ロサンゼルス・チャージャーズ

ロサンゼルス・チャージャーズ
Los Angeles Chargers
創設 1959年8月14日 (65年前) (1959-08-14)
AFL参入 1960年シーズン
所属地区
  • NFL(1970-現在)
    • AFC(1970-現在)
西地区(1970-現在)
西地区(1960-1969)
チームデザイン
チームロゴ

アーチ状の電撃(稲妻
チームカラー
  パウダーブルー
  サンシャインゴールド
 
ユニフォーム
チーム名
  • ロサンゼルス・チャージャーズ(2017-現在)
    • サンディエゴ・チャージャーズ(1961-2016)
    • ロサンゼルス・チャージャーズ(1960)
ホームタウン
ロサンゼルス・チャージャーズの位置(アメリカ合衆国内)
1961-2016
1961-2016
1960, 2017-現在
1960, 2017-現在

カリフォルニア州イングルウッド(2020-現在)
カリフォルニア州カーソン(2017-2019)
カリフォルニア州サンディエゴ(1961-2016)
カリフォルニア州ロサンゼルス(1960)

SoFiスタジアム(2020-現在)
ディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク
 スタブハブ・センター
(2017-2019)
クアルコム・スタジアム
 ジャック・マーフィー・スタジアム
 サンディエゴ・スタジアム
(1967-2016)
バルボア・スタジアム(1961年-1966年)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(1960年)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
  • なし
カンファレンス・チャンピオン (1回)
AFC
地区優勝 (10回)
旧AFC西地区
AFC西地区
ワイルドカード(4回)
プレーオフ進出(15/59回)
AFL(1960-1969)における実績
AFLチャンピオン
地区優勝
AFL西地区
球団組織
オーナー ディーン・スパノス
GM ジョジョ・ウッデン (暫定)
ヘッドコーチ ジム・ハーボー

ロサンゼルス・チャージャーズ英語: Los Angeles Chargers、略称: LAC)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郊外イングルウッドに本拠地をおくNFLチーム。AFC西地区に所属している。本拠地スタジアムはSoFiスタジアムで、同じNFLのロサンゼルス・ラムズと共同で使用している。チーム本部と練習場は同じくロサンゼルス郊外のコスタメサに位置している。

スーパーボウルには第29回に出場しているが優勝経験はない。AFLのチームとして創設され、1961年から2016年までの間は、同じカリフォルニア州のサンディエゴを本拠地として「サンディエゴ・チャージャーズ英語: San Diego Chargers、略称: SD)」と名乗っていた。

概要

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1959年8月14日ロサンゼルスを本拠地とするチームとして発足。1960年9月10日アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)の一員として始動した。最初のシーズンをロサンゼルスで過ごした後、翌1961年サンディエゴに移転。 その後、1970年のAFLとNFLの合併によりNFLに加盟し、以後AFC西地区の所属となる。

チャージャースのロサンゼルス復帰は、ラムズセントルイスからロサンゼルスに復帰した1年後の2017年シーズンに発表された。本拠地スタジアムは、ロサンゼルス初期はロサンゼルス・メモリアル・コロシアム、サンディエゴではバルボア・スタジアムクアルコム・スタジアム、そしてロサンゼルス復帰直後の2017年から2019年まではディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク(旧、スタブハブ・センター)を使用しており、2020年からはSoFiスタジアムを使用している。

チームはAFL時代、1963年に優勝したほか、プレーオフに5回、チャンピオンシップゲームには4回進出した。その後、AFLとNFLの合併によるNFLへ加入後、プレーオフに13回進出し、AFCチャンピオンシップゲームには4回出場した。1994年にはAFCチャンピオンになり出場した第29回スーパーボウルサンフランシスコ・49ersと対戦し、49-26で敗れた。 プロフットボール殿堂には、8人の選手と1人のコーチが登録されている。

歴史

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チーム創設から1979年まで

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1959年にNFLに対抗して結成されたAFLのオリジナルメンバーとしてロサンゼルス・チャージャーズは誕生した。オーナーはヒルトンホテルの創始者、コンラッド・ヒルトンの息子のバロン・ヒルトン。チーム名は、設立時のゼネラルマネジャーフランク・リーヒーが、ドジャー・スタジアム南カリフォルニア大学(USC)の試合でファンが「チャージ」と叫び、軍隊ラッパを吹いている光景が好きだったことから命名された[1]

1961年にサンディエゴ新聞社編集長だったジャック・マーフィーがチームを誘致し、チームはサンディエゴに移転し、サンディエゴ・チャージャーズとなった[2]。チャージャーズ最初のスター選手はWRのランス・アルワースで11年間のキャリアで彼は543回のパスレシーブで10266ヤードを稼いだ。またプロフットボール記録となる96試合連続パスキャッチの記録も残した[3]。AFL時代の10年間は当時パスオフェンスの権威であったシド・ギルマンがヘッドコーチであり、アルワース、ポール・ロウキース・リンカーンジョン・ヘイドルらによる強力なオフェンスで地区優勝6回、1963年にはボストン・ペイトリオッツを51-10で破りAFLチャンピオンになった。ディフェンスも優れており1961年には49インターセプトを記録すると共に新人DEのアール・フェイソンはAFL最優秀新人選手に選ばれた。ディフェンスラインのフェイソン、アーニー・ラッド(後にプロレスラー)らはフィアサム・フォーサムと呼ばれるようになった最初のユニットとなった。

1966年にヒルトンオーナーはユージン・クラインサム・シュルマンに率いられたオーナーグループにチームを売却した[4]。1969年9月29日に行われた第3回スーパーボウルチャンピオンになったニューヨーク・ジェッツ戦ではサンディエゴ・スタジアムに54,042人が詰めかけた。1969年シーズン終了後、健康上の問題を理由にギルマンヘッドコーチは退任しゼネラルマネージャーに就任、アシスタントコーチだったチャーリー・ウォーラーが後任のヘッドコーチに就任した。AFLでの10年間中5回プレーオフに進出しAFLチャンピオンシップゲームに4回出場を果たした。

