久保俊巳

久保 俊巳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市生野区
生年月日 (1950-06-27) 1950年6月27日(74歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1969年 ドラフト外
初出場 1972年
最終出場 1979年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

久保 俊巳(くぼ としみ、1950年6月27日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

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生野工業高卒業後、大阪学院大学へ進学するが1年もしないうちに中退。

1969年オフにドラフト外広島東洋カープへ入団。

1972年から一軍出場を果たすと、その後は主として控え内野手として活躍。

1973年は64試合に出場、主に三塁手として10試合に先発したが、32打席(29打数)無安打でシーズンを終えた。このシーズン無安打記録は、野手に限ると2016年吉田裕太が35打席(30打数)を記録するまで日本記録であった[1]

1975年8月9日阪神戦(西京極)で、阪神が1-0でリードしていた7回表2死満塁の場面で道原裕幸の代打で登場し、阪神先発の江夏豊からプロ初本塁打となる1号満塁本塁打を放つ[2]。最初はポンポンと2-0と追い込まれたが、3球目は内角速球、4球目は高めの速球であった[3]。久保は江夏の巧妙な投球にひっかからず、2-2からの勝負球はフォークでど真ん中に来た[3]。試合は5-2で広島が勝利し、久保の現役時代、公式戦で記録した唯一の本塁打となった。翌10日の試合前、憧れの阪神・吉田義男監督が「よく打ったね」と声をかけてくれた[3]8月後半には3試合に1番・二塁手として起用され、同年の阪急との日本シリーズでは全6戦に出場。左翼手、代打、右翼手、代走、遊撃手をこなし、10月30日の第4戦(広島市民)では延長13回に山口高志からシリーズ初安打を放つ。

1976年オフに新美敏内田順三鵜飼克雄皆川康夫との交換トレードで、佐伯和司宮本幸信と共に、日本ハムファイターズへ移籍。

1977年は21試合に内野手、指名打者として先発出場。人柄の良さから現役時代には「トシミ、トシミ」と先輩達から可愛がられ[3]、その後も内野の控えや代打を中心に活躍する。

1979年暮れに現役を引退。

引退後は広島に帰り、美由紀夫人と一緒に1年間、接客の修業を積む[3]1980年10月に歓楽街・流川スナック「あぶさんKUBO」をオープンし、アットホームな雰囲気が好評で、連日賑わっていた[3]。店で使っていたミネラルウォーターが美味しく、客にも評判が良かったことから、水割りからヒントを得て新しい商売も始める[3]。社員十数人を使ってシャワー用浄水器や活水器、手軽にカルシウムイオンを作れる健康食品を販売する会社「長寿源アシスト」を創業し、昼間は南区段原の事務所を拠点に営業に走り回り、夜はスナックの掛け持ちと多忙な毎日を過ごした[3]。家族ぐるみの付き合いをしていた友人が商売に失敗し、破産宣告されて貸していた千数百万円が貸し倒れになってしまったこともあった[3]山県郡にある「リアルプロフェッショナルクラブ プロ育成野球専門学院」でヘッドコーチも務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1972 広島 10 16 14 2 2 1 0 0 3 0 1 0 0 0 2 0 0 2 0 .143 .250 .214 .464
1973 64 32 29 3 0 0 0 0 0 0 1 1 3 0 0 0 0 9 0 .000 .000 .000 .000
1974 13 12 11 2 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .273 .333 .273 .606
1975 80 62 57 12 17 2 1 1 24 13 5 1 1 0 2 0 2 11 2 .298 .344 .421 .765
1976 53 49 42 15 9 2 0 0 11 7 4 1 1 1 4 0 1 13 0 .214 .292 .262 .554
1977 日本ハム 53 99 93 6 22 6 0 0 28 6 2 3 3 0 3 0 0 22 0 .237 .260 .301 .561
1978 40 36 34 6 5 0 0 0 5 1 2 2 0 0 2 0 0 8 0 .147 .194 .147 .342
1979 44 28 23 8 6 0 0 0 6 2 3 2 1 0 3 0 0 2 1 .261 .346 .261 .607
通算:8年 357 334 303 54 64 11 1 1 80 29 18 10 9 1 17 0 3 70 3 .211 .259 .264 .523

背番号

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  • 47 (1970年 - 1974年)
  • 32 (1975年 - 1976年)
  • 8 (1977年 - 1979年)

脚注

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  1. ^ シーズン無安打記録から逆襲 吉田「大きく変わる年に」”. 千葉日報 (2017年1月17日). 2017年1月18日閲覧。
  2. ^ 日刊スポーツ1975年8月10日3面「赤ヘルまた大暴れ 久保が代打逆転満塁アーチ」
  3. ^ a b c d e f g h i 広島カープ連載・鯉人=6= 久保俊巳氏の巻「あの江夏から満塁アーチ やり手の実業家として活躍中」

関連項目

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外部リンク

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