を争う形となった。なお本戦はこれまでの東西の地区分けをせず他のGI競走と同じように勝ち上がりを行っていたが、2004年第55回大会からは一次予選および初日の特別選抜予選のみ東西地区分けが行われ、二日目以降は東西混合戦という形になった。

2004年から2012年の勝ち上がり方式
 
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
  • 初日
「一次予選」 合計8レース(東西4レースずつ)行われ、各レース1着8名が「二次予選A」、2〜3着16名と4着のうち平均競走得点上位3名が「二次予選B」進出。
「選抜予選」 合計2レース(東西1レースずつ)行われ、各レース1〜5着10名が「二次予選A」、6〜9着8名が「二次予選B」進出。
「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西)  一次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、各レース1〜4着8名と5着2名のうち選考順位上位1名は2日目の「龍虎賞」と、3日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。各レース5着2名のうち選考順位下位1名と6〜9着8名は「二次予選A」進出。
  • 2日目
「二次予選B」 合計3レース行われ、各レース1〜2着6名が「準決勝」進出。
「二次予選A」 合計3レース行われ、各レース1〜4着12名が「準決勝」進出。
「龍虎賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
  • 3日目
「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
  • 4日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
「特別優秀」 「決勝」の前に2レース行われる。「準決勝」各レース4〜6着9名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」各レース1〜3着9名の18名により行われる。

その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。

2013年から2016年

2013年の第64回大会から東西王座戦の廃止に伴いさらに番組が変更となり、初日の選抜予選が廃止され、二次予選もA・Bの分割予選がなくなり、勝ち上がり条件を3着までとする統一的な予選として行われることになった。なお、選抜予選の廃止により一次予選の勝ち上がり条件も緩和されている。

2013年から2016年の勝ち上がり方式
 
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レース[注 5]が行われる。
 優秀  初日 0002日目000 0003日目000 最終日
龍虎賞(1) 準決勝(3)
青龍賞(1)
白虎賞(1)
二次予選(6) 00決勝(1)00
一次予選(10)
敗者戦 00-00 (5) (9) (10)
  • 初日
「一次予選」 合計10レース(東西5レースずつ)行われ、各レース1~4着40名と5着のうち平均競走得点上位5名が「二次予選」進出。
「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 一次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、各レース1〜4着8名と5着2名のうち選考順位上位1名は2日目の「龍虎賞」と、3日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。各レース5着2名のうち選考順位下位1名と6〜9着8名は「二次予選」進出。
  • 2日目
「二次予選」 合計6レース行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
「龍虎賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
  • 3日目
「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
  • 4日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
「特別優秀」 「決勝」の前に2レース行われる。「準決勝」各レース4〜6着9名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」レース1〜3着9名の18名により行われる。
「ガールズケイリンコレクション」 2015年のみ実施。女子選手による一発勝負。

その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。

2017年

2017年の第68回大会では、「東西対抗戦」をより明確に打ち出し、準決勝まで東西の選手が分かれる番組へと変更(2001年の第52回大会までの番組体系を復活)し、2日目は二次予選のみで優秀競走は廃止された。3日目の準決勝は2個レースとなり、これらの準決勝はそれぞれ、東王座戦西王座戦と位置付けられることになった[15][16]

2017年の勝ち上がり方式
 
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
初日 0002日目000 0003日目000 最終日
一次予選(東)(5)
青龍賞(1) 二次予選(東)(3)
準決勝(東)(1)
0決勝(1)0
西 準決勝(西)(1)
白虎賞(1) 二次予選(西)(3)
一次予選(西)(5)
敗者戦 00-00 (6) (10) (10)
  • 初日
「一次予選」 合計10レース(東西5レースずつ)行われ、各レース1~3着30名と4着のうち6名が「二次予選」進出。
「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 一次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、全18名(失格は除く)が「二次予選」進出。
  • 2日目
「二次予選」 合計6レース(東西3レースずつ)行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
  • 3日目
「準決勝」 後半2レース。各レース1〜4着8名と、5着2名のうち二次予選着順上位1名が「決勝」進出。(同着の場合は、青龍賞・白虎賞回りが優先)
  • 4日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
「特別優秀」 「決勝」の前に2レース行われる。「準決勝」5着2名のうち決勝に進めなかった1名および6〜9着8名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」レース1〜2着8名および3着4名のうち1名の、18名により行われる。

