鹿島郡
鹿島郡(かしまぐん)は、石川県(能登国)の郡。ここでは前身にあたる能登郡(のとぐん)についても記述する。
人口15,491人、面積89.45km²、人口密度173人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 中能登町(なかのとまち)
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。
- 七尾市の大部分(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬を除く)
- 羽咋市の一部(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町)
歴史
[編集]古代
[編集]当初は能登郡(のとぐん)という名称であった。元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に羽咋郡・鳳至郡・珠洲郡とともに分立して能登国となり、七尾に国府が置かれた。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。後に鹿島郡に改名した。古代の郡域は後の鳳至郡(現・鳳珠郡)の中ほどを東西に走る稜線の南側までを含んだと考えられている。
近世以降の沿革
[編集]- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[3]。幕府領は加賀藩預地。旗本領は土方氏領。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(1町191村)[4]
明治初年の1町232村
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 17村 | 黒崎村、外村、田岸村、別所村(現・七尾市中島町別所)、深浦村、谷内村、下村(現・七尾市下町)、八幡村、熊淵村、山崎村、花園村、東浜村、大泊村、佐々波村、庵村、江泊村、大野木村 |
旗本領 | 5村 | 清水平村、小栗村、槙山村、柑子山村、外林村 | |
藩領 | 加賀藩 | 1町 163村 | 七尾町[5]白馬村、満仁村、奥原村、直津村、古府村、《藤野村》、般若野村、和倉村、藤橋村、舟尾村、細口村、国分村、池崎村、松百村、《新保村》、赤浦村、《赤浦新村》、津向村、小島村、古城村、《後畠村、竹町村、古屋敷村、小池川原村》、所口村、矢田村、《矢田新村》、府中村、菅沢村、大田村、《大田新村》、沢野村[6]、麻生村、佐味村、殿村、三室村、《町屋村》、岡村、万行村、佐野村、須能村、上湯川村、鵜浦村、二宮村、八田村、《中挟村》、国下村、坪川村、三階村[7]、若林村、在江村、千野村、久乃木村、西村、武部村、江曽村、今羽坂村、新庄村、飯川村、多根村、浜田村、上町村、宮前村、横田村、山戸田村、外原村、中島村、長浦村、小牧村、八ヶ崎村、曲村、須曽村、南村、祖母ヶ浦村、二穴村、佐波村、久木村、《田尻村》、半浦村、無関村、通村、閨村、野崎村、《小浦村》、別所村(現・七尾市能登島別所町)、向田村、日出ヶ島村、鰀目村、長崎村、酒井村、四柳村、大町村、小金森村、高畠村、《高畠村原山分》、小田中村、《小田中村原山分》、久江村、《久江村原山分》、藤井村、尾崎村、水白村、小竹村、東馬場村、浅井村、最勝講村、井田村、芹川村、《芹川村原山分》、徳前村、鹿島路村、金丸村、《金丸出村》、祖祢村、下曽祢村、能登部下村、上村、能登部下村後山分[8]、上村後山分[8]、西馬場村、良川村、羽坂村、末坂村、春木村、大槻村、瀬戸村、花見月村、黒氏村、一青村、三階村、温井村、伊久留村、七原村、吉田村、下村(現・七尾市西下町)、杉森村、高田村、田鶴浜村、川尻村、三引村、深見村、《白浜村》、大津村、塩津村、笠師村、《笠師新村》、豊田村、河崎村、土川村、萩屋村、潟崎村[9]、福田村[10]、徳丸村[10]、深沢村[10]、廿九日村[10]、蟻ヶ原村[10]、天神川原村[10]、新屋村[10]、垣吉村[10]、鶴尾尻村[10]、筆染村[10]、奥吉田村[10]、崎山村[10] |
幕府領・藩領 | 幕府領・加賀藩 | 5村 | 横見村、瀬嵐村、祖浜村、川田村、石崎村 |
その他 | 寺社領 | 1村 | 石動山[11] |
- 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
- 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[12]。
