ワイドサタデー

ワイドサタデー
ジャンル 情報旅番組
出演者 佐々木信也
伊丹十三
中村鋭一
キダ・タロー
ほか
製作
制作 朝日放送(ABC)
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1970年10月3日 - 1983年3月26日[1]
放送時間土曜 15:00 - 15:55
放送分55分
回数629回[1]

特記事項:
1970年10月から1975年3月29日までは西日本TBS系列にネットされ、1975年4月5日から最終回までは西日本のNET→テレビ朝日系列にネットされていた。
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ワイドサタデー』は、1970年10月3日[1]から1983年3月26日[1]まで、朝日放送(ABC)など、テレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)系列(1975年3月まではTBS系列)の近畿・中国・四国・九州各地のネット局(他系列局含む)が共同制作して毎週土曜日の15:00 - 15:55(JST)に放送されていた生中継番組である[2]

概要

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大阪万国博覧会が終わった年の秋から、お祭り広場からの中継の後の企画として放送が開始された。朝日放送をキーステーションに山陽放送中国放送RKB毎日放送大分放送(以上TBS系列)・南海放送日本テレビ系列)の6局[1]を結んで瀬戸内海に面した地区[注釈 1]をレポート[3]。ネットワーク局の中から2か所程度選び、タレントがその週のテーマに沿ったレポート(観光情報が主)をヘリコプターによる空撮も交えて、生の多元中継で展開するというものだった。番組開始時点では朝日放送がスタジオ部分と中継1か所を毎週担当し、もう1か所の中継をRKB毎日放送と山陽放送が月2回、中国放送と南海放送が月1回担当、大分放送は録画での随時参加であった[4]。冒頭部で各レポーターが中継内容をリレー紹介する際には、それぞれに河村立司のイラストが使われていた。女声コーラスのスキャットが美しいテーマ曲は南安雄の作曲による(途中でバージョンが変わる)。TBS系時代の1972年4月1日(第77回)に四国放送(日本テレビ系列)と宮崎放送(TBS系列)もこの番組のネットに参加した[1][5]

1975年ネットチェンジ毎日放送とのネット交換による腸捻転解消)によって、TBS系列の山陽放送・中国放送・RKB毎日放送が地域ネットから離脱し、これに代る形でNET(後のテレビ朝日)系列の瀬戸内海放送広島ホームテレビ九州朝日放送が加わった[4][注釈 2]。また、大分放送・宮崎放送はNET系移行後も引き続き参加している[注釈 3]

1983年春の改編をもって番組は終了し、当時の国鉄(現・JR大阪駅ビル「アクティ大阪」に併設されたサテライトスタジオABCエキスタ」からの2時間生中継番組『わいわいサタデー』に引き継がれた。その際に、四国放送・瀬戸内海放送・南海放送を除く4局が同時間帯の地域ネットを離脱している。

毎年8月に朝日放送が全国高校野球選手権大会中継大阪府予選の中継含む)を放送する時には、地域ネット局には裏送りとし、近畿広域圏では当日23時台に時差放送(野球中止の際は定時に放送して、その時間は後続の番組を繰り上げる)していたが、放送時間中にネット局の地元代表校の試合がある場合、当該地域でも高校野球を放送し、本番組を朝日放送と同時ネットとすることがあった[注釈 4]。また、広島ホームテレビも自社制作番組(広島東洋カープ主催のデーゲーム中継や自社主催の『広島ママさんバレーボール大会・決勝戦』など)を放送した際は同様に当日23時台に放送していた[6]

また、テレビ朝日系列で全国ネットのスポーツ中継が編成された際には、系列外の南海放送・四国放送・大分放送・宮崎放送に裏送り先行ネットでの生放送を実施し、テレビ朝日系列局では夕方または23時台に録画時差放送していた[注釈 5]

