ドイツの首相

Portrait of Otto Von Bismarck in 1890
Portrait of Konrad Adenauer in 1952
Portrait of Helmut Kohl in 1996
Portrait of Angela Merkel in 2019

ドイツの首相(ドイツのしゅしょう)では、ドイツにおける行政府の長について解説する。

名称

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本項では1871年ドイツ統一から現在に至るまでのドイツの首相について解説する。この間にドイツがたどった国家形態の名称と首相の呼称は以下の通り。

Reichskanzlerドイツ国首相と訳されるが、日本では以下の政治体制ごとに以下の訳を当てていることが多い。)
Ministerpräsident大臣主席 (1949年 - 1968年1990年)
Vorsitzende des Ministerrates閣僚評議会議長 (1968年 - 1989年)
Bundeskanzler連邦首相

呼称と変遷

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語源と由来

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「ドイツ」の首相の呼称にはどれにも「-kanzler」という語が含まれている(共産主義政権の旧東ドイツを除く)。この Kanzler(カンツラー、英語: chancellor )というのは古フランス語の chancelier が語源で、本来は「宮廷や法廷の門衛、案内役、事務員、秘書官」などをさす語だった。神聖ローマ帝国初期のドイツでは、学識を有する聖職者が宮廷文書の管理などを通じて帝国行政に関与しており、司教はその長として「書記官長」(Kanzler)と呼ばれていた。

中世になると、マインツ大司教ケルン大司教トリーア大司教の三司教は選帝侯を兼ねて世俗諸侯と肩を並べるほど強力になった。のちにこれが帝国の最高官職である、帝国内の各3王国(ドイツ、イタリアおよびブルグント)の大書記官長(Erzkanzler)に任じられるようになると、この三司教は、それぞれ、「ドイツ大書記官長」(Erzkanzler durch Germanien)、「イタリア大書記官長」(Erzkanzler durch Italien)、「ガリア=ブルグント大書記官長」(Erzkanzler durch Gallien und Burgund)と称するようになった。

こうした大書記官長の中には、事実上の宰相として皇帝の政務を補佐したり、事実上の摂政として幼少の皇帝に代わって国政を担当した者もいたが、1356年金印勅書でマインツ大司教が皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられると、これ以後「Erzkanzler durch Germanien」は「ドイツ(神聖ローマ帝国)の宰相」を意味する語としてドイツ語圏に定着した。

ドイツ帝国

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初代帝国宰相
オットー・フォン・ビスマルク

近世になると、帝国内のプロイセン王国オーストリア大公国の宰相にも Staatskanzler(領国宰相)という呼称が用いられるようになった。

1867年にプロイセン主導で北ドイツ連邦が成立すると、ビスマルクは自らその首相に就いて「Bundeskanzler(連邦宰相)」と称した。1871年に「ドイツ国(Deutsches Reich:帝政ドイツ)」が成立すると、今度は 「Reichskanzler(帝国宰相)」として以後19年間政界に君臨し、ドイツを列強の一つに押し上げた。

ヴァイマル共和政

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ヴァイマル共和国初代首相
フィリップ・シャイデマン

1918年第一次世界大戦の敗北によって帝政が崩壊し、ドイツは共和政となった。しかし新国家の国号に提案された「Deutsche Republik(ドイツ共和国)」には各方面からの拒否が強く、結局、国号は引続き「Deutsches Reich(ドイツ国)」が用いられた[注釈 1]。このため「Reichskanzler」の呼称もそのまま共和政に引き継がれた。

日本では1918年から1933年までのドイツ国を「ヴァイマル共和政」と呼んでおり、日本の歴史教科書の類では共和政の「Reichskanzler」を「首相」と訳して帝政時代のものと区別している場合が多い。なお帝政ドイツ時代には帝国内閣が存在せず、帝国各省庁の長は、帝国宰相の下僚としてその指示に厳格に従う「国務長官(Staatssekretär)」であって、「大臣(Minister)」のように君主に対して宰相と同様に責任を負い、その業務について自立して任務に当たるものではなかった。つまり、帝政宰相は行政上の責任を単独で果たしていたのである。これに対し、ヴァイマル共和政以降の首相は議会に責任を負う合議制行政機関としての内閣の議長として位置づけられた。訳語の変化は、こうした役割の変化も表しているのである。

