1976年のロッテオリオンズ
1976年のロッテオリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ3位 | |
63勝56敗11分 勝率.529[1] | |
前期3位 | 29勝28敗8分 勝率.509[1] |
後期3位 | 34勝28敗3分 勝率.548[1] |
本拠地 | |
都市 | 宮城県(暫定保護地域) |
球場 | 特定本拠地なし (主に宮城球場を使用) |
球団組織 | |
オーナー | 重光武雄 |
経営母体 | ロッテ |
監督 | 金田正一 |
« 1975 1977 » |
1976年のロッテオリオンズでは、1976年のロッテオリオンズにおける動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、金田正一監督の4年目のシーズンである。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 中 | 弘田澄男 |
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2 | 一 | ラフィーバー |
3 | 三 | 有藤道世 |
4 | 左 | ブリッグス |
5 | 指 | 江藤慎一 |
6 | 右 | 得津高宏 |
7 | 二 | 山崎裕之 |
8 | 捕 | 村上公康 |
9 | 遊 | 飯塚佳寛[注 1] |
投手 | 村田兆治 |
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 79 | 45 | 6 | .637 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 71 | 56 | 3 | .559 | 9.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 56 | 11 | .529 | 13.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 57 | 66 | 7 | .463 | 21.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 52 | 67 | 11 | .437 | 24.5 |
6位 | 太平洋クラブライオンズ | 44 | 76 | 10 | .367 | 33.0 |
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝
オールスターゲーム1976
[編集]→詳細は「1976年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 有藤道世 | 山崎裕之 |
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監督推薦 | 村田兆治 |
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
村田兆治 | 最優秀防御率 | 1.82 | 2年連続2度目 |
最多奪三振 | 202個 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
弘田澄男 | 外野手 | 2年連続2度目 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
弘田澄男 | 外野手 | 4年連続4度目 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 森繁和 | 投手 | 駒澤大学 | 拒否・住友金属入社 |
2位 | 前川善裕 | 外野手 | 日本鋼管 | 拒否 |
3位 | 仁科時成 | 投手 | 大倉工業 | 入団 |
4位 | 坂川重樹 | 内野手 | 洲本実業高 | 入団 |
5位 | 伊藤浩 | 投手 | 東金商業高 | 入団 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “年度別成績 1976年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月19日閲覧。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 阪神タイガース | 優勝 | 阪急ブレーブス | 2位 | 南海ホークス |
3位 | 広島東洋カープ | 4位 | 中日ドラゴンズ | 3位 | ロッテオリオンズ | 4位 | 近鉄バファローズ |
5位 | ヤクルトスワローズ | 6位 | 大洋ホエールズ | 5位 | 日本ハムファイターズ | 6位 | 太平洋クラブライオンズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||