高石和道
高石 和道(たかいし かずみち、生年不明 - 1878年(明治11年)7月26日[1])は、明治時代の官吏。中野県大参事。本姓は源、通称は幸次[1]。
経歴
[編集]福島県士族[1]。明治政府に出仕し、1869年(明治2年)初め頃、営繕判司事を拝命し、1870年(明治3年)土木大佑に任じた[1]。
同年10月9日、中野県大参事に任じ[2]、翌11月20日まで務めた[3]が、中野騒動に遭遇し、逃亡した。 その後、1872年(明治5年)頃、土木助に任じ、1875年(明治8年)6月25日、工部省六等出仕、同年11月30日、営繕助に復した[1]。
栄典
[編集]- 位階
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 保科保 編『地方沿革略譜』報告社、1882年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。