| クリスティ・ボーグルト Kristie Boogert |  | |
---|
 クリスティ・ボーグルト |
基本情報 |
---|
国籍 | オランダ |
---|
出身地 | 同・ロッテルダム |
---|
生年月日 | (1973-12-16) 1973年12月16日(51歳) |
---|
身長 | 178cm |
---|
体重 | 64kg |
---|
利き手 | 右 |
---|
バックハンド | 両手打ち |
---|
ツアー経歴 |
---|
デビュー年 | 1991年 |
---|
引退年 | 2003年 |
---|
ツアー通算 | 3勝 |
---|
シングルス | 0勝 |
---|
ダブルス | 3勝 |
---|
生涯通算成績 | 450勝397敗 |
---|
シングルス | 256勝239敗 |
---|
ダブルス | 194勝158敗 |
---|
生涯獲得賞金 | $1,364,008 |
---|
4大大会最高成績・シングルス |
---|
全豪 | 3回戦(1995-97) |
---|
全仏 | 2回戦(1993-96・99) |
---|
全英 | 3回戦(1994-96) |
---|
全米 | 3回戦(2000) |
---|
4大大会最高成績・ダブルス |
---|
全豪 | ベスト8(1995) |
---|
全仏 | 3回戦(1995) |
---|
全英 | ベスト8(1999・2000) |
---|
全米 | 3回戦(1994・96・97) |
---|
キャリア自己最高ランキング |
---|
シングルス | 29位(1996年2月5日) |
---|
ダブルス | 16位(1997年2月3日) |
---|
獲得メダル |
---|
|
|
クリスティ・ボーグルト(Kristie Boogert, 1973年12月16日 - )は、オランダ・ロッテルダム出身の元女子プロテニス選手。1994年の全仏オープン混合ダブルス部門で、同じオランダのメノ・オースティングとペアを組んで優勝した。2000年シドニー五輪の女子ダブルスで、ミリアム・オレマンスとペアを組んだ銀メダル獲得もある。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで3勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス29位、ダブルス16位。身長178cm、体重64kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ボーグルトはひとりっ子として生まれ育ち、1991年7月にプロ入りした。1993年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのオランダ代表選手になり、現役引退する2003年までフェド杯代表の座を維持した。プロ入り3年目の1994年、ボーグルトは全仏オープンの混合ダブルスで活躍した。オランダの先輩選手、メノ・オースティングとペアを組んだ20歳のボーグルトは、決勝でアンドレイ・オルホフスキー(ロシア)&ラリサ・ネーランド(ラトビア)組を 7-5, 3-6, 7-5 で破り、この地で栄冠を獲得した。
全仏混合ダブルスで優勝した後、ボーグルトはウィンブルドンで1994年-1996年の3年連続で3回戦に進出した。全豪オープンでも1995年-1997年まで3年連続の3回戦進出がある。1996年ウィンブルドンの3回戦では、第12シードの伊達公子に 6-2, 4-6, 2-6 の逆転で敗れたこともあった。1997年全豪オープン3回戦でサビーネ・アペルマンス(ベルギー)に敗れた後、ボーグルトはしばらく好成績がなかった。それから3年後、2000年の全米オープンで久々の3回戦に進出する。この大会では、ボーグルトは1回戦でミリヤナ・ルチッチ(クロアチア)に競り勝ち、2回戦では杉山愛に 6-3, 6-4 で快勝したが、3回戦でサンドリーヌ・テスチュ(フランス)に 0-6, 1-6 で完敗した。結局、ボーグルトは4大大会の女子シングルスでは4回戦以上に進出できなかった。
2000年全米オープンでテスチュとの3回戦に進出した後、クリスティ・ボーグルトはシドニー五輪の女子ダブルスで銀メダルを獲得した。シングルスでは2回戦でロシア代表選手のエレーナ・デメンチェワに敗れたが、ミリアム・オレマンスとペアを組んだ女子ダブルスで決勝に進出する。2人は準決勝でベラルーシ代表のナターシャ・ズベレワ&オリガ・バラバンシコワ組を破ったが、決勝ではビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組に 1-6, 1-6 で完敗した。ボーグルトとオレマンスはオリンピックのオランダ代表選手として、史上初めてのテニス銀メダルを獲得した。
現役最後の年となった2003年、ボーグルトは4大大会のシングルスではすべて予選1回戦敗退に終わり、全米オープンの予選1回戦で敗れたサマンサ・ストーサー(オーストラリア)がシングルス最後の相手になった。ダブルスではウィンブルドンと全米オープンの2大会連続で、1回戦で日本ペアの浅越しのぶ&宮城ナナ組に連敗している。ボーグルトは全米オープンを最後に、29歳で現役を引退した。
大会グレード |
グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (0–0) |
ティア IV & V (0–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
準優勝 | 1. | 2000年4月23日 | ブダペスト | クレー | タチアナ・ガルビン | 2–6, 6–7(4) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
準優勝 | 1. | 1994年5月16日 | プラハ | クレー | ローラ・ゴラルサ | アマンダ・クッツァー リンダ・ワイルド | 4–6, 6–3, 2–6 |
優勝 | 1. | 1996年2月18日 | パリ | カーペット (室内) | ヤナ・ノボトナ | ジュリー・アラール=デキュジス ナタリー・トージア | 6–4, 6–3 |
準優勝 | 2. | 1996年6月22日 | ロスマーレン | 芝 | ヘレナ・スコバ | ラリサ・ネーランド ブレンダ・シュルツ=マッカーシー | 4–6, 6–7 |
優勝 | 2. | 1996年10月6日 | ライプツィヒ | カーペット (室内) | ナタリー・トージア | ミリアム・オレマンス サビーネ・アペルマンス | 6–4, 6–4 |
優勝 | 3. | 1996年10月27日 | ルクセンブルク | カーペット (室内) | ナタリー・トージア | バーバラ・リットナー ドミニク・ファン・ルースト | 2–6, 6–4 6–2 |
準優勝 | 3. | 1999年6月20日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | カーラ・ブラック | シルビア・ファリナ リタ・グランデ | 5–7, 6–7(2) |
準優勝 | 4. | 2000年9月28日 | シドニー五輪 | ハード | ミリアム・オレマンス | ビーナス・ウィリアムズ セリーナ・ウィリアムズ | 1–6, 1–6 |
準優勝 | 5. | 2001年2月18日 | ドーハ | ハード | ミリアム・オレマンス | サンドリーヌ・テスチュ ロベルタ・ビンチ | 5–7, 6–7(4) |
準優勝 | 6. | 2001年5月20日 | アントワープ | クレー | ミリアム・オレマンス | エルス・カレンズ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル | 3–6, 6–3, 4–6 |
準優勝 | 7. | 2002年4月7日 | ポルト | クレー | マギ・セルナ | カーラ・ブラック イリーナ・セリュティナ | 6–7(6), 4–6 |
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.