- 明治4年
- 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
- 明治初年
- 日用川河口両岸より奥吉田新村が起立。(1町192村)
- 別所村(現・七尾市能登島別所町)が改称して島別所村となる。
- 明治8年(1875年) - 槙山村が小栗村に合併。(1町191村)
- 明治11年(1878年)12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての鹿島郡が発足。郡役所が七尾町に設置。
- 明治14年(1881年) - 三階村が二宮川を境に分割され、東三階村・西三階村となる。(1町192村)
- 明治17年(1884年) - 下村(現・七尾市西下町)が改称して西下村となる。
- 明治20年(1887年) - 萩屋村が土川村に合併。(1町191村)
町村制以降の沿革
[編集]町村制施行時の1町30村
- 七尾町 ← 七尾町[5]、府中村[一部]、藤橋村[一部]、所口村[一部]、小島村[一部]
- 余喜村 ← 大町村、四柳村、酒井村、金丸出村、下曽弥村(現・羽咋市)
- 鹿島路村 ← 鹿島路村、潟崎村(現・羽咋市)
- 御祖村 ← 高畠村、高畠村原山分、小金森村、福田村、藤井村、小田中村、祖祢村、小田中村原山分(現・中能登町)
- 能登部村 ← 能登部下村、能登部下村後山分、徳丸村、上村、上村後山分、西馬場村(現・中能登町)
- 鳥屋村 ← 良川村、一青村、黒氏村、深沢村、新庄村、春木村、川田村、大槻村、末坂村、羽坂村、今羽坂村、廿九日村(現・中能登町)
- 滝尾村 ← 小竹村、水白村、久江村、久江村原山分、尾崎村、井田村、東馬場村、最勝講村(現・中能登町)
- 越路村 ← 二宮村、芹川村、芹川村原山分、浅井村、徳前村、武部村、石動山、坪川村、在江村、蟻ヶ原村、西村、久乃木村(現・中能登町)
- 南大呑村 ← 黒崎村、花園村、東浜村、大泊村、山崎村、熊淵村
- 北大呑村 ← 佐々波村、菅沢村、須能村、麻生村、小栗村、清水平村、外林村、江泊村、柑子山村、庵村、大野木村
- 崎山村 ← 上湯川村、岡村、三室村、鵜浦村
- 東湊村 ← 佐味村、万行村、佐野村、大田村、沢野村、殿村、大田新村
- 矢田郷村 ← 府中村[大部分]、藤橋村[大部分]、所口村[大部分]、天神川原村、藤野村、後畠村、竹町村、古屋敷村、古城村、古府村、矢田村、小池川原村、矢田新村
- 徳田村 ← 八幡村、千野村、国下村、中挟村、多根村、八田村、白馬村、細口村、国分村、若林村、飯川村、江曽村、下村
- 西湊村 ← 小島村[大部分]、津向村、直津村、赤浦村、赤浦新村、松百村、新保村、祖浜村
- 端村 ← 新屋村、川尻村、垣吉村、舟尾村、奥原村、和倉村
- 高階村 ← 西三階村、町屋村、温井村、池崎村、般若野村、東三階村、満仁村
- 相馬村 ← 伊久留村、七原村、吉田村、西下村(現・七尾市)、瀬戸村、花見月村(現・中能登町)
- 田鶴浜村 ← 田鶴浜村、鶴尾尻村
- 赤蔵村 ← 三引村、高田村、杉森村
- 金ヶ崎村 ← 白浜村、深見村、大津村
- 笠師保村 ← 筆染村、笠師村、笠師新村、塩津村
- 豊川村 ← 豊田村、豊田町村、河崎村、奥吉田村、崎山村、奥吉田新村、外原村、土川村
- 熊木村 ← 上町村、山戸田村、浜田村、横田村、宮前村、谷内村
- 西岸村 ← 横見村、田岸村、小牧村、深浦村、外村、長浦村、瀬嵐村、別所村
- 東島村 ← 祖母ヶ浦村、鰀目村、長崎村、八ヶ崎村、小浦村、野崎村、日出ヶ島村、二穴村
- 中乃島村 ← 向田村、曲村、佐波村、島別所村
- 西島村 ← 南村、無関村、閨村、通村、久木村、田尻村、半浦村、須曽村
- 金丸村(単独村制。現・中能登町)
- 石崎村、中島村(それぞれ単独村制)
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。
- 明治26年(1893年)2月17日 - 滝尾村の一部(久江・久江原山分)が分立して久江村が発足。(1町31村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和9年(1934年)
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は392.79平方km、人口は83,168人(男39,713人・女43,455人)[13]。
- 昭和14年(1939年)
