第28普通科連隊
第28普通科連隊 | |
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創設 | 1962年(昭和37年)1月18日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
人員 | 約600名 |
所在地 | 北海道 函館市 |
編成地 | 滝川 |
上級単位 | 第11旅団 |
担当地域 | 道南(渡島総合振興局、檜山振興局、後志総合振興局の一部(黒松内町、寿都町、島牧村)) |
戦歴 | ベレンコ中尉亡命事件対処 函館空港全日空857便ハイジャック事件対処 |
第28普通科連隊(だいにじゅうはちふつうかれんたい、JGSDF 28th Infantry Regiment)は、北海道函館市の函館駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第11旅団隷下の普通科連隊である。
概要
[編集]連隊長は1等陸佐(三)が充てられ、連隊本部、本部管理中隊および3個普通科中隊により編成される。
1962年(昭和37年)1月に陸上自衛隊の28番目の普通科連隊として編成された。2008年(平成20年)3月に第11師団の旅団化に伴い、軽普通科連隊へ改編された。
沿革
[編集]- 1962年(昭和37年)
- 1976年(昭和51年)9月6日:MiG-25が函館空港に強行着陸する(ベレンコ中尉亡命事件(ミグ25事件))。
- 1989年(平成元年)3月24日:師団改編により、自動車化。
- 1995年(平成 7年)6月21日:函館空港全日空857便ハイジャック事件対処。
- 1996年(平成 8年)3月29日:第29普通科連隊の廃止により、第4普通科中隊が倶知安駐屯地に移駐する。
- 2008年(平成20年)第11師団の旅団化改編に伴い普通科連隊(軽)に改編
- 3月25日:
- 第4普通科中隊(倶知安駐屯地)を廃止(第4普通科中隊の後身は北部方面対舟艇対戦車隊)。
- 重迫撃砲中隊を廃止。
- 3月26日:
- 本部管理中隊に重迫撃砲小隊を新編。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第11後方支援隊第2整備中隊第3普通科直接支援小隊へ移管。
部隊編成
[編集]- 第28普通科連隊本部
- 本部管理中隊「28普-本」:82式指揮通信車
- 重迫撃砲小隊:120mm迫撃砲 RT
- 第1普通科中隊「28普-1」:96式装輪装甲車
- 第2普通科中隊「28普-2」:高機動車
- 第3普通科中隊「28普-3」:96式装輪装甲車
整備支援部隊
[編集]- 第11後方支援隊第2整備中隊第3普通科直接支援小隊「11後支-2整」(函館駐屯地):2008年(平成20年)3月26日から
警備隊区
[編集]- 本部管理中隊 函館市
- 第1普通科中隊 江差町、上ノ国町、乙部町、厚沢部町、今金町、せたな町、奥尻町
- 第2普通科中隊 北斗市、七飯町、木古内町、知内町、福島町、松前町
- 第3普通科中隊 鹿部町、森町、八雲町(旧熊石町区も含む)、長万部町、黒松内町、寿都町、島牧村
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第28普通科連隊長 兼 函館駐屯地司令 | 1等陸佐 | 廣山俊一 | 2023年 | 8月 1日第12旅団司令部第3部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 川村宗三 | 1962年 | 1月18日 - 1964年 3月15日第10普通科連隊付 | 陸上幕僚監部第5部学校班長 |
2 | 中村定臣 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 3月15日陸上幕僚監部第3部編成班長 | 陸上幕僚監部第3部副部長 |
3 | 及川薫 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 7月15日自衛隊山形地方連絡部長 | 東北方面総監部付 |
4 | 熊谷健弥 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 7月15日陸上自衛隊幹部学校総務部 総務課長 | 陸上自衛隊業務学校勤務 |
5 | 長谷田晃 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日自衛隊札幌地方連絡部長 | 陸上自衛隊冬季戦技教育隊長 |
6 | 太田穣 | 1972年[3] | 7月17日 - 1974年 7月15日陸上幕僚監部第3部編成班長 | 中部方面総監部幕僚副長 |
7 | 服部武志 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 8月 1日中部方面総監部第3部勤務 | 海田市駐とん地業務隊長 |
8 | 高橋永二[4] | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 7月31日陸上幕僚監部幕僚庶務室 運用解析班長 | 第3教育団副団長 |
9 | 種具正二郎 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 3月16日第4師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部防衛部研究課長 |
