東北方面特科隊
東北方面特科隊 | |
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第130特科大隊(廃止)のMLRS | |
創設 | 1954年(昭和29年)9月25日(第2特科群) |
再編成 | 2010年(平成22年)3月26日(東北方面特科隊) |
廃止 | 2024年(令和6年)3月20日(東北方面特科隊) |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 隊 |
兵科 | 特科 |
所在地 | 宮城県 仙台市 宮城野区 |
編成地 | 第2特科群:富士 東北方面特科隊:仙台 |
上級単位 | 東北方面隊 |
担当地域 | 東北地方 |
東北方面特科隊(とうほくほうめんとっかたい、JGSDF North Eastern Army Artillery Troop)とは、宮城県仙台市宮城野区の仙台駐屯地に隊本部が所在していた東北方面隊直轄の野戦特科部隊。
概要
[編集]第2特科群を母体に同じく東北方面隊直轄部隊であった第4地対艦ミサイル連隊を隷下に編合し、再編されたものである。第2特科群は陸上自衛隊草創期に、方面隊火力として重砲を装備する2個大隊を基幹とし、1998年には本州の実働部隊で唯一多連装ロケットシステムMLRSを有する特科大隊を編成していた。
2019年(平成31年)3月に多連装ロケットシステムを装備する特科大隊が廃止され、本部中隊および第4地対艦ミサイル連隊で編成された[1][2]。陸上自衛隊の野戦特科部隊整理に伴い、2024年(令和6年)3月20日付で部隊廃止となり[3]、第4地対艦ミサイル連隊は方面隊直轄となる。
なお、155mmりゅう弾砲 FH70を運用する東北方面特科連隊とは別運用で運用されていた。
沿革
[編集]第2特科群
- 1954年(昭和29年)
- 9月25日:部隊新編。
- 1958年(昭和33年)
- 3月25日:南仙台駐屯地が開設。
- 3月27日:移駐完了。群本部・2個特科大隊が同一駐屯地に集結。第6管区総監に隷属[5]。
- 1960年(昭和35年)1月14日:方面管区制施行により、東北方面総監直轄部隊となる。
- 1976年(昭和51年)3月25日:東北方面観測中隊が仙台駐屯地に新編[4] 。
- 1979年(昭和54年)3月26日:東北方面観測中隊(仙台駐屯地)が第304観測中隊に称号変更[4] 。
- 1998年(平成10年)3月26日:第109特科大隊(155mm榴弾砲) が廃止、第130特科大隊(MLRS 装備)が新編。
- 2006年(平成18年)3月27日:後方支援体制変換に伴い、整備部門を東北方面後方支援隊 第302特科直接支援中隊に移管。
- 2007年(平成19年)3月29日:第110特科大隊(仙台駐屯地:203mm自走りゅう弾砲装備) が廃止[6] 。
- 2010年(平成22年)3月25日:第2特科群(仙台駐屯地)が廃止。
東北方面特科隊
- 2010年(平成22年)3月26日:部隊新編。
- 第2特科群隷下部隊(第130特科大隊、第304観測中隊)及び第4地対艦ミサイル連隊を基幹として東北方面特科隊が新編。
- 支援部隊として東北方面後方支援隊に第102特科直接支援隊が新編され、第302特科直接支援中隊は廃止。
- 2019年(平成31年)3月26日:部隊改編。
- 第130特科大隊(仙台駐屯地)を廃止[7]。
- 第4地対艦ミサイル連隊第4射撃中隊を廃止。
- 2022年(令和[8]。 4年)3月16日:第4地対艦ミサイル連隊第3射撃中隊を廃止
- 2023年(令和[9]、第4地対艦ミサイル連隊第2射撃中隊を廃止[10]。 5年)3月15日:第304観測中隊(仙台駐屯地)
- 2024年(令和 6年)3月20日:東北方面特科隊廃止。第4地対艦ミサイル連隊は方面直轄部隊に隷属替え[3]。
廃止時の編成・駐屯地
[編集]- 編成
- 東北方面特科隊本部
- 東北方面特科隊本部中隊「東北方特-本」
- 第4地対艦ミサイル連隊 - 88式地対艦誘導弾
- 本部管理中隊
- 第1射撃中隊
整備支援部隊
[編集]第2特科群
- 東北方面後方支援隊第302特科直接支援中隊(仙台駐屯地)第110特科大隊、第130特科大隊を支援:2006年(平成18年)3月27日から2010年(平成22年)3月25日の間。
- 第1特科直接支援小隊(仙台駐屯地)第110特科大隊を支援
- 第2特科直接支援小隊(仙台駐屯地)第130特科大隊を支援