ナチス・ドイツ

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ドイツ国総統
アドルフ・ヒトラー

1934年8月1日ヒンデンブルク大統領の死後発効する法律として「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」が制定された。この法律で大統領の地位は首相と統合された。8月19日にはこの措置の是非を問う民族投票ドイツ語版が行われ、圧倒的多数で承認された。ヒトラーは公文書には「指導者兼国家宰相」(Führer und Reichskanzler)と署名していたが、後には国家宰相の肩書きを用いる事がほとんど無くなった。

東西分裂と再統一

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第二次世界大戦後、ドイツはの4ヵ国による占領下におかれたが、冷戦の対立構造が固定化されていく中で共同占領は困難となり、1949年秋に米・英・仏占領区にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、ソ連占領区ドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国された。

ドイツ民主共和国

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ドイツ民主共和国初代首相
オットー・グローテヴォール

東ドイツは、旧来の呼称を使用せず、1949年の憲法では「総理大臣」(Ministerpräsident)[1]としたが、社会主義国を宣言した1968年の憲法改正で閣僚評議会議長(Vorsitzende des Ministerrates)[2]に改められた。東ドイツはソ連型一党独裁制国家であり、1989年の民主化まで国政の実権は支配政党であるドイツ社会主義統一党書記長が握っていた。

ドイツ連邦共和国

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ドイツ連邦共和国初代連邦首相
コンラート・アデナウアー

西ドイツは国号に「連邦」の一語が追加されたのにともない、首相の呼称も北ドイツ連邦にさかのぼる「連邦宰相」(Bundeskanzler)に戻された。

1990年10月3日、西ドイツが東ドイツを吸収合併する形で再統一を達成した後は、そのまま「連邦宰相」(Bundeskanzler)の呼称が使われている。ただし日本では「宰相」という時代がかった表現は、アデナウアーコールに関連して時折、あるいは州首相と並べて論じるとき混同しないよう使うくらいで、「Bundeskanzler」の公式訳も「連邦首相」とするものがほとんどである。

諸外国での表現

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日本では、外国の首相に相当する官職を一律に「首相」と呼称しており、現在のドイツ連邦共和国の「Bundeskanzlerin[注釈 2]」も、過去のドイツの「Reichskanzler」も、すべて単に「首相」と表記する場合が多い[注釈 3]

英語では自国外国を問わず、首相は一律に「Prime Minister」と呼ぶことになっている。ただしドイツの首相だけは伝統的な例外で、ドイツ語を直訳した「Federal Chancellor」、 または単に「Chancellor」と呼んでいる。

ドイツ語では、同じドイツ語圏で連邦制のオーストリアの首相のことも Bundeskanzler(連邦首相)と呼んでいる。そのほかの外国の首相は、各国の政治機構や原語での表現をもとに、「Ministerpräsident」(総理大臣)または「Premierminister」(首相)と呼んでいる。

歴代ドイツ首相

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所属政党
  無所属 (官僚・軍人)
  自由保守党 (FKP)

北ドイツ連邦

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連邦宰相の氏名 写真 在任期間 所属政党 備考
1 オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold Graf von Bismarck-Schönhausen
1867年7月1日
- 1871年3月21日
無所属 陸軍元帥位を有する上級大将
ドイツ国首相、プロイセン王国首相、外務大臣、貴族院議員

ドイツ帝国

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帝国宰相の氏名 写真 在任期間 所属政党 備考
1 オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck
1871年3月21日
- 1890年3月20日
無所属 陸軍元帥位を有する上級大将
北ドイツ連邦宰相、プロイセン王国首相、外務大臣、貴族院議員
2 レオ・フォン・カプリヴィ
Leo von Caprivi
1890年3月20日
- 1894年10月26日
無所属
(軍人)
陸軍歩兵大将、プロイセン王国首相、外務大臣
3 クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
Chlodwig Karl Victor Fürst