その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。

最終日の競走が全11レースしか設定されないため、3日目「一般」各レースの7〜9着9名が、最終日を待たずに強制的に(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる。

2018年から2022年

2018年の第69回大会からは、準決勝が4個レースとなった。また、一次予選の1着選手が2日目の優秀競走へ進出することができるようになった[17]

2018年から2022年の勝ち上がり方式
 
4日日ともに12レース制(従来は2015年を除き最終日は11レース制だった)[18][19]
初日 0002日目000 0003日目000 最終日
一次予選(東)(5)
特選予選(東)(1) 二次予選(東)(3)
青龍賞(1) 準決勝(東)(2)
 優秀  00決勝(1)00
西 白虎賞(1) 準決勝(西)(2)
特選予選(西)(1) 二次予選(西)(3)
一次予選(西)(5)
敗者戦 00-00 (4) (8) (11)
  • 初日
「一次予選」 合計10レース(東西5レースずつ)行われ、1着10名が「青龍賞」か「白虎賞」へ進出。2〜5着40名と6着のうち4名が「二次予選」進出。
「特別選抜予選」 合計2レース(東西1レースずつ)行われ、1〜4着8名が「青龍賞」か「白虎賞」へ進出。5〜9着10名が「二次予選」進出。
  • 2日目
「二次予選」 合計6レース(東西3レースずつ)行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 二次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、全18名(失格は除く)が「準決勝」進出。
  • 3日目
「準決勝」 合計4レース(東西2レースずつ)行われ、各レース1〜2着8名と、3着4名のうち青龍賞又は白虎賞の上位入賞者1名が選出。(もし存在しない場合は2次予選の上位入賞者が選出。)
  • 4日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。

従来、青龍賞(東日本)・白虎賞(西日本)は初日の特別選抜予選だったが、2日目の優秀競走(2016年の第67回大会までは龍虎賞2006年の第57回大会まではマザーレークカップという名称で1個レース)の位置付けになった。

過去の優勝者

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開催年 開催場 優勝者 府県 東西
1 1950年 大津びわこ 山本清治 27大阪 西
2 1951年
3 1952年 高倉登 11埼玉
4 1953年 松村憲 39高知 西
5 1954年 中井光雄 25滋賀
6 1955年
7 1956年
8 1957年 西村亀 35山口
9 1958年 加藤晶 26京都
10 1959年 山本清治 27大阪
11 1960年 石田雄彦 30和歌山
12 1961年 笹田伸二 36徳島
13 1962年
14 1963年 高原永伍 14神奈川
15 1964年 戸上守 40福岡 西
16 1965年 白鳥伸雄 12千葉
17 1966年 宮路雄資 43熊本 西
18 1967年 平間誠記 04宮城
19 1968年 吉川多喜夫 14神奈川
20 1969年 高原永伍
21 1970年 田中博 10群馬
22 1971年 稲村雅士
23 1972年 福島正幸
24 1973年 太田義夫 12千葉
25 1974年 荒木実 26京都 西
26 1975年 藤巻清志 14神奈川
27 1976年 荒木実 26京都 西
28 1977年 谷津田陽一 14神奈川
29 1978年 阿部良二 03岩手
30 1979年 荒川秀之助 04宮城
31 1980年 藤巻昇 01北海道
32 1981年 久保千代志 23愛知 西
33 1982年 伊藤豊明 38愛媛
34 1983年 尾崎雅彦 13東京
35 1984年 佐々木昭彦 41佐賀 西
36 1985年 滝澤正光 12千葉
37 1986年
38 1987年
39 1988年 井上茂徳 41佐賀 西
40 1989年 滝澤正光 12千葉
41 1990年 鈴木誠
42 1991年 佐々木昭彦 41佐賀 西
43 1992年 滝澤正光 12千葉
44 1993年 井上茂徳 41佐賀 西
45 1994年 神山雄一郎 09栃木
46 1995年
47 1996年 吉岡稔真 40福岡 西
48 1997年
49 1998年 高木隆弘 14神奈川
50 1999年 太田真一 11埼玉
51 2000年 金子真也 10群馬
52 2001年 高木隆弘 14神奈川
53 2002年 山口富生 21岐阜 西
54 2003年 小嶋敬二 17石川
55 2004年 松本整 26京都
56 2005年 村本大輔 22静岡
57 2006年 山崎芳仁 07福島
58 2007年 小嶋敬二 17石川 西
59 2008年 渡邉晴智 22静岡
60 2009年 平原康多 11埼玉
61 2010年
62 2011年 前橋 深谷知広 23愛知 西
63 2012年 函館 武田豊樹 08茨城
64 2013年 岸和田 成田和也 07福島
65 2014年 宇都宮 稲川翔 27大阪 西
66 2015年 岸和田 武田豊樹 08茨城
67 2016年 名古屋 新田祐大 07福島
68 2017年 岸和田
69 2018年 三谷竜生 29奈良 西
70 2019年 中川誠一郎 43熊本
71 2020年 和歌山 脇本雄太 18福井
72 2021年 岸和田 宿口陽一 11埼玉
73 2022年 古性優作 27大阪 西
74 2023年
75 2024年 北井佑季 14神奈川

