1992年の横浜大洋ホエールズ
1992年の横浜大洋ホエールズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
61勝69敗1分 勝率.469[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県横浜市 |
球場 | 横浜スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 中部慶次郎 |
経営母体 | 大洋漁業 |
監督 | 須藤豊 (5/3から休養) 江尻亮 (5/3から(5/22まで代行)) |
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1992年の横浜大洋ホエールズ(1992ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1992年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
この年の横浜大洋ホエールズは、須藤豊監督の3年目のシーズンである。
概要
[編集]前年オフに中山裕章が幼児への強制わいせつ事件を起こし退団、さらに肝臓がんで休養していた大杉勝男前打撃コーチが退団するなど暗いニュースの相次いだ大洋はラリー・シーツを獲得し、打線の強化を図った。しかし開幕ダッシュに失敗し5月終了時までに借金11、その責任を取り須藤監督が5月3日から休養し江尻ヘッドコーチが監督代行に就任した(須藤監督は5月23日辞任)。江尻新監督はチーム改革に着手し、先発だった盛田幸妃をセットアッパーに配置転換して盛田・佐々木主浩のダブルストッパー体制を確立し、石井琢朗・進藤達哉らの若手を積極的に起用した。これらの改革は功を奏し、チーム状態が次第に上昇した。しかし開幕ダッシュの失敗が響き、シーズンを5位で終えた。また、親会社の大洋漁業がCIを導入するのに伴い球団創設の1950年から使われてきた「大洋ホエールズ」の名称が使えなくなり、翌年から名称を「横浜ベイスターズ」に変更することが発表され、横浜大洋ホエールズとしての公式戦最終戦となることが決定していた試合に、大洋一筋15年で134勝を挙げこのシーズン限りの引退を表明していた遠藤一彦が先発した。この試合の3番手でルーキーの三浦大輔がプロ初登板しており、ホエールズを長年支えた遠藤とベイスターズを長年支えた三浦の新旧エースが競演した最初で最後の試合となった[2]。投手陣は前年15勝の野村弘樹が開幕から打ち込まれる試合が多くわずか5勝に終わり、セットアッパーの盛田が最優秀防御率、守護神の佐々木が21セーブをあげるなど救援陣の活躍でチーム防御率3.75と健闘。打撃陣は本塁打が97本で前年より増加したものの、チーム打率最下位に終わった。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/4 | 5/1 | 6/2 | 7/1 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 中 | 屋鋪要 | 二 | 高木豊 | 二 | 高木豊 | 中 | 屋鋪要 | 二 | 高木豊 | 二 | 高木豊 |
2 | 遊 | 進藤達哉 | 中 | 屋鋪要 | 三 | 清水義之 | 三 | 清水義之 | 三 | 石井琢朗 | 三 | 石井琢朗 |
3 | 二 | 高木豊 | 右 | レイノルズ | 中 | 屋鋪要 | 二 | 高木豊 | 中 | 屋鋪要 | 中 | 屋鋪要 |
4 | 右 | レイノルズ | 左 | シーツ | 左 | シーツ[注 1] | 一 | シーツ | 右 | レイノルズ | 左 | シーツ |
5 | 一 | シーツ | 一 | 長内孝 | 一 | 畠山準[注 2] | 右 | レイノルズ | 左 | シーツ | 右 | レイノルズ |
6 | 左 | 山崎賢一 | 三 | 清水義之 | 遊 | 進藤達哉 | 左 | 山崎賢一[注 3] | 一 | 長内孝 | 一 | 宮里太 |
7 | 三 | 清水義之 | 遊 | 石井琢朗 | 左 | 宮里太 | 遊 | 進藤達哉 | 遊 | 進藤達哉 | 遊 | 進藤達哉 |
8 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 谷繁元信 | 捕 | 秋元宏作 | 捕 | 秋元宏作 | 捕 | 秋元宏作 | 捕 | 秋元宏作 |
9 | 投 | 野村弘樹 | 投 | 斉藤明夫 | 投 | 有働克也 | 投 | 岡本透 | 投 | 遠藤一彦 | 投 | 大門和彦 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 広島 | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | 阪神 | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 阪神 | 2.0 | 広島 | 0.5 | 阪神 | 2.0 | 阪神 | 1.5 | 巨人 | 2.5 | ヤクルト | 1.0 | 巨人 | 2.0 |
3位 | ヤクルト | 3.5 | 阪神 | 1.0 | 巨人 | 3.5 | 巨人 | 2.0 | 阪神 | 3.0 | 巨人 | 1.5 | 阪神 | |
4位 | 中日 | 4.0 | 中日 | 4.0 | 広島 | 5.0 | 広島 | 3.0 | 広島 | 5.0 | 広島 | 4.0 | 広島 | 3.0 |
5位 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 9.0 | 中日 | 6.0 | 中日 | 8.0 | 大洋 | 10.5 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 8.0 |
6位 | 大洋 | 6.5 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 7.5 | 大洋 | 9.5 | 中日 | 15.0 | 中日 | 8.5 | 中日 | 9.0 |
期間 成績 | 7勝13敗 勝率.350 | 10勝15敗 勝率.400 | 11勝7敗1分 勝率.611 | 7勝11敗 勝率.389 | 13勝11敗 勝率.542 | 12勝8敗 勝率.600 | 1勝4敗 勝率.200 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 69 | 61 | 1 | .531 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 67 | 63 | 0 | .515 | 2.0 |
2位 | 阪神タイガース | 67 | 63 | 2 | .515 | 2.0 |
4位 | 広島東洋カープ | 66 | 64 | 0 | .508 | 3.0 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 61 | 69 | 1 | .469 | 8.0 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 60 | 70 | 0 | .462 | 9.0 |
オールスターゲーム1992
[編集]- 選出選手
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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投手 | 佐々木主浩 | 初 |
盛田幸妃▲ | 初 | |
内野手 | 高木豊 | 8 |
シーツ | 初 |
- ▲は出場辞退選手発生による補充。
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
シーツ | 打点王 | 100打点 | 初受賞 |
盛田幸妃 | 最優秀防御率 | 2.05 | 初受賞 |
佐々木主浩 | 最優秀救援投手 | 33SP | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
シーツ | 外野手 | 初受賞 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選出なし |
ドラフト
[編集]順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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1位 | 小桧山雅仁 | 投手 | 日本石油 | 入団 |
2位 | 佐伯貴弘 | 内野手 | 大阪商業大学 | 入団 |
3位 | 五十嵐英樹 | 投手 | 三菱重工神戸 | 入団 |
4位 | 金村康平 | 捕手 | 九州学院高 | 入団 |
5位 | 戸叶尚 | 投手 | 佐野商業高 | 入団 |
6位 | 吉井晃 | 投手 | たくぎん | 入団 |
7位 | 田中敏昭 | 投手 | 峰山高 | 入団 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “年度別成績 1992年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年11月5日閲覧。
- ^ 【10月7日】1992年(平4) 大洋ラストゲーム 遠藤一彦引退、三浦大輔初登板スポニチアネックス 日めくりプロ野球09年10月
- ^ 『1993 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1992年。ISBN 4-583-03036-3。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | ヤクルトスワローズ | 2位 | 読売ジャイアンツ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 近鉄バファローズ |
2位 | 阪神タイガース | 4位 | 広島東洋カープ | 3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 4位 | 福岡ダイエーホークス |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 6位 | 中日ドラゴンズ | 5位 | 日本ハムファイターズ | 6位 | 千葉ロッテマリーンズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||