zu Hohenlohe-Schillingsfürst

1894年10月29日
- 1900年10月17日
自由保守党
(FKP)
プロイセン王国首相、バイエルン王国首相、外務大臣
アルザス=ロレーヌ総督
4 ベルンハルト・フォン・ビューロー
Bernhard von Bülow
1900年10月17日
- 1909年7月14日
無所属 退役陸軍中尉、プロイセン王国首相、外務大臣
5 テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald von Bethmann Hollweg
1909年7月14日
- 1917年7月13日
内務省 名誉陸軍中将、プロイセン王国首相、内務大臣
6 ゲオルク・ミヒャエリス
Georg Michaelis
1917年7月14日
- 1917年10月24日
大蔵省 プロイセン王国首相、外務大臣
7 ゲオルク・フォン・ヘルトリング
Georg von Hertling
1917年10月25日
- 1918年10月3日
中央党 プロイセン王国首相、外務大臣
バイエルン王国首相、外務大臣
8 バーデン大公マクシミリアン
Prinz Maximilian von Baden
1918年10月3日
- 1918年11月9日
無所属
(軍人)
バーデン公子、陸軍少将
プロイセン王国首相、外務大臣
9 フリードリヒ・エーベルト
Friedrich Ebert
1918年11月9日
- 1919年2月13日
ドイツ社会民主党

ヴァイマル共和政

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ヴァイマル共和政時代の首相についての詳細は、ドイツ国首相を参照。

首相の氏名 写真 所属政党 内閣 在任期間 連立与党
1 フィリップ・シャイデマン[注釈 4]
Philipp Scheidemann
ドイツ
社会民主党

(SPD)
第1次 1919年2月13日
- 1919年6月20日
ドイツ民主党
中央党



2 グスタフ・バウアー[注釈 5]
Gustav Bauer
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1919年6月21日
- 1920年3月26日
中央党
3 ヘルマン・ミュラー
Hermann Müller
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1920年3月27日
- 1920年6月8日
ドイツ民主党
中央党
4 コンスタンティン
・フェーレンバッハ

Konstantin Fehrenbach
中央党 第1次 1920年6月25日
- 1921年5月4日
ドイツ人民党
ドイツ民主党
1
5 ヨーゼフ・ヴィルト
Joseph Wirth
中央党 第1次 1921年5月10日
- 1921年10月22日
ドイツ社会民主党
ドイツ民主党
(少数与党政権)
第2次 1921年10月26日
- 1922年11月14日
6 ヴィルヘルム・クーノ[注釈 6]
Wilhelm Cuno
無所属
(ドイツ人民党
を離党)
第1次 1922年11月22日
- 1923年8月12日
ドイツ民主党
ドイツ人民党
中央党
バイエルン人民党
(少数与党政権)
7 グスタフ・シュトレーゼマン
Gustav Stresemann
ドイツ
人民党
(DVP)
第1次 1923年8月13日
- 1923年10月3日
ドイツ社会民主党[注釈 7]
中央党
ドイツ民主党
大連立政権
第2次 1923年10月6日
- 1923年11月23日
8 ヴィルヘルム・マルクス[3]
Wilhelm Marx
中央党 第1次 1923年11月30日
- 1924年5月26日
ドイツ民主党
ドイツ人民党
バイエルン人民党
第2次 1924年6月3日
- 1925年1月15日
ドイツ民主党
ドイツ人民党
2
9 ハンス・ルター
Hans Luther
無所属
(後にドイツ
人民党に入党)
第1次 1925年1月15日
- 1925年12月5日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
中央党・バイエルン人民党
ドイツ国家人民党[注釈 8]
3
第2次 1926年1月20日
- 1926年5月12日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
中央党・バイエルン人民党
10 ヴィルヘルム・マルクス
Wilhelm Marx
中央党 第3次 1926年5月17日
- 1926年12月17日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
バイエルン人民党
第4次 1927年1月19日
- 1928年6月12日
ドイツ人民党
バイエルン人民党
ドイツ国家人民党
11 ヘルマン・ミュラー
Hermann Müller
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第2次 1928年6月28日
- 1930年3月27日
ドイツ人民党
ドイツ民主党
中央党
バイエルン人民党
大連立政権
4
12 ハインリヒ・ブリューニング[3]
Heinrich Brüning
中央党 第1次 1930年3月30日
- 1931年10月7日
ドイツ民主党・ドイツ人民党
バイエルン人民党
経済党・保守人民党
5
第2次 1931年10月9日
- 1932年5月30日
ドイツ国家党・保守人民党
バイエルン人民党
13 フランツ・フォン・パーペン[3]
Franz von Papen
無所属 (中央党を除名) 第1次 1932年6月1日
- 1932年11月17日
ドイツ国家人民党 6
14 クルト・フォン・シュライヒャー[3]
Kurt von Schleicher
無所属
(軍人)
第1次 1932年12月3日
- 1933年1月28日
7
15 アドルフ・ヒトラー [3]
Adolf Hitler
jpg 国民社会主義ドイツ労働者党
(NSDAP)
第1次 1933年1月30日
- 1945年4月30日
ドイツ国家人民党
(1933年6月27日まで)
8