1970年、AFLとNFLが統合されるとチームはAFC西地区に所属することとなったが1960年代の栄光を支えた選手の多くは引退したり、移籍してチームは低迷した。ディーコン・ジョーンズジョニー・ユナイタスなどの獲得もあったが、彼らは全盛期を過ぎており、活躍はできなかった。

ファウツ時代

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1978年9月10日には地元サンディエゴでホーリー・ローラーと呼ばれている(チャージャーズファンには、Immaculate Deceptionと呼ばれている)プレイの結果、オークランド・レイダースに敗れた。このプレイではチャージャーズのウッディー・ロウがQBサック寸前にケン・ステイブラーがファンブル、それをリカバーしようとしたRBのピート・バナザックがこれをはじき最後はデーブ・キャスパーがエンドゾーン方向にボールをはじいた後、確保しタッチダウンが認められたが、チャージャーズファンにはインコンプリートパス、またはインテンショナル・グラウディングであり、その後のバナザック、キャスパーのプレイもペナルティとするべきだったと考えられている。このシーズン終了後に前半及び後半の2ミニッツウォーニング以降にファンブルしたボールを前進させることができるのは最初にファンブルした選手のみとし、別のオフェンス選手がリカバーした場合はファンブルのあった地点にボールを戻すこととするルール改正が行われた。

1979年はチームにとって転機となった。この年、ダン・ファウツはNFL記録となる4試合連続300ヤード以上のパスを投げた。ドン・コリエル(エア・コリエルと呼ばれた[5])ヘッドコーチの指揮の下、ファウツはタイトエンドのケレン・ウィンズロー、WRのジョン・ジェファーソンチャーリー・ジョイナーらにパスを投げ続け14年ぶりにプレーオフ進出を果たした。12月17日に行われたデンバー・ブロンコス戦を17-7で制してAFC西地区優勝を果たした。プレーオフ初戦でヒューストン・オイラーズに14-17で敗れたがGMジョン・サンダースはNFLのエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。またシーズン終了後のプロボウルのハーフタイムの際にロン・ミックスがAFL出身の選手として史上2人目となるプロフットボール殿堂入りすることが発表された。

1980年、チームはトレードでRBチャック・マンシーを獲得、ニューヨーク・ジャイアンツ戦でファウツはチーム記録となる444ヤードを投げて44-7で勝利した。またレギュラーシーズン最終節のピッツバーグ・スティーラーズ戦では26-17と勝利し、11勝5敗で2年連続地区優勝を果たした。この年ジェファーソンが1340ヤード、ウィンズローが1290ヤード、ジョイナーが1132ヤードをレシーブで獲得し、1シーズンに同一チームから1000ヤード以上レシーブで獲得した選手が3人出た最初の記録となった。ディフェンスもNFLトップの60サックを相手QBに浴びせ、1975年ドラフト組のフレッド・ディーン、ゲイリー・ジョンソンルーイ・ケルチャーに加えてリロイ・ジョーンズを加えたフロントラインはブルース・ブラザーズをもじって"Bruise Brothers"と呼ばれた。チームはバッファロー・ビルズを20-14で破ったが、オークランド・レイダースに27-34で破れ、第15回スーパーボウル出場を逃した。

ダン・ファウツHCの元、「エピック・イン・マイアミ」などの試合もあり、チャージャーズは1979年から1982年にかけて連続でポストシーズンに出場した

1981年、チームは10勝6敗で3年連続の地区優勝を決めた。ジョン・ジェファーソンが契約に不満を持ちホールドアウトしたため、グリーンベイ・パッカーズにトレードし、代わりにウェス・チャンドラーが起用された。また同じくフレッド・ディーンもサンフランシスコ・フォーティナイナーズにトレードされた[6]。ディーンはこの年11試合の出場ながらUPI通信が選ぶ最優秀守備選手となり、フォーティナイナーズは第16回スーパーボウルを制した一方、チャージャーズのディフェンスは弱体した。

1981年、1982年とチームのパス攻撃はNFLトップであった。1981年、ダン・ファウツは当時NFL記録となった4,802ヤードを投げて33タッチダウンをあげた。1982年1月2日マイアミ・オレンジボウルで行われた最高気温29.4度となったプレーオフでマイアミ・ドルフィンズと対戦した[7]。のちに「エピック・イン・マイアミ」と呼ばれることになるこの試合は、両軍合計79得点、トータル獲得ヤード合計1,036ヤード、トータルパス獲得ヤード809ヤードなどのプレーオフ記録が生まれた。チームは24-0と一時大量リードしたが追いつかれ、最後はオーバータイムにロルフ・ベナーシュキーの29ヤードのFGが決まり41-38でチャージャーズが勝利した[8]The Epic in Miami[9])。

翌週シンシナティリバーフロント・スタジアムで行われたAFCチャンピオンシップゲームシンシナティ・ベンガルズ戦)は、フリーザーボウルと呼ばれるようになり、NFL史上でも最も過酷な試合の1つとなった。氷点下23度、体感温度は氷点下51度の条件となった試合は一時開催地の変更話も出るほどであり、選手が怪我した場合に複雑骨折してしまうのではという懸念もされた。この試合で7-27で敗れシーズンを終えた[10]

