1988年のロードレース世界選手権
1988年の FIMロードレース世界選手権 | |||
前年: | 1987 | 翌年: | 1989 |
1988年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第40回大会である。
シーズンの概要
[編集]このシーズンより、ポイント入賞圏内が前年度までの1~10位から1~15位までに拡大され、ポイント獲得がままならなかったプライベーターチームにもチャンスが拡がった。また、23年ぶりのアメリカGPがカリフォルニアのラグナ・セカで開催された。また、フレディ・スペンサーが開幕前に怪我の完治が難しいとの理由で現役引退を発表し、開幕戦の鈴鹿で引退セレモニーも行われた。
500ccクラスでは、エディ・ローソンがワイン・ガードナーとの激しい争いを制しタイトルの奪回に成功した。ガードナーは前半戦に’88NSR500とのマッチングに苦しんだことが響き、中盤以降巻き返すも一歩及ばなかった。
一方で、ウェイン・レイニーとケビン・シュワンツがこの年から本格的にWGP参戦を開始。スズキワークスのエースとして参戦したシュワンツは開幕戦の鈴鹿でガードナーとの激しいマッチレースを制していきなり初勝利を達成し、西ドイツでも優勝しシーズン2勝を挙げた。参戦ライダーのラインナップを刷新したチーム・ロバーツからの参戦となったレイニーは、1984年の250ccクラス以来のWGP参戦となったが、イギリスGPで初勝利を達成し7度の表彰台を獲得するなどの活躍でランキング3位を得た。サイクル・ニューズ誌でのアラン・カスカートのシーズン前の評価では「レイニーはグッド・ライダーには違いないが、グレート・ライダーにはなれないだろう。彼はランディ・マモラの替わりにはなれない」というものだった[1]が、その評価を見事に覆した。
250ccでは、前年度チャンピオンのアントン・マンクが開幕戦を制したものの以降は精彩を欠き、今シーズン限りでの引退を発表。代わって終始安定した戦いぶりを示したシト・ポンスが4勝を挙げ、スペインの同胞で3勝を挙げたファン・ガリガとの争いを制し初のタイトルを獲得した。
125ccと80ccでは、ダブルエントリーをしたスペイン人のホルヘ・マルチネスが両タイトルを制覇し、母国メーカーのデルビダブルタイトルをもたらした。また、125ccのエンジンは単気筒でなければならなくなった。
GP
[編集]Round | GP | サーキット | 80ccクラス優勝 | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 |
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1 | 日本 | 鈴鹿 | アントン・マンク | ケビン・シュワンツ | ||
2 | アメリカ | ラグナ・セカ | ジム・フィリス | エディ・ローソン | ||
3 | スペイン | ハラマ | ステファン・ドルフリンガー | ホルヘ・マルチネス | シト・ポンス | ケビン・マギー |
4 | Expo92 | ヘレス | ホルヘ・マルチネス | ファン・ガリガ | エディ・ローソン | |
5 | イタリア | イモラ | ホルヘ・マルチネス | ホルヘ・マルチネス | ドミニク・サロン | エディ・ローソン |
6 | 西ドイツ | ニュルブルクリンク | ホルヘ・マルチネス | エツィオ・ジャノーラ | ルカ・カダローラ | ケビン・シュワンツ |
7 | オーストリア | ザルツブルクリンク | ホルヘ・マルチネス | ジャック・コルヌー | エディ・ローソン | |
8 | オランダ(ダッチTT) | アッセン | ホルヘ・マルチネス | ホルヘ・マルチネス | ファン・ガリガ | ワイン・ガードナー |
9 | ベルギー | スパ | ホルヘ・マルチネス | シト・ポンス | ワイン・ガードナー | |
10 | ユーゴスラビア | リエカ | ホルヘ・マルチネス | ホルヘ・マルチネス | シト・ポンス | ワイン・ガードナー |
11 | フランス | ポール・リカール | ホルヘ・マルチネス | ジャック・コルヌー | エディ・ローソン | |
12 | イギリス | ドニントン | エツィオ・ジャノーラ | ルカ・カダローラ | ウェイン・レイニー | |
13 | スウェーデン | アンダーストープ | ホルヘ・マルチネス | シト・ポンス | エディ・ローソン | |