ナチス・ドイツ

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首相の氏名 写真 在任期間 所属政党 備考
1 アドルフ・ヒトラー
Adolf Hitler
1933年1月30日
- 1945年4月30日
国民社会主義
ドイツ労働者党
(NSDAP)
全権委任法などにより、憲法・議会を事実上無力化。1934年8月2日以降、首相職のまま国家元首を兼任し、「総統(Der Führer)」と呼ばれた。在任中に自殺。
2 パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス
Paul Joseph Goebbels
1945年4月30日
- 1945年5月1日
国民社会主義
ドイツ労働者党
(NSDAP)
ヒトラーの遺言書により首相に指名されるが、就任直後に自殺。
- ルートヴィヒ・シュヴェリン
・フォン・クロージク

Ludwig Graf Schwerin
von Krosigk
1945年5月1日
- 1945年5月23日
国民社会主義
ドイツ労働者党
(NSDAP)
カール・デーニッツにより、臨時政府フレンスブルク政府)の首相代行に指名された。降伏後、連合国軍により逮捕・訴追され、懲役10年の判決を受ける(後に恩赦)。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)「閣僚評議会議長」

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ドイツ連邦共和国の首相についての詳細は、ドイツ民主共和国の首相を参照。

閣僚評議会議長の氏名 写真 在任期間 所属政党 国家元首(大統領)
1 オットー・グローテヴォール[注釈 9]
Otto Grotewohl
1949年10月12日
- 1964年9月21日
(在任中に死去)
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
ヴィルヘルム・ピーク
国家元首(国家評議会議長)
ヴァルター・ウルブリヒト
2 ヴィリー・シュトフ
Willi Stoph
(第1期政権)
1964年9月24日
- 1973年10月3日
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
ヴァルター・ウルブリヒト
フリードリヒ・エーベルト
(臨時代理)
3 ホルスト・ジンダーマン
Horst Sindermann
1973年10月3日
- 1976年10月29日
(人民議会により解任)
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
ヴィリー・シュトフ
4 ヴィリー・シュトフ
Willi Stoph
(第2期政権)
1976年10月29日
- 1989年11月7日
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
エーリッヒ・ホーネッカー
エゴン・クレンツ
5 ハンス・モドロウ
Hans Modrow
1989年11月13日
- 1990年4月12日
ドイツ
社会主義
統一党
(SED)
エゴン・クレンツ
マンフレート・ゲルラッハ
国家元首(人民議会議長)
ザビーネ・ベルクマン=ポール
6 ロタール・デメジエール[注釈 10]
Lothar de Maizière
1990年4月12日
- 1990年10月3日
(再統一により国家消滅)
キリスト教
民主同盟

(東ドイツ)

ドイツ連邦共和国(西ドイツ→再統一ドイツ)「連邦首相」

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ドイツ連邦共和国の首相についての詳細は連邦首相 (ドイツ)を参照。

連邦首相の氏名 写真 所属政党 内閣 在任期間 連立与党
1 コンラート・アデナウアー
Konrad Hermann
Joseph Adenauer
キリスト教
民主同盟

(CDU)
第1次 1949年9月15日
- 1953年10月20日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)・ドイツ党 (DP)
1
第2次 1953年10月20日
- 1957年10月29日
キリスト教社会同盟 (CSU)
ドイツ党 (DP)・自由民主党 (FDP)
故郷被追放者・権利被剥奪者
ブロック
(GB-BHE)[注釈 11]
2
第3次 1957年10月29日
- 1961年11月14日
キリスト教社会同盟 (CSU)
ドイツ党 (DP)[注釈 12]
3
第4次 1961年11月14日
- 1962年12月13日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
4
第5次 1962年12月14日
- 1963年10月16日
2 ルートヴィヒ・エアハルト
Ludwig Wilhelm Erhard
キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 1963年10月16日
- 1965年10月26日
第2次 1965年10月26日
- 1966年12月1日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
(1966年10月28日に政権離脱)
5
3 クルト・ゲオルク
・キージンガー

