実ケ谷
実ケ谷 | |
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北緯36度0分17.99秒 東経139度40分42.73秒 / 北緯36.0049972度 東経139.6785361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 白岡市 |
人口 | |
• 合計 | 860人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 349-0216[2] |
市外局番 | 0480[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
※座標は実ヶ谷自治会館付近 |
実ケ谷(さながや)は、埼玉県白岡市の地名(大字)。郵便番号は349-0216(久喜郵便局管区)。本項では同地域にかつて存在した南埼玉郡実ケ谷村(さながやむら)についても記す。
地理
[編集]白岡市中南部に位置する。北で小久喜・千駄野、東で岡泉、南で蓮田市黒浜・江ケ崎に接する(大字界が錯綜しているため、飛地との隣接は省略)。地内は主に水田などの農地となっている。
河川
[編集]歴史
[編集]さながやむら 実ケ谷村 | |
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廃止日 | 1895年3月15日 |
廃止理由 | 新設合併 岡泉村、実ケ谷村、千駄野村、小久喜村、上野田村、下野田村、爪田ケ谷村、太田新井村、彦兵衛村 → 日勝村 |
現在の自治体 | 白岡市、さいたま市、蓮田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 南埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 岡泉村、千駄野村、小久喜村、黒浜村 |
実ケ谷村役場 | |
所在地 | 埼玉県南埼玉郡実ケ谷村 |
ウィキプロジェクト |
地名の由来
[編集]『新編武蔵風土記稿』の久伊豆神社の記載[4]によると、古くから見られる佐那賀谷(武州騎西郡鬼窪郷佐那賀谷村)が転じたと比定される。
沿革
[編集]- 幕末の時点では埼玉郡に属し、「旧高旧領取調帳」の記載によると明治初年時点では旗本福田・横田・渡辺氏知行であった[5]。
- 1868年(慶応4年)6月19日(1868年8月7日) - 武蔵知県事・山田政則の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日(1871年12月24日) - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月 - 前年に制定された郡区町村編制法の埼玉県での施行により南埼玉郡の所属となる。郡役所は岩槻町に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い実ケ谷村が単独で自治体を形成。後に日勝村となる9村で町村組合を結成。
- 1895年(明治27年)3月15日 - 町村組合を結成していた岡泉村・千駄野村・小久喜村・上野田村・下野田村・爪田ケ谷村・太田新井村・彦兵衛村と合併して日勝村が成立し、同村の大字実ケ谷となる。
- 1940年(昭和15年) - 大字実ケ谷の一部が南埼玉郡慈恩寺村(現・さいたま市岩槻区)へ編入される。
- 1951年(昭和26年) - 大字実ケ谷の一部が南埼玉郡黒浜村(現・蓮田市)へ編入される。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 日勝村が篠津村および大山村の一部(大字下大崎、柴山、荒井新田)と合併して白岡町が成立し、同町の大字に継承。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 白岡町が市制施行して白岡市となり、同市の大字となる。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
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実ケ谷 | 353世帯 | 860人 |
小・中学校の学区
[編集]番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 白岡市立南小学校 | 白岡市立南中学校 |
交通
[編集]地内に鉄道は敷設されていない。
道路
[編集]- 東北自動車道 - 地内の西端を通過する。
- 埼玉県道162号蓮田白岡久喜線 - 東北道の東側を並走する側道。
施設
[編集]- 実ケ谷自治会館
- 実ヶ谷薬師堂
- 久伊豆神社
- 埼玉県立蓮田松韻高等学校(グラウンドの一部が実ケ谷の区域に掛かる)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「実ヶ谷村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ201埼玉郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764007/83。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 旧高旧領取調帳データベース