ストライキで短縮された1982年シーズンも、ファウツはパスで平均320ヤード以上を獲得した。この年チームは前年のスーパーボウルに出場した両チームとの試合でいずれもファウツが400ヤード以上を投げてサンフランシスコ・フォーティナイナーズを41-37、シンシナティ・ベンガルズを50-34で破った。このベンガルズとのマンデーナイトフットボールでは、ウェス・チャンドラーが10回のレシーブで当時のMNF記録となる260ヤードを獲得するなど[11]、チームはパスで501ヤード、ランで175ヤード、合計661ヤードを獲得した。この記録は2009年シーズン終了時点でもNFL記録として残っている。またWRのウェス・チャンドラーはレシーブで1試合平均129ヤードを獲得したがこれもNFL記録として残っている。チームはプレーオフ初戦でピッツバーグ・スティーラーズを破ったが、マイアミ・ドルフィンズに13-34で敗れシーズンを終えた。その後チームは、1983年から1991年まで9年連続でプレーオフを逃した。

1983年のドラフトでチームは1巡指名権を3つ持っておりニューイングランド・ペイトリオッツからマイク・ヘインズとのトレード話があったがチームはこれを拒否、この時指名されたゲイリー・アンダーソンUSFLに行ってしまいチームに加入したのは1985年であった。1988年にアンダーソンは1,119ヤードを走り、1回あたり5.0ヤードを獲得したが、1989年開幕前ホールドアウトし、チームはタンパベイ・バッカニアーズに彼をトレードした[6]

1983年10月31日のワシントン・レッドスキンズとのマンデーナイトフットボールエド・ルーサーが6インターセプトを喫し、24-27で敗れた[12]

1984年に、チームオーナーのクラインは、チームを売却しようとベテラン選手を放出した。同年8月1日、アレックス・スパノスがチームの経営権の97%を獲得した。この年ベナーシクが"Miller Man of the Year"を獲得、チャーリー・ジョイナーはピッツバーグ・スティーラーズ戦で通算650キャッチの記録を達成した。

1985年にはガードのエド・ホワイトが通算241試合出場となり、オフェンシブラインマンとしては新記録を達成した。また小柄なライオネル・ジェームスはリターン、ラン、レシーブで2,535ヤードのNFL記録を樹立した。

1986年シーズン途中でコリエルヘッドコーチは辞任、アル・ソーンダースが後任となった。

ジャック・マーフィー・スタジアム(のちのクアルコム・スタジアム)での試合(1987年)

1987年、チームは8勝7敗で終え、1982年以来の勝ち越しとなったが、6連敗も経験した。15シーズンのキャリアで7つのNFL記録、42のクラブ記録、NFL歴代2位のパス獲得43,040ヤードの記録を残してダン・ファウツが引退した。彼の背番号14は永久欠番となった。

1980年代後半

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1989年に元チャージャーズのQBでアトランタ・ファルコンズでもヘッドコーチを務めたダン・ヘニングがヘッドコーチに就任した。この年、前シカゴ・ベアーズのQBジム・マクマーンと契約したが、1年でフィラデルフィア・イーグルスへ移籍した。また、この年カンザスシティ・チーフス戦では新人RBマリオン・バッツが、クラブ記録となる39回のボールキャリーで176ヤードを走る活躍を見せて、20-13で勝利した。

1990年代

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1990年ボビー・ベサードゼネラルマネージャーに就任した。

1992年にヘッドコーチにボビー・ロスが就任、ワシントン・レッドスキンズからQBスタン・ハンフリーズを獲得した。この年チームは開幕から4連敗したが残り12試合で11勝をあげて地区優勝を果たした。プレーオフでもチーフスを17-0と完封したがマイアミ・ドルフィンズに完封負けしてシーズンを終えた。1993年ドラフト8巡目でQBトレント・グリーンを指名した。この年チームは8勝8敗で地区4位に終わった。

1994年ジュニア・セアウルーベン・デービスショーン・リーレスリー・オニールらに率いられたディフェンス、ハンフリーズ、ネイトロン・ミーンズトニー・マーティンらの活躍で開幕からの6連勝を含む11勝5敗でシーズンを終えた。シアトル・シーホークス戦ではハンフリーズからマーティンへのNFLタイ記録となる99ヤードのTDパスも決まった。プレーオフでドルフィンズを22-21、スティーラーズを17-13で破り第29回スーパーボウル出場を果たしサンフランシスコ・フォーティナイナーズと対戦したが26-49で敗れた。

1995年、チームは5連勝もあり9勝7敗でプレーオフ出場を果たしたがインディアナポリス・コルツに20-35で敗れた。

1996年ロドニー・カルバーバリュージェット航空592便墜落事故で亡くなった。この11ヶ月前にはデビッド・グリッグス交通事故で亡くなっておりチームとしては現役中に亡くなった2人目の選手となった。

1997年、ロスヘッドコーチはベサードGMと対立し解任されケビン・ギルブライドが新ヘッドコーチとなりチームはこれまでのロスコーチのボールコントロールオフェンスからギルブライドコーチのパス中心のオフェンスを目指すこととなった[13]。チームはこの年NFL最低の17タッチダウンパスしかあげられなかった。

そのため1998年ドラフトではドラフト全体3位指名権を持っていたがペイトン・マニングライアン・リーフのいずれかを獲得しようとボビー・ベサードはアリゾナ・カージナルスの持つ全体2位指名権と全体3位指名権、ドラフト2巡指名権、1999年のドラフト1巡指名権、プロボウルに3回選ばれているリターナーのエリック・メトカーフなどをトレードした。その結果、チームはライアン・リーフを獲得した。リーフは1983年のジョン・エルウェイ以来となる開幕から2連勝した。しかし翌週のカンザスシティ・チーフス戦でリーフはパス15本中わずか1本しか成功できず3ファンブルでボールを失う[14]など、7試合でチームは6敗するなど過去22年間でNFL最低のQBレイティングに終わった。またシーズン途中にギルブライドは解任されジューン・ジョーンズが暫定ヘッドコーチに就任した。このシーズン終了後ジョーンズコーチはハワイ大学に就任するため去り、オレゴン州立大学マイク・ライリーが新ヘッドコーチとなった。