10 | 田中三郎 | 1980年 | 3月17日 - 1981年 7月31日中部方面総監部人事部募集課長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
11 | 早田均 | 1981年 | 8月 1日 - 1983年 7月31日陸上幕僚監部付 | 北部方面総監部調査部長 |
12 | 小林健二 | 1983年 | 8月 1日 - 1986年 3月16日陸上自衛隊幹部学校企画室勤務 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
13 | 石田潔 | 1986年 | 3月17日 - 1988年 3月15日陸上幕僚監部防衛部防衛課 防衛班長 | 東北方面総監部防衛部長 |
14 | 中谷正寛 | 1988年 | 3月16日 - 1991年 3月15日第3師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部防衛部防衛課長 |
15 | 岩猿進 | 1991年 | 3月16日 - 1993年 3月23日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 | 陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 |
16 | 西山洋 | 1993年 | 3月24日 - 1995年 3月27日第2師団司令部第3部長 | 西部方面総監部調査部長 |
17 | 村岡義章 | 1995年 | 3月28日 - 1998年 3月25日東北方面総監部防衛部訓練課長 | 第10師団司令部幕僚長 |
18 | 神田和穗 | 1998年 | 3月26日 - 2000年 7月31日北部方面総監部人事部厚生課長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校総務部長 |
19 | 渡部悦和 | 2000年 | 8月 1日 - 2002年 3月21日陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 演習班長 | 陸上幕僚監部人事部補任課長 |
20 | 郡山勝英 | 2002年 | 3月22日 - 2003年 7月31日東北方面総監部人事部厚生課長 | 東北方面総監部監察官 |
21 | 岡部俊哉 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 3月27日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第1班長 | 陸上幕僚監部防衛部運用課長 |
22 | 小林博史 | 2005年 | 3月28日 - 2006年 8月 3日陸上幕僚監部監理部会計課 予算班長 | 陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務 |
23 | 四月朔日徹 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 3月25日陸上自衛隊冬季戦技教育隊長 | 東北方面総監部付 →2008年4月1日 東北方面総監部総務部長 |
24 | 田邊政文 | 2008年 | 3月26日 - 2010年 3月22日第2師団司令部第4部長 | 豊川駐屯地業務隊長 |
25 | 賦勺義矢 | 2010年 | 3月23日 - 2012年 3月22日東北方面総監部総務部 地域連絡調整課長 | 空挺教育隊長 |
26 | 佐藤和之 | 2012年 | 3月23日 - 2014年 3月22日陸上自衛隊幹部学校付 | 中部方面総監部防衛部訓練課長 |
27 | 吉原和宏[5] | 2014年 | 3月23日 - 2015年 7月31日部隊訓練評価隊副隊長 | 陸上自衛隊関東補給処装備計画部 業務指示課長 |
28 | 緒方義大 | 2015年 | 8月 1日 - 2017年 7月31日陸上自衛隊幹部学校付 | 陸上幕僚監部人事教育部厚生課 家族支援班長 |
29 | 阿部慎治 | 2017年 | 8月 1日 - 2019年 7月31日陸上自衛隊中央業務支援隊総務部長 | 陸上自衛隊富士学校管理部 演習場管理課長 |
30 | 木場元大 | 2019年 | 8月 1日 - 2021年 7月31日陸上自衛隊幹部候補生学校主任教官 | 第4陸曹教育隊長 |
31 | 長谷部浩司 | 2021年 | 8月 1日 - 2023年 7月31日第4陸曹教育隊長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部勤務 |
32 | 廣山俊一 | 2023年 | 8月 1日 -第12旅団司令部第3部長 |
主要装備
[編集]- 96式装輪装甲車
- 82式指揮通信車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 12.7mm重機関銃M2
- 96式40mm自動てき弾銃
- 対人狙撃銃 レミントン M24 SWS
- 携帯放射器
- 110mm個人携帯対戦車弾LAM パンツァーファウスト3
- 01式軽対戦車誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- “防衛省人事発令”. 2015年8月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- 第28普通科連隊(旅団HPより)