東北方面特科隊
- 東北方面後方支援隊第102特科直接支援隊(仙台駐屯地):2010年(平成22年)3月26日から廃止時まで。
歴代幹部
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 小島竹雄 | 1954年 | 9月25日 - 1958年10月12日官吏死亡・陸将補に特別昇任[11] | |
2 | 伊藤光治 | 1959年 | 3月17日 - 1961年 7月31日陸上幕僚監部第2部収集班長 | 陸上自衛隊富士学校管理部長 |
3 | 金子常規 | 1961年 | 8月 1日 - 1963年 7月31日第6管区総監部第4部長 | 陸上自衛隊富士学校特科教育部副部長 兼 同校同部教務課長 |
4 | 小川直彦 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 7月15日防衛大学校教授 | 東部方面総監部監察官 |
5 | 土肥正信 | 1965年 | 7月16日 - 1968年 7月15日仙台駐とん地業務隊長 | 第13師団司令部付 →1969年1月1日 停年退官 |
6 | 岩城秀一郎 | 1968年 | 7月16日 - 1969年 7月15日神町駐とん地業務隊長 | 仙台駐とん地業務隊長 |
7 | 徳久宗治 | 1969年 | 7月16日 - 1971年 7月15日陸上幕僚監部付 | 陸上幕僚監部第5部特科班長 |
8 | 森山尚男 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 3月15日統合幕僚会議事務局第5幕僚室勤務 | 統合幕僚会議事務局第4幕僚室勤務 |
9 | 中谷一夫 | 1973年 | 3月16日 - 1975年 7月31日防衛大学校訓練部指導教官 | 東部方面総監部総務課勤務 |
10 | 内海隆 | 1975年 | 8月 1日 - 1978年 3月15日統合幕僚会議事務局第2幕僚室勤務 | 陸上自衛隊業務学校付 →1978年7月6日 停年退官 |
11 | 根本仁 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 7月31日陸上自衛隊富士学校勤務 | 東北方面総監部総務部長 |
12 | 海野彦六郎 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日東千歳駐とん地業務隊長 | 北部方面総監部人事部厚生課長 |
12 | 大島順一 | 1982年 | 8月 2日 - 1984年 6月30日陸上幕僚監部人事部募集課募集班長 | 自衛隊栃木地方連絡部長 |
13 | 濱田勝之進 | 1984年 | 7月 1日 - 1986年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 中央資料隊副隊長 |
14 | 本間靖啓 | 1986年 | 8月 1日 - 1989年 6月29日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊幹部学校総務部総務課長 |
15 | 黒野耐 | 1989年 | 6月30日 - 1992年 3月15日防衛研究所所員 | 陸上自衛隊富士学校特科部教育課長 |
16 | 堤八束 | 1992年 | 3月16日 - 1994年11月30日陸上自衛隊富士学校特科部教育課長 | 装備開発実験隊副隊長 |
17 | 竹村洋介 | 1994年12月 | 1日 - 1997年12月 7日中部方面調査隊長 | 海田市駐屯地業務隊長 |
18 | 尾関建男 | 1997年12月 | 8日 - 2000年 4月27日陸上自衛隊富士学校特科部 訓練評価室長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
19 | 清國洋次 | 2000年 | 4月28日 - 2001年11月30日統合幕僚学校学校教官 | 東北方面総監部総務部長 |
20 | 宇草茂 | 2001年12月 | 1日 - 2003年11月30日北部方面総監部人事部援護業務室長 | 第1特科団副団長 |
21 | 野田文久 | 2003年12月 | 1日 - 2006年 3月26日陸上自衛隊研究本部企画調整官 | 東北方面総監部総務部長 |
22 | 速水健一 | 2006年 | 3月27日 - 2008年 7月31日陸上自衛隊研究本部企画調整官 | システム開発隊長 |
