御法川英文
御法川 英文 みのりかわ ひでふみ | |
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生年月日 | 1936年4月3日 |
出生地 | 秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市) |
没年月日 | 2003年4月24日(67歳没) |
死没地 | 秋田県大曲市(現・大仙市) (仙北組合協同病院) |
出身校 | 明治大学政治経済学部卒業 |
前職 | 秋田県議会議員 |
所属政党 | 自由民主党(森派) |
称号 | 従四位 勲二等旭日重光章 |
親族 | 御法川信英(長男) |
選挙区 | (旧秋田県第2区→) 比例東北ブロック |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1990年2月18日 - 2003年4月24日 |
選挙区 | 仙北郡選挙区 |
在任期間 | 1975年 - 1986年 |
御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - 2003年4月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員を4期務めた。秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。秋田県立大曲農業高等学校を経て明治大学政治経済学部卒業。衆議院議員・御法川信英は長男。
来歴・人物
[編集]自由民主党職員を経て、1975年に仙北郡選挙区から秋田県議会議員に初当選。3期務めた後、衆議院議員選挙に立候補。2度目の立候補となる1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。1996年の総選挙以降は、自民党の村岡兼造衆議院議員とコスタリカ方式で比例区と小選挙区から2回おきに交互に立候補することで合意し、中選挙区(旧秋田2区)時代2期、比例選出2期を含め連続4期当選。国土政務次官、自民党国会対策副委員長などを歴任した。
2003年の第43回衆議院議員総選挙には、小選挙区(秋田3区)から立候補する予定であったが、同年3月に体調を崩して入院し、議員在職中の同年4月24日、肝不全のため、秋田県大曲市の仙北組合協同病院で死去した[1]。67歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲二等旭日重光章を追贈された。追悼演説は同年5月20日の衆議院本会議で、コスタリカ方式を組んでいた村岡兼造により行われた[2]。
御法川の死去による欠員補充として比例東北ブロック自由民主党比例名簿から次点者の津島恭一が繰上当選となった。なお、子の信英が父の地盤を継承した。
関連項目
[編集]- 秋田県第3区
- 伊藤惇夫 - 政治評論家、元自民党職員
- 浮島敏男 - 元衆議院議員、元自民党神奈川県連事務局長
- 近江屋信広 - 元衆議院議員、元自由民主党総裁・幹事長室長
- 玉置和郎 - 元総務庁長官、元自民党職員
- 山崎広太郎 - 元福岡市長、元自民党福岡県支部職員
- 田村重信 - 自由民主党政務調査会調査役
- 山口光一 - 元参議院議員、元自民党事務局長
- 奥島貞雄 - 元自民党職員、元幹事長室長
- 久米晃 - 選挙アドバイザー、元自民党職員
- 元宿仁 - 自民党事務総長
脚注
[編集]- ^ 御法川英文氏が死去 自民党衆院議員 47news 2003年4月25日[リンク切れ]
- ^ 第156回 衆議院 本会議 第32号 平成15年5月20日 - 国会会議録検索システム
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