14 | チェコスロバキア | ブルノ | ホルヘ・マルチネス | ホルヘ・マルチネス | ファン・ガリガ | ワイン・ガードナー |
15 | ブラジル | ゴイアニア | ドミニク・サロン | エディ・ローソン |
最終成績
[編集]500ccクラス順位
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太字:ポールポジション |
250ccクラス順位
[編集]順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 |
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1 | シト・ポンス | 3 | スペイン | ホンダ | 231 | 4 |
2 | ファン・ガリガ | 11 | スペイン | ホンダ | 221 | 3 |
3 | ジャック・コルヌー | 9 | スイス | ホンダ | 166 | 2 |
4 | ドミニク・サロン | 4 | フランス | ホンダ | 158 | 2 |
5 | ラインハルト・ロス | 2 | 西ドイツ | ホンダ | 158 | 0 |
6 | ルカ・カダローラ | 7 | イタリア | ヤマハ | 136 | 2 |
7 | ジャン・フィリップ・ルジア | 17 | フランス | ヤマハ | 104 | 0 |
8 | アントン・マンク | 1 | 西ドイツ | ホンダ | 87 | 1 |
9 | カルロス・カルダス | 5 | スペイン | ホンダ | 71 | 0 |
10 | 清水雅広 | 12 | 日本 | ホンダ | 68 | 0 |
125ccクラス順位
[編集]順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 |
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1 | ホルヘ・マルチネス | スペイン | デルビ | 197 | 9 | |
2 | エツィオ・ジャノーラ | 6 | イタリア | ホンダ | 168 | 2 |
3 | ハンス・スパーン | オランダ | ホンダ | 110 | 0 | |
4 | ジュリアン・ミラレス | 3 | スペイン | ホンダ | 104 | 0 |
5 | ドメニコ・ブリガリア | 4 | イタリア | ロータックス | 69 | 0 |
6 | ガストーネ・グラセッティ | イタリア | ホンダ | 66 | 0 | |
7 | アドルフ・スタッドラー | 西ドイツ | ホンダ | 63 | 0 | |
8 | ステファン・プレイン | 西ドイツ | ホンダ | 59 | 0 | |
9 | ルシオ・ピトロニーロ | 9 | ベルギー | ホンダ | 56 | 0 |
10 | ゲルハルト・ワイベル | 西ドイツ | ホンダ | 52 | 0 |
80ccクラス順位
[編集]順位 | ライダー | 車番 | 国籍 | マシン | ポイント | 勝利数 |
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1 | ホルヘ・マルチネス | 1 | スペイン | デルビ | 137 | 6 |
2 | アレックス・クリビーレ | スペイン | デルビ | 90 | 0 | |
3 | ステファン・ドルフリンガー | 4 | スイス | クラウザー | 77 | 1 |
4 | マニュエル・エレロス | 2 | スペイン | デルビ | 69 | 0 |
5 | ペーター・エッテル | 5 | 西ドイツ | クラウザー | 65 | 0 |
6 | Bogdan Nikolov | ブルガリア | クラウザー | 55 | 0 | |
7 | Karoly Juhasz | ハンガリー | クラウザー | 54 | 0 | |
8 | Jos van Dongen | オランダ | Casal | 47 | 0 | |
9 | Giuseppe Ascareggi | イタリア | BBFT | 46 | 0 | |
10 | Gabriele Gnani | イタリア | Gnani | 36 | 0 |
脚注
[編集]- ^ Scott, Michael: "Wayne Rainey", page 95. Haynes Publishing, 1997.