NKKナイツ
NKKナイツ | |
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原語表記 | NKKナイツ |
クラブカラー | 紺に白のV字ストライプ |
創設年 | 1949年 |
廃部年 | 1994年 |
チーム所在地 | 神奈川県川崎市 |
体育館所在地 | 神奈川県川崎市 |
NKKナイツ(エヌケーケーナイツ、英語表記:NKK knights[1])は、かつて神奈川県川崎市を本拠地に活動していた日本鋼管/NKK(現JFEエンジニアリング)の男子バレーボールチームである。リーグ戦5回、全日本選抜8回、国体4回、全日本総合(6人制)7回、NHK杯2回、全日本総合(9人制)2回、全日本実業団(9人制)2回を制覇した古豪であった。獲得した全国タイトル計30回は、歴代3位である。
歴史
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日本鋼管ではいくつかのシンボルスポーツチームを持ち、総合部と称した。男子バレーボール部(9人制)もその一つであり、1949年に大学バレー界の有力選手の入社とともに実質的なスタートを切った[注 1]。さらに1951年から1952年にかけ松平康隆ら有力選手が入社し、国内有数のチームとなり、1954年の第3回都市対抗で全国大会初優勝を飾っている。
1964年に開催の東京オリンピックで6人制バレーボールが正式種目となることが決定したことから、1962年頃より積極的に6人制への移行を進めた。1960~70年代にかけては、多くの全日本選手を輩出した。
1994年に廃部[2]。
2008年3月22日、旧日本鋼管の体育館(1948年完成)は、撮影スタジオ「THINK SPOT KAWASAKI」として生まれ変わった[3]。以降、数多くの映画やドラマの撮影に活用されている。
別に組織されていた福山製鉄所男子バレーボール部は9人制で活動を続け、JFE西日本バレーボール部として全日本9人制バレーボールトップリーグに参加している。
成績
[編集]主な成績
[編集]- 優勝 5回(1968年度、1969年度、1970年度、1972年度、1977年度)
- 優勝 8回(1954年、1955年、1959年、1962年、1965年、1970年、1971年、1982年)
- 全日本総合選手権大会(9人制)
- 優勝 2回(1955年、1960年)
- 全日本実業団選手権(9人制)
- 優勝 2回
- NHK杯
- 優勝 2回
- 優勝 7回(1960年、1970年、1971年、1972年、1974年、1976年、1977年)
- 国民体育大会 一般男子(6人制)
- 優勝 4回(1962年、1963年、1965年、1972年)
年度別成績
[編集]大会名 | 順位 | 参加チーム数 | 試合数 | 勝 | 敗 | 勝率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
日本リーグ | 第1回 (1967) | 3位 | 6チーム | 10 | 5 | 5 | 0.500 |
第2回 (1968/69) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第3回 (1969/70) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第4回 (1970/71) | 優勝 | 6チーム | 10 | 9 | 1 | 0.900 | |
第5回 (1971/72) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 9 | 1 | 0.900 | |
第6回 (1972/73) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第7回 (1973/74) | 3位 | 6チーム | 10 | 5 | 5 | 0.500 | |
第8回 (1974/75) | 3位 | 6チーム | 10 | 6 | 4 | 0.600 | |
第9回 (1975/76) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 | |
第10回 (1976/77) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 | |
第11回 (1977/78) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第12回 (1978/79) | 4位 | 6チーム | 10 | 4 | 6 | 0.400 | |
第13回 (1979/80) | 5位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 | |
第14回 (1980/81) | 6位 | 8チーム | 14 | 5 | 9 | 0.357 | |
第15回 (1981/82) | 4位 | 8チーム | 21 | 12 | 9 | 0.571 | |
第16回 (1982/83) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 17 | 4 | 0.810 | |
第17回 (1983/84) | 5位 | 8チーム | 21 | 11 | 10 | 0.524 | |
第18回 (1984/85) | 6位 | 8チーム | 21 | 6 | 15 | 0.286 | |
第19回 (1985/86) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 13 | 8 | 0.619 | |
第20回 (1986/87) | 3位 | 8チーム | 21 | 14 | 7 | 0.667 | |
第21回 (1987/88) | 準優勝 | 8チーム | 14 | 12 | 2 | 0.857 | |
第22回 (1988/89) | 3位 | 8チーム | 17 | 9 | 8 | 0.529 | |
第23回 (1989/90) | 8位 | 8チーム | 14 | 2 | 12 | 0.143 | |
実業団リーグ | 第22回 (1990/91) | 準優勝 | 8チーム | 14 | 12 | 2 | 0.857 |
第23回 (1991/92) | 優勝 | 8チーム | 14 | 14 | 0 | 1.000 | |
日本リーグ | 第26回 (1992/93) | 8位 | 8チーム | 14 | 3 | 11 | 0.214 |