1999年にはボルチモア・レイブンズからトレードでジム・ハーボーがチームに加わり先発QBとなった。

2000年代初頭

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2000年4月ベサードGMは引退、2001年1月、元バッファロー・ビルズのGM、ジョン・バトラーが後任となった。1996年から2003年まで8年連続でチームは勝ち越すことができなかった。

2001年に入団したRBのラダニアン・トムリンソン

2001年、元ワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチ、ノーブ・ターナーがオフェンスコーディネーターに就任した。チームはフリーエージェントのQBダグ・フルーティを獲得、ドラフト全体1位指名権をアトランタ・ファルコンズに同年の全体5位指名権などとトレードし(この時全体1位で指名されたのがQBマイケル・ヴィック。)、1巡目でRBラダニアン・トムリンソン、2巡目でQBドリュー・ブリーズを獲得した。

ブリーズ先発期

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2002年からライリーに代わり、クリーブランド・ブラウンズカンザスシティ・チーフスなどを何度もプレーオフに導いたマーティ・ショッテンハイマーが新ヘッドコーチに就任した。この年チーム史上初めて開幕から4連勝した。

2003年4月、9ヶ月癌と闘病生活を送ったバトラーGMは死去し、後任に彼の親友でもあったA・J・スミスバッファロー・ビルズのスーパーボウル出場に共に貢献した。)が就任した。この年12回プロボウルに選ばれたジュニア・セアウをマイアミ・ドルフィンズにトレードした。トムリンソンが1,645ヤードを走り、同一シーズンに1000ヤードラッシャー、100キャッチをした最初の選手となった。

前年の勝敗が他の2チームと並びNFL最低であったチームは2004年ドラフト全体1位指名権を獲得し、ミシシッピ大学イーライ・マニングを指名したがマニングは入団を拒否[15]、同年1巡全体4位でニューヨーク・ジャイアンツに指名を受けたフィリップ・リバースらとのトレードが成立した。リバースは契約が難航しトレーニングキャンプをホールドアウト、ブリーズが先発QBとなった。チームは12勝4敗でプレーオフに出場したがルーキーキッカーのネイト・ケディングの40ヤードのFG失敗もありニューヨーク・ジェッツに17-20で敗れた。この年ショッテンハイマーは最優秀コーチに選ばれた。

2005年のドラフトで前年のイーライ・マニングをトレードした見返りに得たドラフト権でショーン・メリマンを獲得した。彼は最優秀守備新人選手に選ばれると共にプロボウルに選出された。この年タイトエンドのアントニオ・ゲイツが開幕から2試合ホールドアウトした。またトムリンソンはこの年途中まで18試合連続でタッチダウンを決めた。インディアナポリス・コルツ戦では第3Qまでで16-0とリードした後、17点取られて逆転を許したが26-17と再逆転しコルツの開幕からの連勝を13で止めた。この年契約の切れたブリーズはニューオーリンズ・セインツへ去った。

リバース時代

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2006年からQBを務めたフィリップ・リバース

2006年シーズン、リバースがエースQBに収まり、トムリンソンがNFLトップの1,815ヤードを走ると共にNFL新記録となる31タッチダウンをあげてチームは14勝2敗の成績をあげたがプレーオフ初戦でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。オフシーズンにはオフェンスコーディネーターのキャム・キャメロンがマイアミ・ドルフィンズのヘッドコーチに、ディフェンスコーディネーターのウェイド・フィリップスはダラス・カウボーイズのヘッドコーチに就任、マーティ・ショッテンハイマーヘッドコーチは解任されてノーブ・ターナーが後任となった。

2007年シーズン開幕から1勝3敗と出遅れたがシーズン最後の6試合を全勝し11勝5敗で地区優勝を果たしプレーオフ出場を果たした。第10週のインディアナポリス・コルツ戦でペイトン・マニングから6インターセプトを奪い、プレーオフでのコルツとの再戦も勝利したがAFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2008年シーズンはラダニアン・トムリンソンの不調もありシーズン序盤出遅れた[16]。4勝8敗から4連勝[17]、最終節で同地区のデンバー・ブロンコスを52-21で破り1985年のクリーブランド・ブラウンズ以来8勝8敗ながら地区優勝を果たし[18]、プレーオフでも23-17でインディアナポリス・コルツを破る番狂わせを演じた[19]ピッツバーグ・スティーラーズに24-35で敗れシーズンを終えた。オフシーズンには残留を望むトムリンソンの放出も匂わせていたが彼がチームに残留することについて合意に達した[20]

2009年チームは2勝3敗と出遅れ、同地区のデンバー・ブロンコスは開幕から6連勝した。大方の予想ではブロンコスの地区優勝は確定で、チャージャーズはワイルドカード争いに加われるかであろうという見方となり、ファンの中にはターナーヘッドコーチの解任を求める声もあがった。この年チームはトムリンソンに頼らずリバースのパス攻撃を重視するようになった。リバースは4,254ヤードを投げて28タッチダウン、9インターセプトの好成績を残してQBレイティングではドリュー・ブリーズ、ブレット・ファーヴに次いでNFL3位となった。チームはシーズン最後の11試合を連勝で終えて1972年から1976年オークランド・レイダース以来となる4年連続地区優勝を果たした。この年まででチームは12月の試合で18連勝とし1970年から1974年のマイアミ・ドルフィンズが11月の試合で作った連勝記録に並んだ。プレーオフ第2シードを獲得したがニューヨーク・ジェッツに14-17で敗れシーズンを終えた。

2010年、チームはトムリンソンを解雇[21]、その後彼はニューヨーク・ジェッツと契約した。

2011年、開幕から5試合で4勝1敗と好スタートを切ったがその後6連敗を喫した。この間リバースは多くのインターセプトを喫した。WRマルコム・フロイドの復帰後、チームは連勝を見せたものの、最終的に8勝8敗でプレーオフを逃した。

