1976年の大洋ホエールズ(1976ねんのたいようホエールズ)では、1976年の大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、秋山登監督の2年目のシーズンである。
秋山監督1年目5位のチームはさらなる成績上昇を狙うべく、クリート・ボイヤーコーチの推薦で日本ハムのゲーリー・ジェスタッド(ゲーリー)を獲得。投手陣も平松政次・山下律夫・間柴茂有・杉山知隆などが控え、打撃陣でも中塚政幸・松原誠・長崎慶一などが健在で、チームは5年ぶりのAクラス入りが期待された。しかし、松原・長崎・ジョン・シピンといった破壊力抜群の打線は打ちまくるもリリーフ投手が打ちこまれるなど、投打のアンバランスが現れて開幕から最下位に転落。4月を借金8で終えたチームは5月以降の巻き返しが期待されたものの投手陣の崩壊はどうしようもなく、優勝の巨人に32ゲーム差、5位ヤクルトに8.5ゲーム差つけられて10年ぶりの最下位に沈んだ。カード別成績では5位ヤクルトに13勝11敗2分と勝ち越して全球団負け越しこそ免れるも、巨人には8勝18敗、2位の阪神にも8勝16敗2分と大きく負け越した。投手陣は平松・奥江英幸が13勝、11勝で2ケタ勝利をあげたものの、山下律夫が2勝、ローテ入りの根本隆と渡辺秀武がわずか3勝に終わり、前年規定投球回到達の間柴が未勝利に終わるなどの誤算でチーム防御率は4.45のリーグ5位。打撃陣はリーグ2位の172本塁打を放つも得点が巨人と180点差の最下位に終わった。シーズン終了後秋山監督は辞任して二軍監督に降格となり、秋山監督の片腕だった藤田元司投手コーチも辞任。新監督には1972年まで監督だった別当薫が再び就任した。
1976年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 阪神 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 巨人 | 3.5 | 阪神 | 2.0 | 阪神 | 4.0 | 阪神 | 3.0 | 広島 | 8.5 | 阪神 | 3.5 | 阪神 | 2.0 |
3位 | 中日 | 6.0 | 広島 | 9.0 | 広島 | 9.0 | 広島 | 9.5 | 阪神 | 8.5 | 広島 | 15.5 | 広島 | 14.0 |
4位 | ヤクルト | 7.0 | 中日 | 11.5 | 中日 | 12.5 | 中日 | 14.5 | 中日 | 17.0 | 中日 | 19.0 | 中日 | 21.5 |
5位 | 広島 | 7.0 | ヤクルト | 14.0 | ヤクルト | 19.5 | ヤクルト | 19.0 | ヤクルト | 22.5 | ヤクルト | 23.0 | ヤクルト | 23.5 |
6位 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 19.5 | 大洋 | 23.0 | 大洋 | 28.0 | 大洋 | 32.5 | 大洋 | 34.0 | 大洋 | 37.0 |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |