岡田重久
岡田 重久 | |
---|---|
生誕 | 1871年1月5日 土佐国 香美郡立田村 |
死没 | 1936年8月8日(65歳没) 東京市四谷区 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1893 - 1923 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 | 歩兵第1旅団長 台湾第1守備隊司令官 歩兵第40連隊長 |
戦闘 | 日露戦争 |
墓所 | 多磨霊園 |
岡田 重久(おかだ しげひさ、1871年1月5日(明治3年11月15日[1]) - 1936年(昭和11年)8月8日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。
履歴
[編集]土佐国香美郡立田村(現・高知県南国市)に生まれた[要出典]。1893年(明治26年)7月、陸軍士官学校(4期)を卒業[1][2]。1894年(明治27年)3月、歩兵少尉に任官[2]。1895年(明治28年)5月、歩兵中尉に進級。1899年(明治32年)3月、歩兵大尉に進級。1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を卒業[1]。1904年(明治37年)8月、歩兵少佐に進級。日露戦争に満州軍情報参謀として出征した[要出典]。1908年(明治41年)12月、歩兵中佐に進級。
1912年(大正元年)12月、静岡連隊区司令官となり、1913年(大正2年)2月、歩兵大佐に昇進[3]。1914年(大正3年)5月、歩兵第40連隊長となる[3]。第12師団参謀長を経て、1917年(大正6年)8月、少将に進級し台湾第1守備隊司令官に着任[1][3]。
1920年(大正9年)8月、歩兵第1旅団長に就任し、1922年(大正11年)8月、中将に進むと同時に待命[1][3]。1923年(大正12年)3月、予備役に編入された[1][3]。1936年(昭和11年)8月、東京市四谷区[要出典]で死去、享年67。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考資料
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 陸軍省『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(大正3年7月1日調)兵林館、1914年。(国立国会図書館デジタルコレクション)