2012年、第6週のデンバー・ブロンコス戦では、前半を24-0で折り返したが、後半35点を連取され、24-35と逆転負けを喫した[22]。第12週のボルチモア・レイブンズ戦では3点リードした第4Q終盤、第4ダウン29ヤードまで相手を追い詰めながら、レイ・ライスに29ヤードを走られてファーストダウンを更新され、その後同点FGが決められ、オーバータイムの末敗れた[23]。7勝9敗でシーズンを終えた後、ノーブ・ターナーヘッドコーチとA・J・スミスGMは解任された[24]。2013年1月15日、デンバー・ブロンコスのオフェンスコーディネーター、マイク・マッコイが新ヘッドコーチに就任することが発表された[25]

2015年、4勝12敗と大きく負け越しシーズンを終えた。この年、チームはレイダースと共同でロサンゼルス再移転の申請をしていたが、2016年1月12日のオーナー会議で否決され、ラムズのロサンゼルスへの移転が承認された。その承認決議では、チャージャーズに対してラムズとのスタジアム共用でのロサンゼルス移転を受け入れるか否かの選択権を与えるとの条件が付され、チームは1年以内に、サンディエゴに残留するかまたはロサンゼルスへ移転するかを選択することとなった[26]

2016年も引き続き地区最下位となり、プレーオフを逃した。このシーズンより地区ライバルのカンザスシティ・チーフスが連続して優勝し、チャージャーズは苦杯をなめることが続く。 2017年1月1日、マッコイに代わってバッファロー・ビルズの前オフェンスコーディネーターであったアンソニー・リンの新ヘッドコーチ就任を発表した。同年1月12日、2017年シーズンから57年ぶりにロサンゼルスへ再移転し、イングルウッドハリウッドパーク競馬場跡地に建設予定の新スタジアム(SoFiスタジアム)が完成するまでは、カーソンカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校にあるスタブハブ・センターを仮拠点とすることを発表した。

暫定的に本拠地として使用したディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク(旧:スタブハブ・センター)

移転に関してはロサンゼルスにおいても反発も見られた[27] 。暫定使用のスタブハブ・センターはNFLの最低条件の収容人数である50,000人を下回る30,000人しか収容できないが、最初のホームゲームではチケットを売りさばけず、25,000人しか観客を集められなかった[28]。 この不人気を見て、NFLはチャージャースをサンディエゴに戻すことを考慮していると報じられた[29]2017年は、最終戦までプレーオフ進出の可能性を残したが、結局はかなわなかった。

2018年にオーナーのアレックス・スパノスが死去し、社長を務めていた息子のディーンが後任となった。2018年シーズンにはワイルドカードでプレーオフに進出し初戦は勝利したがディビジョナルプレーオフで敗退した。

2019年4月、チームはホームユニフォームのプライマリー・カラーをパウダーブルーに変更することを発表した。2019年シーズンは地区最下位となった。シーズン後、長年エースQBをつとめたフィリップ・リバースインディアナポリス・コルツに移籍した。

ハーバート時代

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2020年からQBを務めるジャスティン・ハーバート

2020年シーズン新型コロナウイルス感染症流行により全試合を無観客で開催し、QBのタイロッド・テイラー気胸で離脱したため、第2週からはルーキーのジャスティン・ハーバートを先発させたが、プレーオフは逃した。シーズン終了後、HCのアンソニー・リンは解任された。2021年1月17日、ロサンゼルス・ラムズのディフェンシブコーチだったブランドン・ステイリーが新たにヘッドコーチに就任した。

2021年シーズンは前シーズンに引き続き、ハーバートを先発QBとして、シーズンを戦った。ハーバートは全試合で先発し、チームは2018年シーズン以来、3シーズンぶりの勝ち越しをしたが、引き分け以上でプレーオフ進出となる最終戦、延長でラスベガス・レイダースに敗れて地区三位となり、プレーオフを逃した。この試合は延長最後のプレーまで同点であり、そのまま引き分けた場合は両チームが共にプレーオフに進むはずであったが、フィールドゴールにより試合が決してチャージャーズはプレーオフを逃した。

2022年シーズンは地区優勝は7年連続してカンザスシティ・チーフスに譲るも、地区2位となり第5シードのワイルドカードでプレーオフに進んだ。初戦ではジャクソンビル・ジャガーズと対戦し、一時は27-0とリードするものの30-31で逆転負けした。OCジョー・ロンバルディを解雇した。

2023年シーズンは、5勝7敗で迎えた第14週の試合でハーバートが指を負傷して手術が必要となり、シーズン終了となった[30]。2023年12月15日、前日のラスベガス・レイダース戦大敗を受けてステイリーHCとテレスコGMをともに解雇し、OLBコーチのギフ・スミスを暫定HC、選手人事部長のジョジョ・ウッデンを暫定GMとした[31]。第16週、プレーオフ進出を逃した。

2024年1月24日、かつてチャージャーズでQBとしてプレイし、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズおよびミシガン大学などでヘッドコーチを務めたジム・ハーボーをHCとすることを発表した[32]

文化

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チアリーディング

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チームの公式チアリーディングとして1990年にロサンゼルス・チャージャー・ガールズ(Los Angeles Charger Girls)が誕生した。サンフランシスコ・フォーティナイナーズロサンゼルス・クリッパーズNBA)、サクラメント・キングス(NBA)のダンスチームも担当している「e2k・イベント・アンド・エンターテイメント」によって運営されている。

