柳澤秀夫

やなぎさわ ひでお
柳澤 秀夫
生年月日 (1953-09-27) 1953年9月27日(71歳)
出身地 日本の旗 日本福島県若松市(現・会津若松市
学歴 早稲田大学政治経済学部卒業
職業 ジャーナリスト
所属 ホリプロ
活動期間 1977年 -
活動内容 1977年 - 2018年:日本放送協会
2018年 -:フリーランス
公式サイト
プロフィール
備考
NHK解説委員長、元NHK報道局記者

柳澤 秀夫(やなぎさわ ひでお、1953年9月27日 - )は、日本放送ジャーナリスト。元NHK解説委員長

生い立ち

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福島県若松市 (現・会津若松市) 出身。

人物

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元々は天文学者になる事がで、子供の頃から典型的な天文少年で、どうしても手に入れたかった天体望遠鏡を手に入れる為、母が勤める食料品店の手伝いをしたり、親戚に頼まれ事を引き受けるアルバイトをしたり、小学生なりに堅実なお小遣いを稼いだ。小学6年生の時、大彗星の美しい姿に大いに興奮した。中学一年生の時に、念願だった天体望遠鏡を手に入れた。

又、機械工作等を趣味として秋葉原ラジオ会館へ部品探しに通い[1]アマチュア無線技士として自作の無線機を用いてアマチュア無線家ともなる。コールサインはJA7JJN[2]マイクロ波の47ギガヘルツで10ミリワットと微弱な空中線電力で他のアマチュア無線局と交信し、2014年11月中旬に77ギガヘルツで直線通信距離225キロメートルを記録している[3]。又、アマチュア無線家で有る事が縁で、ヨルダン国王フセイン1世在命中にインタビューした事も有り、アマチュア無線の話で盛り上がった[4][5]

マヨネーズは取材現場に持参する程のマヨラーで、ミョウガを苦手とする。

経歴

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1969年4月福島県立会津高等学校に入学。理系に向けて勉強に励むが 眼力に異変を感じ、病院で診察を受けたところ『赤緑色弱』と診断され理系は断念。1972年に同校を卒業し、早稲田大学政治経済学部政治学科に進学。大学3年時に鴨武彦教授のゼミを志望。

1977年3月 早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。同年4月に日本放送協会に入局。2か月の研修を経て、初任地は『NHK横浜放送局』に配属。横浜時代は 横浜市内の17の警察署を1人で担当。連絡の手段は ポケットベル。携帯やスマートフォンが無かった時代なので、ポケベルが鳴ると公衆電話を探して神奈川県警察本部の記者クラブにいるキャップか局に連絡、同時に小型受信機で警察無線を傍受。事件事故の現場へ急行する手段を取った。入局1年目の9月27日に横浜米軍機墜落事故が発生。翌28日に事故現場である横浜市郊外に急行、米軍と警察が張った規制線にへばりついて現場検証の様子を原稿に纏め、局に送ったと言う。横浜局は一年間在籍。

入局2年目の1978年より『NHK沖縄放送局』に異動。沖縄時代は事件事故の傍ら沖縄の米軍基地の取材を担当。在任期間中に 米軍基地のアメリカ海兵隊の演習場にて山火事が発生し、カメラマンと一緒に火の粉が飛んでくる程近い場所に住んでいる高齢男性にマイクを向けた。その後も沖縄の基地問題に関する取材を積み重ね、沖縄局には四年間在籍した。

