マンデュロ
マンデュロ | ||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
欧字表記 | Manduro | |||||||||||||||||||||||||||||
品種 | サラブレッド | |||||||||||||||||||||||||||||
性別 | 牡 | |||||||||||||||||||||||||||||
毛色 | 黒鹿毛 | |||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 2002年3月9日 | |||||||||||||||||||||||||||||
死没 | 2020年6月27日(18歳没) | |||||||||||||||||||||||||||||
父 | Monsun | |||||||||||||||||||||||||||||
母 | Mandellicht | |||||||||||||||||||||||||||||
母の父 | Be My Guest | |||||||||||||||||||||||||||||
生国 | ドイツ | |||||||||||||||||||||||||||||
生産者 | Rolf Brunner | |||||||||||||||||||||||||||||
馬主 | G.フォン・ウルマン男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||
調教師 | ピーター・シールゲン(ドイツ) →アンドレ・ファーブル(フランス) | |||||||||||||||||||||||||||||
競走成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||
生涯成績 | 18戦10勝 | |||||||||||||||||||||||||||||
獲得賞金 | 1,513,996ユーロ | |||||||||||||||||||||||||||||
WTRR GAG | M120 - I120 / 2006年[1] M126 - I131 / 2007年[2] 105kg / 2007年 | |||||||||||||||||||||||||||||
|
マンデュロ(欧字名:Manduro、2002年3月9日 - 2020年6月27日)はドイツ生まれで、現役時代はドイツ、フランス、イギリス、イタリアで走った競走馬。2008年より種牡馬となった。半姉に2003年のディアナ賞3着のマンデラ(Mandela)がいる。
経歴
[編集]現役時代
[編集]2004年9月にドイツでデビューし勝利すると、その後のG3ヴィンターファヴォリテン賞で重賞初勝利。この年2戦2勝でシーズンを終える。
2005年は11ヵ月の休養を経て準重賞に出走。久々ながらも後続に2馬身差をつける快勝で復活すると、続くG3ドイツ統一賞も勝利した。しかし4戦4勝で初G1出走となったローマ賞では1番人気に支持されながらも、前走ドイツ統一賞で負かしたソルジャーホロウに完敗の4着になり、初敗戦を喫した。
2006年はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎に移籍し、この年初戦のG2アルクール賞を制した。が、この後は7戦して2着3回、3着4回となかなか勝ち切れない競走が続いた。
しかし2007年はG3アールオブセフトンステークスで約1年ぶりの勝利を挙げるとイスパーン賞で悲願であったG1を初制覇、続くプリンスオブウェールズステークス、ジャック・ル・マロワ賞と勝ち進み完全復活を果たした。さらに初めての2400m戦に挑んだフォワ賞でもマンデシャを振り切り、同年無敗の5連勝を飾った。その後は凱旋門賞出走が予定されていたが、フォワ賞直後に右後肢の管骨を骨折している事が判明し、陣営は引退を決断した。8月にはワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングで、芝部門で世界最高となる128ポンドの評価を与えられていた。
種牡馬時代
[編集]2008年からはダーレーグループ傘下でイギリスにあるダルハムホールスタッドで種牡馬となる。2011年に初年度産駒デビュー。
2020年6月27日、心臓発作のため死亡した[3]。
主な産駒
[編集]- 2009年産
- Mandaean / マンディアン(クリテリウムドサンクルー)
- 2010年産
- 2012年産
- Vazirabad / ヴァジラバド(ロワイヤルオーク賞連覇)
- 2013年産
- Ultra / ウルトラ(ジャン・リュック・ラガルデール賞)
- 2017年産
ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒
[編集]- 2015年産
- 2018年産
- Deny Knowledge / ディナイナレッジ(マイトアンドパワーステークス)[5]
- 2020年産
血統表
[編集]マンデュロの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | バーラム系(ブランドフォード系) | [§ 2] | ||
父 Monsun 1990 黒鹿毛 | 父の父 Konigsstuhl1976 黒鹿毛 | Dschingis Khan | Tamerlane | |
Donna Diana | ||||
Konigskronung | Tiepoletto | |||
Kronung | ||||
父の母 Mosella1985 鹿毛 | Surumu | Literat | ||
Surama | ||||
Monasia | Authi | |||
Monacensia | ||||
母 Mandellicht 1994 青鹿毛 | Be My Guest 1974 栗毛 | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
What a Treat | Tudor Minstrel | |||
Rare Treat | ||||
母の母 Mandelauge1989 黒鹿毛 | Elektrant | Dschingis Khan | ||
Elektra | ||||
Mandriale | Norfolk | |||
Mariapolis F-No. | ||||
母系(F-No.) | (FN:3-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Dschingis Khan S3×M4=18.75% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]- ^ “The 2006 World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2022年2月11日閲覧。
- ^ “The 2007 World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2022年2月11日閲覧。
- ^ 【海外競馬】種牡馬マンデュロが死亡、18歳 2007年に欧州G1・3連勝 - netkeiba.com 2020年6月28日
- ^ “Billesdon Brook makes Guineas history with 66-1 upset at Newmarket” (英語). racinguk.com (2018年5月6日). 2018年5月7日閲覧。
- ^ “Deny Knowledge (IRE) 2018”. breednet.com (2024年10月12日). 2024年10月12日閲覧。
- ^ “ダット”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年10月17日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Manduro(GER)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2018年5月7日閲覧。
- ^ a b “Manduroの血統表”. netkeiba.com. 2018年5月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post