2024年シーズン

2024年シーズンのチャージャーズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
成績 AFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 6位 2位 6 3 0 .667 2-1 4-2 186 118 20.7 13.1 .459 .298
2023 レギュラー敗退 15位 4位 5 12 0 .294 1–5 3–9 346 398 20.4 23.4 .529 .388
2022 ワイルドカード敗退 5位 2位 10 7 0 .588 2-4 7-5 391 384 23.0 22.6 .443 .341
2021 レギュラー敗退 10位 3位 9 8 0 .529 3-3 6-6 474 469 27.9 27.6 .510 .500
2020 レギュラー敗退 11位 3位 7 9 0 .438 3-3 6-6 384 426 24.0 26.6 .482 .344
2019 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 0-6 3-9 337 345 21.1 21.6 .514 .488
2018 ディビジョナル敗退 5位 2位 12 4 0 .750 4-2 9-3 428 329 26.8 20.6 .477 .422
2017 レギュラー敗退 8位 2位 9 7 0 .563 3-3 6-6 355 272 22.2 17.0 .457 .347
2016 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 1-5 4-8 410 423 25.6 26.4 .543 .513
2015 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 0-6 3-9 402 398 25.1 24.9 .527 .328
2014 レギュラー敗退 9位 3位 9 7 0 .563 2-4 6-6 348 348 21.8 21.8 .512 .403
2013 ディビジョナル敗退 6位 3位 9 7 0 .563 4-2 6-6 396 348 24.8 21.8 .496 .549
2012 レギュラー敗退 8位 2位 7 9 0 .438 4-2 7-5 350 350 21.9 21.9 .457 .286
2011 レギュラー敗退 9位 2位 8 8 0 .500 3-3 7-5 406 377 25.4 23.6 .516 .430
2010 レギュラー敗退 7位 2位 9 7 0 .563 3-3 7-5 441 319 27.6 19.9 .457 .410
2009 ディビジョナル敗退 2位 1位 13 3 0 .813 5-1 9-3 454 320 28.4 20.0 .453 .433

2024年シーズン成績

AFC西地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
カンザスシティ・チーフス 9 0 0 1.000 2-0 5-0 219 161 24.3 17.9 .483 .483 8
ロサンゼルス・チャージャーズ 6 3 0 .667 2-1 4-2 186 118 20.7 13.1 .459 .298 8
デンバー・ブロンコス 5 5 0 .500 1-2 2-4 197 177 19.7 17.7 .505 .306 7
ラスベガス・レイダース 2 7 0 .222 0-3 2-5 168 251 18.7 27.9 .560 .474 8
AFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 カンザスシティ・チーフス 西 9 0 0 1.000 2-0 5-0 .483 .483
2 バッファロー・ビルズ 8 2 0 .800 3-0 6-2 .409 .338
3 ピッツバーグ・スティーラーズ 7 2 0 .778 0-0 4-1 .437 .456
4 ヒューストン・テキサンズ 6 3 0 .667 3-0 5-1 .471 .424
ワイルドカード圏内
5 ボルチモア・レイブンズ 7 3 0 .700 2-1 4-3 .500 .507
6 ロサンゼルス・チャージャーズ 西 6 3 0 .667 2-1 4-2 .459 .298
7 デンバー・ブロンコス 西 5 5 0 .500 1-2 2-4 .505 .306
プレーオフ圏外
8 インディアナポリス・コルツ 4 6 0 .400 1-3 3-4 .524 .429
9 シンシナティ・ベンガルズ 4 6 0 .400 1-2 2-4 .510 .237
10 ニューヨーク・ジェッツ 3 7 0 .300 1-2 3-4 .547 .393
11 ニューイングランド・ペイトリオッツ 3 7 0 .300 1-2 2-5 .376 .379
12 マイアミ・ドルフィンズ 2 6 0 .250 1-2 2-4 .474 .250
13 クリーブランド・ブラウンズ 2 7 0 .222 1-1 2-3 .465 .450
14 テネシー・タイタンズ 2 7 0 .222 0-1 2-4 .518 .278
15 ラスベガス・レイダース 西 2 7 0 .222 0-3 2-5 .560 .474
16 ジャクソンビル・ジャガーズ 2 8 0 .200 1-1 2-4 .533 .350
タイブレーク
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

過去の成績

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2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
成績 AFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 6位 2位 6 3 0 .667 2-1 4-2 186 118 20.7 13.1 .459 .298
2023 レギュラー敗退 15位 4位 5 12 0 .294 1–5 3–9 346 398 20.4 23.4 .529 .388
2022 ワイルドカード敗退 5位 2位 10 7 0 .588 2-4 7-5 391 384 23.0 22.6 .443 .341
2021 レギュラー敗退 10位 3位 9 8 0 .529 3-3 6-6 474 469 27.9 27.6 .510 .500
2020 レギュラー敗退 11位 3位 7 9 0 .438 3-3 6-6 384 426 24.0 26.6 .482 .344
2019 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 0-6 3-9 337 345 21.1 21.6 .514 .488
2018 ディビジョナル敗退 5位 2位 12 4 0 .750 4-2 9-3 428 329 26.8 20.6 .477 .422
2017 レギュラー敗退 8位 2位 9 7 0 .563 3-3 6-6 355 272 22.2 17.0 .457 .347
2016 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 1-5 4-8 410 423 25.6 26.4 .543 .513
2015 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 0-6 3-9 402 398 25.1 24.9 .527 .328
2014 レギュラー敗退 9位 3位 9 7 0 .563 2-4 6-6 348 348 21.8 21.8 .512 .403
2013 ディビジョナル敗退 6位 3位 9 7 0 .563 4-2 6-6 396 348 24.8 21.8 .496 .549
2012 レギュラー敗退 8位 2位 7 9 0 .438 4-2 7-5 350 350 21.9 21.9 .457 .286
2011 レギュラー敗退 9位 2位 8 8 0 .500 3-3 7-5 406 377 25.4 23.6 .516 .430
2010 レギュラー敗退 7位 2位 9 7 0 .563 3-3 7-5 441 319 27.6 19.9 .457 .410
2009 ディビジョナル敗退 2位 1位 13 3 0 .813 5-1 9-3 454 320 28.4 20.0 .453 .433