- 昭和17年(1942年)1月1日 - 越路村が町制施行して越路町となる。(4町20村)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 羽咋郡釶打村の所属郡が本郡に変更。(4町21村)
- 昭和29年(1954年)3月31日(5町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)9月30日(6町)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 田鶴浜町・中島町・能登島町が七尾市と合併し、改めて七尾市が発足し、郡より離脱。(3町)
- 平成17年(2005年)3月1日 - 鳥屋町・鹿島町・鹿西町が合併して中能登町が発足。(1町)
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
七尾町 | 昭和14年7月20日 七尾市 | 七尾市 | 七尾市 | 平成16年10月1日 七尾市 | 七尾市 | |||
東湊村 | ||||||||
矢田郷村 | ||||||||
徳田村 | ||||||||
西湊村 | ||||||||
石崎村 | ||||||||
北大呑村 | 北大呑村 | 昭和29年3月31日 七尾市に編入 | ||||||
南大呑村 | 南大呑村 | |||||||
崎山村 | 崎山村 | |||||||
高階村 | 高階村 | |||||||
中島村 | 中島村 | 中島村 | 昭和29年3月31日 中島町 | 中島町 | ||||
笠師保村 | 笠師保村 | 笠師保村 | ||||||
豊川村 | 豊川村 | 豊川村 | ||||||
熊木村 | 熊木村 | 熊木村 | ||||||
西岸村 | 西岸村 | 西岸村 | ||||||
羽咋郡 釶打村 | 羽咋郡 釶打村 | 昭和23年4月1日 鹿島郡 | ||||||
東島村 | 東島村 | 東島村 | 昭和30年2月1日 能登島町 | |||||
中乃島村 | 中乃島村 | 中乃島村 | ||||||
西島村 | 西島村 | 西島村 | ||||||
田鶴浜村 | 昭和9年6月1日 和倉町 | 昭和14年7月20日 改称 田鶴浜町 | 昭和29年3月31日 田鶴浜町 | 田鶴浜町 | ||||
端村 | ||||||||
赤蔵村 | ||||||||
金ヶ崎村 | 金ヶ崎村 | |||||||
相馬村 | 相馬村 | |||||||
昭和29年3月31日 鳥屋町に編入 | 鳥屋町 | 平成17年3月1日 中能登町 | 中能登町 | |||||
鳥屋村 | 昭和14年11月3日 町制 | 鳥屋町 | ||||||
越路村 | 昭和17年1月1日 町制 | 越路町 | 昭和30年1月1日 鹿島町 | |||||
御祖村 | 御祖村 | 御祖村 | ||||||
滝尾村 | 滝尾村 | 滝尾村 | ||||||
明治26年2月17日 分立 久江村 | 久江村 | |||||||
能登部村 | 昭和9年10月1日 町制 | 能登部町 | 昭和31年9月30日 鹿西町 | |||||
金丸村 | 金丸村 | 金丸村 | ||||||
余喜村 | 余喜村 | 余喜村 | 昭和31年9月30日 羽咋郡 羽咋町の一部 | 羽咋市の一部 | 羽咋市 | |||
鹿島路村 | 鹿島路村 | 鹿島路村 |
行政
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 大橋永孚 | 1878年(明治11年)12月17日[14] | 1879年(明治12年)6月11日[14] | 石川県四等属 | 依願免本官 |
2 | 安達正輝 | 1879年(明治12年)6月11日[14] | 1881年(明治14年)5月28日[14] | 石川県六等警部 | 石川県五等警部兼石川県五等属 |
3 | 加藤鏆二 | 1881年(明治14年)5月30日[14] | 1890年(明治23年)5月9日[14] | 鳳至郡長 | 能美郡長 |
4 | 大野木克俊 | 1890年(明治23年)5月9日[14] | 1890年(明治23年)12月27日[14] | 石川県属 | 羽咋郡長 |
5 | 小川清太 | 1890年(明治23年)12月27日[14] | 1891年(明治24年)9月16日[14] | 羽咋郡長 | 非職 |
6 | 大野木克俊 | 1891年(明治24年)10月16日[14] | 1892年(明治25年)3月7日[14] | 羽咋郡長 | 江沼郡長 |
7 | 大塚志良 | 1892年(明治25年)3月7日[14] | 1898年(明治31年)1月19日[14] | 能美郡長 | 非職 |
