佐藤信安
佐藤 信安(さとう のぶやす、1874年(明治7年)4月5日 - 1964年(昭和39年)8月1日[1])は、内務官僚、広島市長。
経歴
[編集]島根県松江市出身。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学を卒業。司法官試補となるが、1902年(明治35年)に辞職して弁護士を開業した[2]。1909年(明治42年)より検事となり、各地方の裁判所に勤務した。1913年(大正2年)、熊本県警察部長に転じ、翌年には山口県警察部長に就任した[2]。さらに福島県内務部長を務めた[3]。
1922年(大正11年)、広島市長に選出された。
市長退任後は、岡山県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長を歴任した[3]。1929年(昭和4年)7月、新潟県書記官を休職[4]。
著書
[編集]- 『彼得大帝』(博文館、1900年)
- 『日本監獄法』(博文館、1901年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 北川由之助編『日本之精華』毎日通信社、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。