4地区制

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地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 KC (3v) 11 6 0 LV 8 9 0 DEN 8 9 0 LAC 5 12 0
2022 KC (1v) 14 3 0 LAC(5w) 10 7 0 LV 6 11 0 DEN 5 12 0
2021 KC (2c) 12 5 0 LV (5w) 10 7 0 LAC 9 8 0 DEN 7 10 0
2020 KC (1s) 14 2 0 LV 8 8 0 LAC 7 9 0 DEN 5 11 0
2019 KC (2v) 12 4 0 DEN 7 9 0 OAK 7 9 0 LAC 5 11 0
2018 KC (1c) 12 4 0 LAC(5d) 12 4 0 DEN 6 10 0 OAK 4 12 0
2017 KC (4w) 10 6 0 LAC 9 7 0 OAK 6 10 0 DEN 5 11 0
2016 KC (2d) 12 4 0 OAK(5w) 12 4 0 DEN 9 7 0 SD 5 11 0
2015 DEN(1v) 12 4 0 KC (5d) 11 5 0 OAK 7 9 0 SD 4 12 0
2014 DEN(2d) 12 4 0 KC 9 7 0 SD 9 7 0 OAK 3 13 0
2013 DEN(1s) 13 3 0 KC (5w) 11 5 0 SD (6d) 9 7 0 OAK 4 12 0
2012 DEN(1d) 13 3 0 SD 7 9 0 OAK 4 12 0 KC 2 14 0
2011 DEN(4d) 8 8 0 SD 8 8 0 OAK 8 8 0 KC 7 9 0
2010 KC (4w) 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 8 8 0 DEN 4 12 0
2009 SD (2d) 13 3 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 4 12 0
2008 SD (4d) 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 2 14 0
2007 SD (3c) 11 5 0 DEN 7 9 0 KC 4 12 0 OAK 4 12 0
2006 SD (1d) 14 2 0 KC (6w) 9 7 0 DEN 9 7 0 OAK 2 14 0
2005 DEN(2c) 13 3 0 KC 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 4 12 0
2004 SD (4w) 12 4 0 DEN(6w) 10 6 0 KC 7 9 0 OAK 5 11 0
2003 KC (2d) 13 3 0 DEN(6w) 10 6 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
2002 OAK(1s) 11 5 0 DEN 9 7 0 SD 8 8 0 KC 8 8 0

3地区制

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地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 OAK(3d) 10 6 0 SEA 9 7 0 DEN 8 8 0 KC 6 10 0 SD 5 11 0
2000 OAK(2c) 12 4 0 DEN(5w) 11 5 0 KC 7 9 0 SEA 6 10 0 SD 1 15 0
1999 SEA(3w) 9 7 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 6 10 0
1998 DEN(1v) 14 2 0 OAK 8 8 0 SEA 8 8 0 KC 7 9 0 SD 5 11 0
1997 KC(1d) 13 3 0 DEN(4v) 12 4 0 SEA 8 8 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
1996 DEN(1d) 13 3 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 OAK 7 9 0 SEA 7 9 0
1995 KC(1d) 13 3 0 SD(4w) 9 7 0 SEA 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 8 8 0
1994 SD(2s) 11 5 0 KC(6w) 9 7 0 RAI 9 7 0 DEN 7 9 0 SEA 6 10 0
1993 KC(3c) 11 5 0 RAI(4d) 10 6 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 8 8 0 SEA 6 10 0
1992 SD(3d) 11 5 0 KC(6w) 10 6 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SEA 2 14 0
1991 DEN(2c) 12 4 0 KC(4d) 10 6 0 RAI(5w) 9 7 0 SEA 7 9 0 SD 4 12 0
1990 RAI(2c) 12 4 0 KC(5w) 11 5 0 SEA 9 7 0 SD 6 10 0 DEN 5 11 0
1989 DEN(1s) 11 5 0 KC 8 7 1 RAI 8 8 0 SEA 7 9 0 SD 6 10 0
1988 SEA(3d) 9 7 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SD 6 10 0 KC 4 11 1
1987 DEN(1s) 10 4 1 SEA(5w) 9 6 0 SD 8 7 0 RAI 5 10 0 KC 4 11 0
1986 DEN(2s) 11 5 0 KC(5w) 10 6 0 SEA 10 6 0 RAI 8 8 0 SD 4 12 0
1985 RAI(1d) 12 4 0 DEN 11 5 0 SEA 8 8 0 SD 8 8 0 KC 6 10 0
1984 DEN(2d) 13 3 0 SEA(4d) 12 4 0 RAI(5w) 11 5 0 KC 8 8 0 SD 7 9 0
1983 RAI(1v) 12 4 0 SEA(4c) 9 7 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 6 10 0 KC 6 10 0
1982 RAI(1d) 8 1 0 SD(5d) 6 3 0 SEA 4 5 0 KC 3 6 0 DEN 2 7 0
1981 SD(3c) 10 6 0 DEN 10 6 0 KC 9 7 0 OAK 7 9 0 SEA 6 10 0
1980 SD(1c) 11 5 0 OAK(4v) 11 5 0 KC 8 8 0 DEN 8 8 0 SEA 4 12 0
1979 SD(1d) 12 4 0 DEN(5w) 10 6 0 SEA 9 7 0 OAK 9 7 0 KC 7 9 0
1978 DEN(3d) 10 6 0 OAK 9 7 0 SEA 9 7 0 SD 9 7 0 KC 4 12 0
1977 DEN(1s) 12 2 0 OAK(4c) 11 3 0 SD 7 7 0 SEA 5 9 0 KC 2 12 0
1976 OAK(1v) 13 1 0 DEN 9 5 0 SD 6 8 0 KC 5 9 0 TB 0 14 0
1975 OAK(2c) 11 3 0 DEN 6 8 0 KC 5 9 0 SD 2 12 0
1974 OAK(c) 12 2 0 DEN 7 6 1 KC 5 9 0 SD 5 9 0
1973 OAK(c) 9 4 1 KC 7 5 2 DEN 7 5 2 SD 2 11 1
1972 OAK(d) 10 3 0 KC 8 6 0 DEN 5 9 0 SD 4 9 1
1971 KC(d) 10 3 1 OAK 8 4 2 SD 6 8 0 DEN 4 9 1
1970 OAK(c) 8 4 2 KC 7 5 2 SD 5 6 3 DEN 5 8 1