8 | 富田輝象 | 1898年(明治31年)1月21日[14] | 1904年(明治37年)7月26日[14] | 石川県属 | 能美郡長 |
9 | 丹羽幹 | 1904年(明治37年)7月26日[14] | 1909年(明治42年)1月18日[14] | 鳳至郡長 | 石川郡長 |
10 | 柴田是 | 1909年(明治42年)1月18日[14] | 1914年(大正3年)3月9日[14] | 石川郡長 | 能美郡長 |
11 | 土田伊蔵 | 1914年(大正3年)3月9日[15] | 1914年(大正3年)8月21日[16] | 石川郡長 | 依願免本官 |
12 | 小島勘重郎 | 1914年(大正3年)8月21日[16] | 1915年(大正4年)7月1日[17] | 石川県警部 | 石川郡長 |
13 | 山口信定 | 1915年(大正4年)7月1日[17] | 1919年(大正8年)3月31日[18] | 能美郡長 | 依願免本官 |
14 | 高橋秀 | 1919年(大正8年)3月31日[18] | 1923年(大正12年)12月27日[19] | 鳳至郡長 | 休職 |
15 | 井村貞吉 | 1923年(大正12年)12月27日[20] | 1924年(大正13年)9月2日[21] | 江沼郡長 | 能美郡長 |
16 | 北橋市五郎 | 1924年(大正13年)9月2日[21] | 1924年(大正13年)12月13日[22] | 鳳至郡長 | 依願免本官 |
17 | 明浦俊巌 | 1924年(大正13年)12月13日[22] | 1926年(大正15年)7月1日[23] | 石川県属 | 廃官 |
脚注
[編集]- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)531頁。
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)532頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《鹿島路村/金丸村/大町村/四柳村/酒井村》請新田、《久木村/坪川村/西村/若林村/飯川村》請新田が記載されている。
- ^ a b 七尾府中町、七尾湊町一丁目、七尾湊町二丁目、七尾鍛冶町、七尾川原町、七尾今町、七尾塗師町、七尾相生町、七尾大手町、七尾檜物町、七尾作事町、七尾橘町、七尾生駒町、七尾亀山町、七尾松本町、七尾一本杉町、七尾富岡町、七尾魚町、七尾白銀町、七尾阿良町、七尾常盤町、七尾米町、七尾三島町、七尾木町の総称。無高のため「「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。本項では便宜的に1町として数える。
- ^ 沢野村・上沢村に分かれて記載。
- ^ 後の東三階村・西三階村の2村に分かれて記載。
- ^ a b 後山村としてまとめて記載。
- ^ 鹿島路村・金丸村・大町村・四柳村・酒井村のうちに含まれると見られる。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
- ^ 無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
- ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 石川県史 第四編 175頁
- ^ 『官報』第482号「叙任及辞令」1914年3月10日。
- ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第875号「叙任及辞令」1914年7月2日。
- ^ a b 『官報』第1996号「叙任及辞令」1919年4月1日。
- ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
- ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1923年12月29日。
- ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
- ^ a b 『官報』第3695号「叙任及辞令」1924年12月15日。
- ^ 『官報』第4171号「彙報」1926年7月19日。
参考文献
[編集]- 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708。
- 旧高旧領取調帳データベース