女子優勝者(高松宮妃賜杯競輪)

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開催場は全てびわこ競輪場

開催年 優勝者 府県
1 1950年 渋谷小夜子 14神奈川
2 1951年
3 1952年
4 1953年 山内寿子 42長崎
5 1954年 田中和子 29奈良
6 1955年
7 1956年
8 1957年
9 1958年 畑田美千代 26京都
10 1959年 松本喜登美 35山口
11 1960年 加古政子 10群馬
12 1961年 中村金子 43熊本
13 1962年 松川光子 37香川
14 1963年 川崎喜登美[注 6] 35山口
15 1964年 石村美千代

パールカップ優勝者についてはこちらを参照。

今後の開催予定

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  • 第75回 - 2024年 (令和6年) 6月11日〜16日 - 岸和田競輪場 (4年連続9回目)
  • 第76回 - 2025年 (令和7年) 6月17日〜22日 - 岸和田競輪場 (5年連続10回目)

エピソード

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  • 昭和期の女子競輪が廃止される直前まで、『高松宮妃賜杯競輪』という名称で女子の競走も併せて行われていたが、1964年10月を以って女子競輪が廃止されたため、同年度を最後に高松宮妃賜杯競輪も併せて廃止され、以降長きにわたり男子のみで行われた(高松宮賜杯競輪 → 高松宮杯競輪 → 高松宮記念杯競輪)。
  • 平成以降で、高松宮記念杯競輪にてGI初優出かつ初優勝を果たしたのは、3名。
  • 大会連続出場記録は、神山雄一郎の26回(第45回 - 第70回)[22]
  • 第53回(2002年)では、山口富生が初優勝、そして初のGIタイトルを獲得。既に兄の山口幸二はGI(当時は「特別競輪」)タイトルを獲得しており、競輪界では史上2例目となる兄弟GIタイトル獲得の快挙となった。ただ、表彰式では兄・幸二が富生を乗せてカートを運転して入場するなど、逆に兄の方が目立っていた[24]。ちなみに兄・幸二は先に引退したが、富生は54歳となった第75回2024年)にて高松宮記念杯競輪に5年ぶりに出場しており息の長い活躍を続けている。
  • 第55回(2004年)では、松本整が45歳0か月で優勝し、自身が持っていたGI最年長優勝記録を更新した。ただ、松本はそれまでの経緯(詳細は本人の項目を参照)から既にこの時点で半年前には当大会をもっての引退を決めており、当日の優勝会見にて突然の現役引退を表明し、会見場をざわつかせた[24]ほか、一部のスポーツ紙では翌日付の一面に見出しが掲載されるなど大きな反響を呼んだ。
  • 第56回(2005年)では、「雨の宮杯」と呼ばれる通り、3日目は10レース準決勝戦の直前に集中豪雨となり、バンクが冠水。急遽消防ポンプ車を出動させ、バンクに溜まった水をバンク内の芝生部分に排水して、約50分遅れでレースが再開された[24]。また、最終日の表彰式では、優勝した村本大輔がゴルゴ松本TIM)の持ち芸である「命!」のパフォーマンスを行った。