Kurt Georg Kiesinger
キリスト教
民主同盟
(NSDAP
から移党)
第1次 1966年12月1日
- 1969年10月21日
ドイツ社会民主党 (SPD)
キリスト教社会同盟 (CSU)
大連立政権
4 ヴィリー・ブラント
Willy Brandt
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1969年10月21日
- 1972年12月15日
社会民主党(SPD)
自由民主党 (FDP)
6
第2次 1972年12月15日
- 1974年5月7日[注釈 13]
7
- ヴァルター・シェール
Walter Scheel
自由民主党
(FDP)
(自由民主党)による臨時代行 1974年5月7日
-1974年5月16日
社会民主党(SPD)
自由民主党 (FDP)
5 ヘルムート・シュミット
Helmut Heinrich
Waldemar Schmidt
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1974年5月16日
- 1976年12月14日
社会民主党(SPD)
自由民主党 (FDP)
(1982年9月17日に政権離脱)
第2次 1976年12月16日
- 1980年11月4日
8
第3次 1980年11月6日
- 1982年10月1日[注釈 14]
9
6 ヘルムート・コール
Helmut Josef
Michael Kohl
キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 1982年10月1日
- 1983年3月29日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
第2次 1983年3月30日
- 1987年3月11日
10
第3次 1987年3月12日
- 1991年1月18日
11
第4次 1991年1月18日
- 1994年11月17日
12
第5次 1994年11月17日
- 1998年10月27日
13
7 ゲアハルト・シュレーダー
Gerhard Fritz
Kurt Schröder
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 1998年10月27日
- 2002年10月22日
社会民主党(SPD)
同盟90/緑の党
14
第2次 2002年10月22日
- 2005年11月22日
15
8 アンゲラ・メルケル
Angela Dorothea Merkel
キリスト教
民主同盟
(CDU)
第1次 2005年11月22日
- 2009年10月28日
ドイツ社会民主党 (SPD)
キリスト教社会同盟 (CSU)
大連立政権
16
第2次 2009年10月28日
- 2013年12月17日
キリスト教社会同盟 (CSU)
自由民主党 (FDP)
17
第3次 2013年12月17日
- 2018年3月14日
キリスト教社会同盟 (CSU)
ドイツ社会民主党 (SPD)
大連立政権
18
第4次 2018年3月14日
-2021年12月8日
19
9 オラフ・ショルツ
Olaf Scholz
ドイツ
社会民主党
(SPD)
第1次 2021年12月8日
-(現職)
社会民主党(SPD)
同盟90/緑の党
自由民主党
(三党連立政権)
20

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ Reich という語には「帝国」という意味の他に「領土」「国」という意味もある。なお「帝国」ということを強調する場合は、Kaiserreichを使用することがある。
  2. ^ Bundeskanzlerin は Bundeskanzler の女性形の綴り。
  3. ^ なおドイツは州政府も議院内閣制で、州政府の長は Ministerpräsident と呼ばれるが、日本ではこれを「州首相」と呼んでいる。
  4. ^ Reichsministerpräsident(ドイツ国総理大臣)として。
  5. ^ 1919年8月14日までReichsministerpräsident(ドイツ国総理大臣)として。(ワイマール憲法の実施)後Reichskanzler(ドイツ国首相)
  6. ^ [3]
  7. ^ 社会民主党の連立政権離脱により、内閣不信任決議案が可決され退陣。
  8. ^ ドイツ国家人民党の連立政権離脱により、少数与党政権となる。
  9. ^ Ministerpräsident(大臣主席または総理大臣)として。
  10. ^ Ministerpräsident(総理大臣)として。
  11. ^ 1956年2月にFDPが政権離脱。同年3月にGB-BHE所属の全2閣僚がCDUに移籍。
  12. ^ 1960年7月にDP所属の全2閣僚が離党し、9月にCDUに移籍。
  13. ^ ギヨーム事件で引責辞任。
  14. ^ 建設的不信任制度に基づく解任。

出典

[編集]
  1. ^ 東ドイツ憲法(1949) 第91条
  2. ^ 東ドイツ憲法(1968) 第80条
  3. ^ a b c d e f 大統領の非常大権により、議会の指名なしで任命される。

関連項目

[編集]