宮久保
宮久保 | |
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真間川(宮久保一丁目・東菅野二丁目) | |
北緯35度44分11.67秒 東経139度56分10.96秒 / 北緯35.7365750度 東経139.9363778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 市川市 |
人口 | |
• 合計 | 12,590人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 272-0822[2] |
市外局番 | 047[3] |
ナンバープレート | 市川 |
宮久保(みやくぼ/Miyakubo)は、千葉県市川市にある地名。現行行政地名は宮久保一丁目から宮久保六丁目。郵便番号は272-0822。
地理
[編集]市川市北部に位置する。地域内は住宅街となっており、昭和学院(幼稚園)が置かれる。 隣接する菅野、東菅野、八幡と共に文学者や小説家、作家に縁のある地で、作家中津攸子が居住する。
三丁目に市川宮久保郵便局、東京ベイ信用金庫宮久保支店、五丁目に宮久保小学校がある。
東・南は東菅野、西は須和田・東国分、北は下貝塚・曽谷と接している。
地価
[編集]住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、宮久保1-19-14の地点で15万7000円/m2となっている。[4]
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡宮久保村となる。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡宮久保村となる。
- 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡宮久保村となる。
- 1889年(明治22年) - 東葛飾郡八幡町、菅野村と合併し、東葛飾郡八幡町大字宮久保となる。
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字宮久保となる。
- 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市宮久保町となる。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 住居表示施行。市川市宮久保一丁目 - 六丁目となる。
地名の由来
[編集]元々は「宮窪」であり、すなわち宮のある窪地を意味した。窪の字が変化し「宮久保」となったもの。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
宮久保一丁目 | 1,440世帯 | 3,138人 |
宮久保二丁目 | 680世帯 | 1,478人 |
宮久保三丁目 | 1,450世帯 | 3,263人 |
宮久保四丁目 | 540世帯 | 1,276人 |
宮久保五丁目 | 764世帯 | 1,880人 |
宮久保六丁目 | 623世帯 | 1,555人 |
計 | 5,497世帯 | 12,590人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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宮久保一丁目 | 全域 | 市川市立百合台小学校 | 市川市立第三中学校 |
宮久保二丁目 | 全域 | ||
宮久保三丁目 | 1~14番 28~38番 | 市川市立宮久保小学校 | |
15~27番 39~41番 | 市川市立下貝塚中学校 | ||
宮久保四丁目 | 全域 | 市川市立第三中学校 | |
宮久保五丁目 | 全域 | 市川市立下貝塚中学校 | |
宮久保六丁目 | 全域 |
施設
[編集]- 市川市立宮久保保育園
- 昭和学院幼稚園
- 宮久保幼稚園
- 市川市立宮久保小学校
- 市川宮久保郵便局
- 東京ベイ信用金庫宮久保支店
- 白幡神社
- 頂円寺
- 高円寺
- 所願寺
脚注
[編集]- ^ a b “町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ “小・中学校の通学区域(学区)”. 市川市 (2017年9月28日). 2017年11月7日閲覧。