撫牛子
撫牛子 | |
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JR撫牛子駅 | |
北緯40度37分26.7秒 東経140度29分53.93秒 / 北緯40.624083度 東経140.4983139度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 1,971人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 036-8075 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
撫牛子(ないじょうし)は、青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8075。
地理
[編集]JR奥羽本線・青森県道260号石川百田線が縦貫し、青森県道41号弘前環状線が北部を横断し、青森県道128号松木平撫牛子停車場線の終点で、平川・土淵川に囲まれる。泉野・早稲田・田園と同様、住宅地であり、住宅分譲地でもある。北は津賀野、平川をはさんで北東は南津軽郡田舎館村豊蒔、東は田舎館村大袋、東南は境関、南西は堅田、西は神田、西北は大久保に接する。
小字
[編集]小字として橋本・宮本がある。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]難読地名で、語源は不明である[3]。撫牛子八幡宮と浪岡廣峰神社(祇園牛頭天王神社)は弘前城下の弘前八幡宮と最勝院から見てぴったり北東、艮(うしとら)の方角に位置し(地元では、意図的な配置の可能性を指摘するものもある)、最勝院の秘仏本尊の一つ「牛頭天王」(ごずてんのう)と縁の深い撫牛像(現在は鬼子像に置き換えられている)を祀っていることから、撫牛(なでうし)に関連するものと考えられる。「ないじょうし」という読みは、「なでうし」が津軽方言の発音に合わせて変化した「ナンデ・ウシィ(・ッコ)」が元になったのではないかとされる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年) - 和徳村の一部。
- 1891年(明治24年) - 当時の記録では、人口740、戸数116、厩55、学校1、水車1であった。
- 1955年(昭和30年) - 弘前市の大字になる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目・大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
撫牛子一丁目 | 180世帯 | 389人 |
撫牛子二丁目 | 219世帯 | 543人 |
撫牛子三丁目 | 337世帯 | 792人 |
撫牛子四丁目 | 28世帯 | 86人 |
撫牛子五丁目 | 61世帯 | 160人 |
撫牛子(小字全域) | 1世帯 | 1人 |
計 | 826世帯 | 1,971人 |
交通
[編集]- 弘南バス
- 撫牛子、豊蒔入口(弘前バスターミナル - 浪岡線、他)停留所。
- JR奥羽本線
施設
[編集]教育
[編集]- 明誠保育園
商業
[編集]- ローソン撫牛子店
- 協同組合津軽エルピーガス保安センター
- セーフティ警備保障
- 対馬鉄砲火薬店
- 撫牛子軽運輸
- カネハル運輸
- 櫻庭石材店
工業
[編集]- 松山電設
- 開発技研弘前
- 福士自動車板金工場
農協
[編集]- JAつがる弘前和徳
- 和徳りんごセンター
消防
[編集]- 弘前市消防団和徳地区団第一分団消防屯所
交通
[編集]公共
[編集]- 撫牛子集会所
- 土淵川西田緑地
- 撫牛子町会事務所
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
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撫牛子 | 全域 | 弘前市立城東小学校 | 弘前市立第一中学校 |
撫牛子一丁目 | 全域 | ||
撫牛子二丁目 | 全域 | ||
撫牛子三丁目 | 全域 | ||
撫牛子四丁目 | 全域 | ||
撫牛子五丁目 | 全域 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
大久保 | 津賀野 | 田舎館村豊蒔 | ||
神田 | 田舎館村大袋 | |||
撫牛子 | ||||
堅田 | 境関 |