実業団リーグ | 第25回 (1993/94) | 準優勝 | 8チーム | 14 | 11 | 3 | 0.786 |
選手・スタッフ
[編集]活動を休止した1993年度の選手・スタッフは下記の通り[4]。
選手
[編集]背番号 | 名前 | 年齢 | 国籍 | Position | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 陸川隆 | 26 | 日本 | センター | |
2 | 本多英治 | 27 | 日本 | センター | |
3 | 井上謙 | 30 | 日本 | センター/ライト | |
4 | 永盛康志 | 25 | 日本 | センター | |
6 | 小泉伸一 | 29 | 日本 | レフト | 主将 |
7 | 澤田秀一 | 31 | 日本 | レフト | |
8 | 川端正利志 | 25 | 日本 | オールラウンド | |
9 | 世佐木佳紀 | 24 | 日本 | レフト | |
10 | 桑原稔 | 30 | 日本 | オールラウンド | |
11 | 加藤尚樹 | 25 | 日本 | セッター | |
12 | 卜部雅則 | 26 | 日本 | レフト | |
13 | 戸塚一幸 | 27 | 日本 | オールラウンド | |
14 | 竹内実 | 22 | 日本 | レフト | |
15 | 田村直樹 | 22 | 日本 | センター | |
16 | 三田博 | 22 | 日本 | レフト | |
21 | 河野裕続 | 33 | 日本 | - | コーチ兼任 |
スタッフ
[編集]役職 | 名前 | 国籍 | 備考 |
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部長 | 藤野雄太郎 | 日本 | |
総監督 | 嶋岡健治 | 日本 | |
監督 | 野村健二 | 日本 | |
コーチ | 河野裕続 | 日本 | 選手兼任 |
マネージャー | 黒葛原淳一 | 日本 |
在籍していた主な選手
[編集]都道府県名は出身地
下線は五輪(1964 東京・銅/1968 メキシコ・銀/1972 ミュンヘン・金/1976 モントリオール・4位/1984 ロサンゼルス・7位/1988 ソウル・10位)
- 岩田三郎 (1925年 - 2012年9月) 神奈川・早大卒 - 「戦後のバレーボール普及の第一人者」
- 古我和俊 (1927年 -) 京都・早大卒
- 松平康隆 (1930年 - 2011年12月) 東京・慶大卒
- 鈴木昭吾 (1930年 - 1997年 6月) 静岡・早大卒
- 丸谷統男 (1932年 - 2008年10月[5]) 秋田・早大卒 - 第3回アジア大会(1958・東京)、世界選手権(1960・ブラジル)
- 出町豊 (1935年 -) 明大卒 - 第4回アジア大会(1962・インドネシア)、プレ五輪(1963)、東京(1964銅)
- 石曽根亮次 (1935年 -)
- 谷中正直 (1936年 -)
- 市川忠義 (1937年 -) 東京・明大卒 - 第4回アジア大会(1962・インドネシア)、プレ五輪(1963)
- 深川正司 (1937年 - 2008年10月) 兵庫・慶大卒 - 世界選手権(1960・ブラジル)、ヨーロッパ遠征(1961)、第4回アジア大会(1962・インドネシア)、プレ五輪(1963)
- 佐藤安孝 (1940年 - 2007年10月) 岐阜・日大卒 - アジア大会(1962・インドネシア)、プレ五輪(1963)、東京(1964銅)
- 樋口時彦 (1940年 -) 東京・法大卒 - 東京(1964銅)
- 木村晃 (1941年 -)
- 白神守 (1942年 -) 千葉・中大 - メキシコ(1968銀)
- 小泉勲 (1944年 -) 東京・中大卒 - メキシコ(1968銀)
- 三森泰明 (1945年 -) 山梨・中大卒 - メキシコ(1968銀)
- 森田淳悟 (1947年 -) 北海道・日体大卒 - メキシコ(1968銀)、ミュンヘン(1972金)
- 大古誠司 (1948年 -) 神奈川・東芝学園卒 - メキシコ(1968銀)、ミュンヘン(1972金)、モントリオール(1976)
- 嶋岡健治 (1949年 -) 東京・中大卒 - メキシコ(1968銀)、ミュンヘン(1972金)、モントリオール(1976)
- 小早川啓 (1950年 -) 広島・日体大卒
- 丸山孝 (1953年 -) 東京・中大卒 - モントリオール(1976)
- 花輪晴彦 (1954年 -) 山梨・中大卒
- 野村健二 (1958年 -) 広島・中大卒
- 笠間裕治 (1959年 -) 福岡・中大卒 - ソウル(1988)
- 古川靖志 (1961年 -) 東京・順大卒 - ロサンゼルス(1984)
- 黒葛原淳一 (1961年 -) 宮崎・日体大卒
- 澤田秀一 (1962年 -) 鹿児島・順大卒
- 荒井淳一 (1965年 -) 宮城・東北高校卒
- 井上謙 (1963年 -) 広島・順大卒 - ソウル(1988)
- 陸川隆 (1967年 -) 新潟・日体大卒 - 元日本鋼管バスケットボール選手陸川章の弟
- 竹内実 (1971年 -) 神奈川・中大卒
参考文献
[編集]- 1978年 『嵐の中の青春 日本鋼管実録バレーボール物語』(日本文化出版、小泉志津男・著)
- 1979年 『30年史―1949ー1978』(日本鋼管バレーボール部30年史編集委員会)
- 月刊バレーボール 1996年1月号臨時増刊「第2回Vリーグ観戦徹底ガイドブック」
- 日本鋼管株式会社七十年史 (発行:日本鋼管 編纂:日本鋼管七十年史編纂委員会) 236-239ページ
脚注
[編集]注釈
- ^ それまではバレーボール同好会として活動していた。
出典
- ^ 月刊バレーボール1993年1月号臨時増刊 第26回日本リーグ&第24回実業団リーグ・完全ガイド 72ページのロゴより。
- ^ Vリーグ機構. “リーグの歩み”. 2012年7月16日閲覧。
- ^ 神奈川新聞 - 川崎に撮影スタジオオープン/レトロ体育館を改装
- ^ 月刊バレーボール1994年1月号臨時増刊 第27回日本リーグ&第25回実業団リーグ・完全ガイド 166ページ
- ^ 稲門通信 平成20年5号
関連項目
[編集]- NKKナイツの歴代選手・スタッフ一覧
- JFEエンジニアリング
- JFEホールディングス
- 日本鋼管サッカー部
- NKKシーホークス(日本鋼管バスケットボール部)
- 日本鋼管野球部
- NKK硬式野球部(旧:日本鋼管福山野球部)