末 | 福島司 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年 3月25日陸上自衛隊幹部学校主任教官 | 東北方面特科隊長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 福島司 | 2010年 | 3月26日 - 2011年 8月 1日第2特科群長 | 退職(陸将補昇任) |
2 | 重石義幸 | 2011年 | 8月 1日 - 2013年 3月31日中部方面総監部総務部長 | 陸上自衛隊関西補給処副処長 |
3 | 武谷博文 | 2013年 | 4月 1日 - 2015年 8月 1日防衛医科大学校学生部長 | 退職[12] |
4 | 山坂泰明 | 2015年 | 8月 1日 - 2018年 3月22日陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 | 退職(陸将補昇任) |
5 | 岡本浩 | 2018年 | 3月23日 - 2020年 3月17日第5旅団副旅団長 兼 帯広駐屯地司令 | 北部方面混成団長 |
6 | 澤﨑伸二 | 2020年 | 3月18日 - 2023年 3月12日第12旅団副旅団長 兼 相馬原駐屯地司令 | 退職(陸将補昇任)[13] |
末 | 丸山徳一 | 2023年 | 3月13日 - 2024年 3月20日陸上自衛隊富士学校特科部副部長 | 中部方面総監部情報部長 |
主要装備
[編集]- 88式地対艦誘導弾
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
廃止(改編)部隊
[編集]- 東北方面観測中隊:1979年(昭和54年)3月26日廃止。第304観測中隊に改称[4]。
- 第109特科大隊:1998年(平成10年)3月25日廃止。第130特科大隊に改編。
- 第110特科大隊:2007年(平成19年)3月29日廃止[6]。
- 第2特科群:2010年(平成22年)3月25日廃止。東北方面特科隊に改編。
- 第130特科大隊:2019年(平成31年)3月25日廃止[7]。
- 第304観測中隊:2023年(令和 5年)3月15日廃止[9]。
脚注
[編集]- ^ “東北方面隊 編成”. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “東北方面特科隊ウェブページへようこそ!”. www.mod.go.jp. 2023年2月4日閲覧。
- ^ a b 機関紙 「杜都」25号 - 東北方面特科隊(2024年1月8日閲覧)
- ^ a b c d e f g 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)
- ^ a b c 陸自第六管区総監部隊史編纂室編『第六管区隊史・昭和33年度』陸自第六管区総監部、1959年。
- ^ a b 方面隊広報誌「みちのくweb」平成19年4月号 1954年9月姫路にて編成、1958年3月仙台移駐、1990年3月より203SPH装備
- ^ a b “陸自130特科大隊が隊旗返還式を実施”. 朝雲新聞. (2019年3月20日)
- ^ “陸自八戸の定員21年度末50人減”. Web東奥. 2020年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月17日閲覧。
- ^ a b “第304観測中隊隊旗返還式”. 東北方面特科隊. 2023年4月24日閲覧。
- ^ 機関紙「征海」第76号 - 第4地対艦ミサイル連隊(2024年1月8日閲覧)
- ^ 『官報』本紙第9561号(昭和33年11月4日)
- ^ 自衛官の再就職状況の公表について(平成27年4月1日~平成27年9月30日) (PDF) (平成28年9月20日 防衛省)
- ^ 自衛隊法第65条の13の規定に基づく令和4年度若年定年等隊員の就職の援助の実施結果の公表について (PDF)
関連項目
[編集]- 富士学校 / 富士教導団 / 特科教導隊
- 東北方面特科連隊
- 第1特科団 / 東部方面特科連隊 / 中部方面特科連隊 / 第2特科団(西部方面特科連隊)
- 地対艦ミサイル連隊/独立特科大隊
- トッカグン - 元在隊者(小野寺耕平・佐藤昌宏)で結成されたお笑いコンビ。コンビ名の由来も所属していた第2特科群に由来する。