決勝戦テレビ中継

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脚注

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注釈

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  1. ^ 実際には、初日の2,280名が最高だった。
  2. ^ 実際には、最終日の4,783名が最高だった。
  3. ^ 2023年は、各日とも第1~第8レースで行われた。
  4. ^ 高松宮記念杯以外のビッグレースでは、共同通信社杯GII)において特別選抜予選がないほか、競輪祭オールスター(いずれもGI)において一次予選では特別選抜予選がない。なお、オールスターでは一次予選においては従来通りファン投票による得票最上位18名により「ドリームレース」または「オリオン賞レース」が行われるため、この2つのレースにおいては他の一次予選レースよりもポイントを優遇することで事実上のシードレースとしている。
  5. ^ 2015年のみ最終日も12レースが行われた。
  6. ^ 旧姓・松本
  7. ^ 系列局では、2008年までびわ湖放送制作の中継をネットして放送された事もある。
  8. ^ 2012年2013年は、地上波中継が無かった。
  9. ^ BS朝日で、「第66回高松宮記念杯競輪中継 S級探偵社」として放送されている。

出典

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  1. ^ 高松宮記念杯競輪(GⅠ)(ST8) (PDF) 副賞を含まない金額
  2. ^ “【競輪】郡司浩平が突っ張り先行で北井佑季Vに貢献 脇本雄太の反撃は及ばず/岸和田G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年6月17日). https://www.nikkansports.com/public_race/keirin/takamatsunomiya/2024/photonews/photonews_nsInc_202406170000154-0.html 2024年6月17日閲覧。 
  3. ^ 中央競馬にもかつて「高松宮杯」があったが、それも後に同様の申し出が行われたことで、現在の高松宮記念へと改称された。
  4. ^ びわこ競輪 廃止、大津市方針 60年で幕 京都新聞 2010年9月17日閲覧
  5. ^ 平成24年度以降の特別競輪等の見直し及び平成23年度高松宮記念杯競輪開催場について(2011年1月26日) Keirin News 2011年1月26日閲覧
  6. ^ 6月18日からの高松宮記念杯は無観客で実施 - 日刊スポーツ、2020年5月29日
  7. ^ 高松宮記念杯競輪も無観客での開催が決定 - サンケイスポーツ、2020年5月29日
  8. ^ 第72回高松宮記念杯競輪(GI)の開催について”. KEIRIN.JP (2021年5月31日). 2021年5月31日閲覧。
  9. ^ 2023年より高松宮記念杯競輪(G1)が6日制へ - More CADENCE、2022年9月30日
  10. ^ 【競輪】GⅠ高松宮記念杯が4日制から6日制へ - 東スポWEB、2022年9月30日
  11. ^ 【ガールズケイリン】ビッグレース新設! 優勝者にはガールズグランプリ出場権を付与 - 東スポWEB、2022年9月30日
  12. ^ “ガールズケイリンに3つのG1を新設! 各優勝者には年末のガールズグランプリ出場権”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年12月13日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202212130000377.html 2022年12月13日閲覧。 
  13. ^ 選考基準 ⇒ ここから「高松宮記念杯競輪(GI)」をクリック
  14. ^ 第74回高松宮記念杯競輪特設サイト - 岸和田けいりん
  15. ^ 高松宮記念杯競輪(GI)の概定番組について
  16. ^ 競輪・宮杯の勝ち上がりを変更 - 西日本新聞、2017年2月1日
  17. ^ 【記者コラム】〝原則〟から離れた変更 宮杯の勝ち上がり - 競輪スポニチ、2018年6月15日(中林陵治 6月14日付・東京版掲載)
  18. ^ 平成30年度高松宮記念杯競輪 概定番組
  19. ^ 2人の優勝者がガールズGPへ 競輪祭など番組変更 - 日刊スポーツ、2018年1月26日
  20. ^ 近畿競輪二十年史p.211-217。近畿競輪運営協議会、1968年12月1日発行
  21. ^ 2018年版競輪年間記録集(35〜37頁)” (PDF). KEIRIN.JP. 2019年5月7日閲覧。
  22. ^ 競輪年間記録集2022年版(133頁)” (PDF). JKA (2023年10月31日). 2024年8月28日閲覧。
  23. ^ 高松宮記念杯競輪(GI)連続出場選手の表彰について”. keirin.jp (2024年6月11日). 2024年6月13日閲覧。
  24. ^ a b c 坂上忍の勝たせてあげたいTV〜高松宮記念杯競輪 日本のライバル国に潜入取材SP”. TVでた蔵 (2024年6月16日). 2024年6月18日閲覧。

外部リンク

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関連項目

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