AFL西地区

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地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 OAK(a) 12 1 1 KC(V) 11 3 0 SD 8 6 0 DEN 5 8 1 CIN 4 9 1
1968 OAK(a) 12 2 0 KC 12 2 0 SD 9 5 0 DEN 5 9 0 CIN 3 11 0
1967 OAK(s) 13 3 0 KC 9 5 0 SD 8 5 1 DEN 3 11 0
1966 KC(s) 11 2 0 OAK 8 5 1 SD 7 6 1 DEN 4 10 0
スーパーボウル開始
1965 SD(a) 9 2 3 OAK 8 5 1 KC 7 5 2 DEN 4 10 0
1964 SD(a) 8 5 1 KC 7 7 0 OAK 5 7 2 DEN 2 11 1
1963 SD(v) 11 3 0 OAK 10 4 0 KC 5 7 2 DEN 2 11 1
1962 DAL(v) 11 3 0 DEN 7 7 0 SD 4 10 0 OAK 1 13 0
1961 SD(a) 12 2 0 DAL 6 8 0 DEN 3 11 0 OAK 2 12 0
1960 LA(a) 10 4 0 DAL 8 6 0 OAK 6 8 0 DEN 4 9 1

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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ロサンゼルス・チャージャーズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
14 ダン・ファウツ Dan Fouts QB 1973–1987
19 ランス・アルワース Lance Alworth WR 1962–1970
21 ラダニアン・トムリンソン LaDainian Tomlinson RB 2001–2009
55 ジュニア・セアウ Junior Seau LB 1990–2002

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
19 ランス・アルワース Lance Alworth WR 1962–1970 1978
74 ロン・ミックス Ron Mix OT 1960–1969 1979
19 ジョニー・ユナイタス Johnny Unitas QB 1973 1979
75 ディーコン・ジョーンズ Deacon Jones DE 1972–1973 1980
89 ジョン・マッキー John Mackey TE 1972 1992
14 ダン・ファウツ Dan Fouts QB 1973–1987 1993
72 ラリー・リトル Larry Little OG 1967–1968 1993
80 ケレン・ウィンズロー Kellen Winslow TE 1979–1987 1995
18 チャーリー・ジョイナー Charlie Joiner WR 1976–1986 1996
71 フレッド・ディーン Fred Dean DE 1975–1981 2008
55 ジュニア・セアウ Junior Seau LB 1990–2002 2015
21 ラダニアン・トムリンソン LaDainian Tomlinson RB 2001–2009 2017
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
シド・ギルマン Sid Gillman ヘッドコーチ 1960–1971 1983

チーム殿堂入り

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50周年記念チーム(2009)

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歴代ヘッドコーチ

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ ロサンゼルス・チャージャーズ”. NFL JAPAN. 2021年11月16日閲覧。
  2. ^ フランチャイズ史 NFL JAPAN 2004年8月24日
  3. ^ LANCE ALWORTH Pro Football Hall of Fame. Accessed 2009年7月10日
  4. ^ NFL History by Decade 1961-1970 NFL.COM
  5. ^ SBに出場していない偉大な選手トップ8”. NFL JAPAN (2012年1月31日). 2012年2月6日閲覧。
  6. ^ a b Say It Ain't So:San Diego Chargers”. スポーツ・イラストレイテッド (2001年2月28日). 2010年5月10日閲覧。
  7. ^ Winslow helped off field after Chargers' OT win”. ESPN. 2010年5月10日閲覧。
  8. ^ リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月2日閲覧。
  9. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The Epic In Miami”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  10. ^ Freezer Ball”. referee.com. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月10日閲覧。
  11. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  12. ^ MNF History: 1983”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  13. ^ Chargers are passing on a run for success” (1997年7月28日). 2012年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月10日閲覧。
  14. ^ 「ドラフト期待はずれ」の代名詞 ライアン・リーフ”. NFL JAPAN (2009年5月6日). 2010年5月10日閲覧。
  15. ^ サンディエゴ・チャージャーズニュース NFL JAPAN 2004年4月23日
  16. ^ 生沢浩 (2008年9月25日). “まだまだこれから、開幕3連敗から巻き返せ!”. NFL JAPAN. 2010年5月10日閲覧。
  17. ^ チャージャース、今季終了後にターナーHC解任か”. NFL JAPAN (2011年12月4日). 2011年12月4日閲覧。
  18. ^ 勝率5割で奇跡の逆転優勝! LT「プレイオフのような試合だった」”. NFL JAPAN (2008年12月29日). 2010年5月10日閲覧。
  19. ^ チャージャース、OTの熱戦制して2年連続コルツ撃破”. NFL JAPAN (2009年1月4日). 2010年5月10日閲覧。
  20. ^ チャージャース残留のトムリンソン、「心はいつもここにある」”. NFL JAPAN (2009年3月12日). 2010年5月10日閲覧。
  21. ^ チャージャース、エースRBトムリンソンを解雇”. NFL JAPAN (2010年2月23日). 2010年5月10日閲覧。
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外部リンク

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