5年目の1984年より報道局外信部(現在の報道局国際部)に配属。その翌年の1985年に特報部(現在の科学文化部)が報道局に立ち上がり、外信部と兼務。同年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生、沖縄時代の記者経験を生かしながら事故取材のチームに加わり、徹夜で取材東京を中心に事故原因の資材に走り回り、運輸省航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)の調査官や航空会社の関係者への取材に駆け回ったと言う。翌1986年11月に フィリピンの首都マニラ郊外にて、大手商社の三井物産マニラ支店長の誘拐事件が発生、国際報道の応援としてマニラの渡航。翌1987年1月に支店長が解放される可能性と言う情報が流れ、同月22日に (支店長が無事に解放され、フィリピン当局が保護したようだ) と言う情報がもたらされ、相前後してある通信社も「救出」の一報を打った。同年3月31日に支店長は無事に解放、NHKはすぐに速報を流したと言う。1989年 中国の戒厳部隊の鎮圧による中国情勢、いわゆる天安門事件が発生。海外特派員として香港に渡航。天安門事件の影響として香港の様子を懸命にレポートした。翌年の1990年9月にカンボジア内戦が勃発し、首都プノンペンに渡航、1ヶ月の取材をしてタイの首都バンコクを経由して東京に帰国。帰国の前の月に『イラククウェートに侵攻』いわゆる湾岸危機が迫っており、世界が大変に騒がしい世の中に翻弄されていて、帰国から1ヶ月後の10月に 報道局国際部内にあるプロジェクトチームに配属。戦争になったら何が起きるのかのシミュレーションを重ね、準備を進めた。同年12月ヨルダンの首都アンマンに有る『NHK 資材前線本部(当時)』のデスクからの連絡により、成田空港から国際線にてイランの首都カイロに飛び、イスラエルに入って何日かかけてパレスチナの取材も担当。翌年の1991年1月『NHKカイロ支局』長に就任。同年、開戦 勃発した湾岸戦争 時には 西側諸国 の海外機動取材班としてイラクに残って、インマルサット(国際移動通信電話)を使ったレポートを繰り返した「伝説的な放送記者」となった[6]1994年7月5月のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸にて、イスラエルと抵抗するパレスチナ人が道路を封鎖。取材の行く手を阻まれた際も無線で応援記者をはじめとするNHKの支局と連絡を取り、戦況の様子を詳しく伝えた。3年半の任務を経て、日本に帰国。帰国後は 報道局国際部のデスクとなり、8年間デスク業務に携わった。

2002年に『NHK解説委員室』解説委員に就任し、専門はアジア.中東・アフリカを担当。9.11テロから丸1年、イラク戦争の影響により、中東情勢に関するドキュメンタリー番組討論番組には頻繁に出演。又、勃発するイラク戦争では NHKの特設ニュースにて中東・アフリカによる最新の今後の動きを鋭く分析・解析をし、4年間在籍。

2006年4月3日『NHKニュース21』が1993年3月に放送終了して以来13年ぶりに、(後続のストレート形式の『NHKニュース9』と大型ニュース番組『NHKニュース10』を統合して21時台とした)大型ニュース番組『ニュースウオッチ9』がスタート(放送開始前に番組の立ち上げにも参加)。国際報道記者生活28年 同番組の初代メインキャスターに伊東敏恵アナウンサー(当時)と、スポーツ担当の青山祐子アナウンサー(当時)、フィールドリポーターの堀潤アナウンサー(当時)と安部みちこアナウンサー、気象予報士平井信行と共に就任。

ニュースウオッチ9』を担当していた2007年10月31日肺癌を患い退任、後任の藤澤秀敏にバトンを譲った。1年余りに渡って肺癌の治療に専念した。(その翌年、共演した藤澤秀敏キャスターと伊東敏恵アナウンサーが退任。)その後体調が戻ったこともあり、2009年から解説委員室が関わる番組に再び出演。当初NHK広報室は肺癌ではなく単に「肺疾患」としていたが、不定期の出演番組が主体となって制作した2012年11月18日放送の『NHKスペシャル』で自ら初めて触れ、それが肺癌だったことを明かし[7]、自らの闘病体験を基に日本の癌ワクチン研究・開発に対する意見を述べた。

2012年6月15日付で、NHK放送総局解説委員長に昇進[8]。その後、解説委員に戻った。2013年に還暦を迎える。

「ヤナギー」の愛称[9]で親しまれている。

2017年10月28日より、会津地方出身者による親睦会「会津会」の第8代会長を務めている[10]

2018年9月30日付を以て日本放送協会(NHK)を退職[11][12]10月1日よりホリプロと契約すると共に『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)の水・金曜コメンテーターとして、10月3日に民放初出演[11][12]。その後も数多くの民放番組でコメンテーターを担当している。