出演者

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ネットおよび共同制作局

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腸捻転解消前

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放送地域 放送局 放送系列 備考
近畿広域圏 朝日放送 TBS系列 制作幹事局
岡山県 山陽放送 当時の放送エリアは岡山県のみ
広島県 中国放送
徳島県 四国放送 日本テレビ系列 1972年4月から参加[1]
愛媛県 南海放送
福岡県 RKB毎日放送 TBS系列
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送 1972年4月から参加[1]

腸捻転解消後

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放送地域 放送局 放送系列 備考
近畿広域圏 朝日放送 テレビ朝日系列 制作幹事局
広島県 広島ホームテレビ
徳島県 四国放送 日本テレビ系列
香川県
香川県・岡山県
瀬戸内海放送 テレビ朝日系列 腸捻転解消後も、フジテレビ系列とのクロスネット局だったテレビ岡山(正式社名は岡山放送)には移行されなかった。1979年3月までの放送エリアは香川県のみ
電波相互乗り入れに伴い、1979年4月から岡山県にもエリア拡大
愛媛県 南海放送 日本テレビ系列
福岡県 九州朝日放送 テレビ朝日系列
大分県 大分放送 TBS系列
宮崎県 宮崎放送

脚注

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注釈

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  1. ^ 時折、共同制作局の瀬戸内海沿岸以外の放送エリア内(各県の制作参加局の内陸部や〈一例として岡山県北部の湯原温泉〉、朝日放送の放送エリアの京都府奈良県など)からのレポートが放送されることがあった。
  2. ^ 岡山放送フジテレビ系列を優先していたため、参加しなかった。
  3. ^ 放送当時NET系にはテレビ岡山(正式社名は岡山放送)・テレビ大分テレビ宮崎が加盟していたが、ネットおよび共同制作の移行は行われなかった。
  4. ^ 一例として、1981年8月8日は、朝日放送と瀬戸内海放送が『高岡第一高校 vs 志度商業高校』を放送し、本番組を23:45からの放送とした一方、広島ホームテレビと南海放送は先行ネットでは本来の時間帯に先行ネット放送していた(出典:同日の中国新聞および産経新聞・岡山版のテレビ欄)。
  5. ^ 一例として、1982年10月9日には、プロ野球『大洋 vs 巨人』がテレビ朝日系列全国ネットで13:55 - 15:55に放送されたため、朝日放送では17:00から、広島ホームテレビでは23:20から、瀬戸内海放送では23:25からの録画放送となった一方、南海放送では裏送りで通常通り15:00から放送していた(出典:同日の中国新聞、産経新聞・岡山版各テレビ欄)

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 宮崎放送開局三十周年記念事業委員会 編『宮崎放送三十年史』宮崎放送、1984年12月20日、138 - 140頁。NDLJP:12275337/93 
  2. ^ 朝日放送社史編修室 編『朝日放送の50年』 III《資料集》、朝日放送、2000年3月、191頁。 
  3. ^ 南海放送株式会社 編『地域とともに三十年 : 南海放送社史』南海放送、1984年2月、142頁。NDLJP:12275568/92 
  4. ^ a b 『夢にはじまる:南海放送五十年史』南海放送、2005年 pp.88-89
  5. ^ 『ワイドサタデー』と伊丹さん - 伊丹十三記念館公式ブログ「記念館便り → 記念館からみなさまへ 」、2012年3月5日。文中に伊丹が出演した第197回(1974年10月19日放送)「終着駅の旅 その1」と、第209回(1975年1月18日放送)「たくましく生きる」の台本の表紙が掲載されているが、いずれも「共同制作」として四国放送・宮崎放送が既に記載されている。
  6. ^ 中国新聞、1981年11月7日、24ページ、テレビ欄。この時は『広島ママさんバレーボール大会・決勝戦』を14:30 - 16:00に放送のため、当日23:15から録画時差ネットで放送。
  7. ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所

関連項目

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朝日放送 土曜15時台
前番組 番組名 次番組
不明
ワイドサタデー
【JNN→ANN西日本ブロックネット】