碑文谷
碑文谷 | |
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カトリック碑文谷教会(サレジオ教会) | |
北緯35度37分10.19秒 東経139度41分30.04秒 / 北緯35.6194972度 東経139.6916778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 目黒区 |
面積 | |
• 合計 | 1.0261 km2 |
人口 | |
• 合計 | 17,422人 |
• 密度 | 17,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 152-0003[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 品川 |
碑文谷[5](ひもんや)は、東京都目黒区の地名。現行行政地名は碑文谷一丁目から碑文谷六丁目。郵便番号は152-0003[3]。
地理
[編集]地区内には東京都道318号環状七号線(環七通り)および東京都道312号白金台町等々力線(目黒通り)の2つの重要幹線道路があり、両者が交差する柿の木坂陸橋は、重要な交通要所になっている。
公共交通の面では、目黒通りを中心とするバス路線網が充実しており、山手線目黒駅方面への便は非常に良い。最寄りの鉄道駅は東急東横線学芸大学駅・都立大学駅および東急目黒線西小山駅。他に徒歩で利用可能な駅として、東急大井町線・東急目黒線大岡山駅等がある。
地価
[編集]住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、碑文谷4-12-14の地点で79.8万円/m2となっている[6]。
面積、世帯数と人口
[編集]丁目ごとの面積[1]、および2021年(令和3年)4月1日現在の世帯数と人口[2]は以下の通りである。
丁目 | 面積 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|---|
碑文谷一丁目 | 0.22km2 | 1,903世帯 | 4,156人 |
碑文谷二丁目 | 0.1597km2 | 1,645世帯 | 3,260人 |
碑文谷三丁目 | 0.1292km2 | 1,077世帯 | 2,212人 |
碑文谷四丁目 | 0.165km2 | 1,326世帯 | 2,550人 |
碑文谷五丁目 | 0.2105km2 | 2,056世帯 | 3,433人 |
碑文谷六丁目 | 0.1417km2 | 1,010世帯 | 1,811人 |
計 | 1.0261km2 | 9,017世帯 | 17,422人 |
歴史
[編集]碑文谷は、かつては東京府荏原郡にあった村である[5]。1932年(昭和7年)に東京市目黒区に入りその町名となる[5]。かつてはタケノコの産地として有名であったが、次第に宅地化された。
地名の由来
[編集]かつての荏原郡碑文谷郷、後の碑文谷村に由来する。応永32年(1425年)に記された『日運記』の中には既に「碑文谷」という地名が著されている。碑文谷の由来には碑文谷八幡宮内稲荷社に保存されている梵字を刻んだ「碑文石」のある谷(里)ないし秘文の谷(里)(「世田谷城名残常磐記」)が起源とするもの、鎌倉・室町期から檜の加工品「檜物(ひもの)」作りが盛んであったことに由来するなど、諸説ある[7]。
住居表示実施前後の町名の変遷
[編集]実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
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碑文谷一丁目 | 1966年3月1日 | 碑文谷3、碑文谷1・2、清水町、宮ヶ丘、本郷町、柿ノ木坂、三谷町 |
碑文谷二丁目 | ||
碑文谷三丁目 | ||
碑文谷四丁目 | ||
碑文谷五丁目 | ||
碑文谷六丁目 |
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『日本紳士録』や『人事興信録』によると、碑文谷では安藤、菅田、角田、富岡、宮野姓の人物が農業を営んでいた[8][9][10][11][12][13]。
- 商工業者
『日本紳士録』によると、碑文谷の商工業者は保険代理業の安藤[8]、白米商の角田[10]、貸地業の角田[14]、荒物商・貸金業の角田[10][14]、荒物商の富岡[12]などがいた。
- 店・企業
- ダイエー碑文谷店→イオンスタイル碑文谷
- プジョー・シトロエン・ジャポン(2017年7月から本社所在地)
- フレンチレストラン comme tu veux コムトゥヴ (令和の虎、TBSうちの県の大事件、出演)
- 目黒鷹番郵便局(碑文谷六丁目)・目黒碑文谷四郵便局・目黒碑文谷二郵便局(日本郵政グループ)
地主
[編集]『日本紳士録』や『人事興信録』によると、碑文谷の地主は、角田倉[11]、角田長雄[15][16]、角田元亮[15][17]、角田光五郎、富岡金蔵[9]、富岡佐七[12]、宮野菊蔵[8]などがいた。
地域
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相談[編集]
公共機関[編集]
教育機関[編集]
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健康[編集]
施設[編集]
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小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[20]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
碑文谷一丁目 | 全域 | 目黒区立碑小学校 | 目黒区立第七中学校 |
碑文谷二丁目 | |||
碑文谷三丁目 | 目黒区立大岡山小学校 | 目黒区立第八中学校 | |
碑文谷四丁目 | |||
碑文谷五丁目 | 目黒区立鷹番小学校 | 目黒区立目黒中央中学校 | |
碑文谷六丁目 |
交通
[編集]目黒駅や都立大学駅を起点とした東急バスの路線網が発達している。特に、碑文谷線(黒01系統)は東急バス全体の中で一番本数が多い。東98系統は東京駅丸の内南口から等々力操車場にいたるバス路線であり、東急バスと都営バスが共同運行する最後の路線であったが、2013年4月1日より東急バスの単独運行となった。詳しくは以下を参照のこと。
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 渥美清(俳優)
- いかりや長介(コメディアン、俳優)
- 伊勢谷友介(俳優、映画監督、実業家)
- 上埜安太郎(衆議院議員)
- 富岡惟中(工学博士、技師)
- 富岡有象(医学博士、医師)[12]
- 角田光五郎(地主[15]、碑衾町長[8]、碑衾村長[22]、農業、東京府多額納税者[23])
- 甘利俊一(工学者、神経科学者)
脚注
[編集]- ^ a b “区勢要覧 - 2.人口と世帯”. 目黒区 (2021年3月31日). 2021年4月14日閲覧。
- ^ a b “町丁別世帯数および人口表”. 目黒区 (2021年4月1日). 2021年4月14日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年4月14日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年4月14日閲覧。
- ^ a b c 『日本地名大辞典 第5巻』4910頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月4日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ [1] 「歴史を訪ねて 「碑文谷(ひもんや)」の起源を探る」
- ^ a b c d 『日本紳士録 第32版』東京アの部5、ツの部510-511、ミの部741頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月31日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第36版』東京スの部397、トの部525頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月22日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第35版』東京ツの部513-514頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月26日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第13版 下』ツ45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月28日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第34版』東京トの部514頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月22日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第33版』東京ミの部786頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月11日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』東京ツ之部588頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月9日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第38版』東京ツの部528頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第45版』東京ツの部366頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第9版』ツ39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 税理士情報検索、税理士情報検索サイト。
- ^ 猫の足あと
- ^ “区立学校学区域”. 目黒区 (2018年8月25日). 2021年4月14日閲覧。
- ^ なお、碑文谷工場の跡地には東急グループのフィットネスクラブ「アトリオドゥーエ碑文谷」とゴルフ練習場「スイング碑文谷」が立地している。
- ^ 『東京府市名誉録』荏原郡之部(碑衾村)34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 東京府5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
- 交詢社編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
- 日本書房編『日本地名大辞典 第5巻』日本書房、1937-1938年。
- 交詢社編『日本紳士録 第45版』交詢社、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。