エピソード

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出演番組

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テレビ

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協会在職中

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報道・情報番組

期間 番組名 役職 備考
2006年4月3日 2007年10月31日 ニュースウオッチ9 メインキャスター 番組の立ち上げにも関わった
2010年3月29日 2018年3月30日 あさイチ キャスター兼コメンテーターおよび解説担当 番組の立ち上げから期間の通り8年間出演、2012年6月15日から不定期出演し2014年8月25日から本格復帰、番組降板後もゲスト扱いで出演することがある
2012年11月18日 NHKスペシャル 『がんワクチン〜“夢の治療薬”への格闘〜』進行役 当時司会を担当していた『あさイチ』チームによる制作として放送[13]

バラエティ番組・その他

協会退局以降

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報道・情報番組

期間 番組名 役職
2018年10月 現在 ワイド!スクランブル→大下容子ワイド!スクランブル(テレビ朝日 木曜日コメンテーター
2019年4月6日 2025年3月15日 大好き♡東北 定禅寺しゃべり亭NHK仙台放送局 毎月1回での司会
2019年4月27日 2024年12月21日 中居正広のニュースな会→中居正広のキャスターな会→中居正広の土曜日な会(テレビ朝日) 解説員での準レギュラー出演
2019年9月30日 現在 Live News it!→Live News イット!フジテレビ 月・木曜日コメンテーター
2020年1月 2021年3月 あさチャン!TBSテレビ 火曜日コメンテーター
2020年4月5日 サンデーLIVE!!(テレビ朝日) ゲスト出演
2021年3月8日 報道ランナー関西テレビ リモートでのゲスト出演
2021年7月18日 Mr.サンデー(フジテレビ・関西テレビ) ゲスト出演
2022年10月8日 現在 サタデーステーション(テレビ朝日) コメンテーター

バラエティ番組

ラジオ

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主な著作

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脚注

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  1. ^ 『ステラフォーム 柳澤秀夫キャスターの "ぴかイチ"" 50』ステラ 2011年9月7日発売号[要ページ番号]
  2. ^ 柳澤秀夫NHK解説委員の講演会「無線から見える国際情勢」に120名が参加!! hamlife.jp
  3. ^ 「突然ですが、無線の話です! あさイチブログ : NHK 2014年12月06日閲覧[リンク切れ]
  4. ^ <写真リポート>JA7JJN・柳澤秀夫NHK解説委員の講演会「無線から見える国際情勢」に120名が参加!! hamlife.jp
  5. ^ お久しぶりです! あさイチブログ:NHK 2010年10月22日閲覧[リンク切れ]
  6. ^ 後藤さん殺害事件で「あさイチ」柳澤キャスターの珠玉の1分間コメント Yahoonews 水島宏明
  7. ^ 「腫瘍を摘出後抗癌剤治療を受けた」という形での説明。
  8. ^ NHK、地震取材の体制強化 管理職人事発表 共同通信ニュース 2012年5月31日閲覧
  9. ^ NHK「あさイチ」敏腕記者ヤナギーに“第2の池上彰”の可能性 日刊ゲンダイ 2015年7月18日
  10. ^ 第8代会津会会長に柳澤秀夫氏就任 会津会公式サイト 2017年10月28日
  11. ^ a b “元「あさイチ」出演の柳沢秀夫氏NHK→ホリプロへ” (日本語). ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年10月3日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201810030000853.html 2018年10月3日閲覧。 
  12. ^ a b “「あさイチ」柳澤秀夫氏 NHK退局していた テレ朝「ワイスク」で民放初出演「蚊取り線香状態」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2018年10月3日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/10/03/kiji/20181003s00041000196000c.html 2018年10月3日閲覧。 
  13. ^ 過去に『あさイチ』で肺癌について取材した企画放送における人物紹介のテロップで触れられている。

外部リンク

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先代
-
ニュースウオッチ9
初代男性メインキャスター
柳澤秀夫
2006年4月 - 2007年10月
次代
藤澤秀敏