第5普通科連隊
第5普通科連隊 | |
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創設 | 1954年(昭和29年)7月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
人員 | 約1,100名 |
所在地 | 青森県 青森市 |
編成地 | 金沢 |
通称号/略称 | 白い精鋭 |
上級単位 | 第9師団 |
担当地域 | 下北地方、南部地方 (青森県) |
第5普通科連隊(だいごふつうかれんたい、JGSDF 5th Infantry Regiment)は、青森県青森市の青森駐屯地に駐屯する、第9師団隷下の普通科連隊である。
概要
[編集]連隊長は、1等陸佐(二)をもって充てられ、連隊本部、本部管理中隊、4個普通科中隊および重迫撃砲中隊により編成される。
1951年(昭和26年)5月に警察予備隊の部隊として金沢駐屯地において編成された普通科部隊で幾多の改編、移駐が行われている。また、第5普通科連隊を母体に第38普通科連隊、第39普通科連隊が編成されている。
毎年厳冬期に八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっている。1965年(昭和40年)から実施され、2019年(平成31年)で50回目[1]。
大日本帝国陸軍歩兵第5連隊の連隊番号を継承しており、こちらは日露戦争前の八甲田雪中行軍遭難事件でもよく知られている。
沿革
[編集]第5連隊
第5普通科連隊
- 1954年(昭和29年)
- 7月1日:陸上自衛隊発足により、第5普通科連隊に称号変更。
- 9月10日:第6管区隊が編成され第6管区隊に隷属[2]。
- 1956年(昭和31年)5月31日:八戸駐屯地の開設により、青森駐屯地から八戸駐屯地に移駐。
- 1957年(昭和32年)2月21日:第9混成団の編成により、第9混成団に隷属[3] 。
- 1962年(昭和37年)
- 8月14日:八戸駐屯地から青森駐屯地に移駐。
- 8月15日:第9混成団の第9師団への改編により、連隊再編。
- 64式小銃、62式機関銃、84mm無反動砲等の旧式装備を一新し近代的な装備を導入(WAPC、89R、LMAT、高機動車、MINIMI等を配備)[4]。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第9後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊へ移管。
部隊編成
[編集]- 第5普通科連隊本部
- 本部管理中隊「5普-本」
- 第1普通科中隊「5普-1」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第2普通科中隊「5普-2」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第3普通科中隊「5普-3」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第4普通科中隊「5普-4」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 重迫撃砲中隊「5普-重」:120mm迫撃砲 RT
整備支援部隊
[編集]- 第9後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊「9後支-2整-1」(青森駐屯地):2010年(平成22年)3月26日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第5普通科連隊長 | 1等陸佐 | 樋口毅 | 2023年 | 3月13日第10師団司令部監察官 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 中村三愛 (2等警察正) | 1951年 | 5月 1日 - 1952年 1月18日||
2 | 椙山一郎 (1等警察正) | 1952年 | 1月19日 - 1952年 8月22日第2管区総監部所属 | |
3 | 有沼源一郎 (1等警察正) | 1952年 | 8月23日 - 1953年 9月 6日警察予備隊総隊学校(学生隊)所属 | 第一幕僚監部所属第3部勤務 |
4 | 佐藤不二雄 (1等保安正) | 1953年 | 9月 7日 - 1955年11月15日第3管区総監部第3部長 | 第5管区総監部幕僚長 |
5 | 安部邦夫 | 1955年11月16日 - 1958年 | 3月15日陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 | 防衛研修所戦史室勤務 |
6 | 片木良平 | 1958年 | 3月16日 - 1960年 3月15日防衛大学校訓練部訓練課長 | 陸上自衛隊富士学校普通科部副部長 兼 同部教務課長 |
7 | 高橋晃 | 1960年 | 3月16日 - 1962年 3月15日防衛研修所戦史室勤務 | 東部方面総監部付 |
8 | 斉藤常重 | 1962年 | 3月16日 - 1962年 8月14日第10師団司令部幕僚長 | 第38普通科連隊長 兼 八戸駐とん地司令 |
9 | 石橋正治 | 1962年 | 8月15日 - 1965年 3月15日第9混成団本部付 | 自衛隊福井地方連絡部長 |
10 | 広瀬進 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 3月15日中央資料隊長 | 中部方面総監部厚生課長 |
11 | 平谷政喜 | 1967年 | 3月16日 - 1968年 7月15日第4師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 |
12 | 辻田彌壽男 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 7月15日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
13 | 柴田繁 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日陸上幕僚監部第2部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
14 | 落合成行 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 7月15日陸上幕僚監部第2部勤務 | 陸上幕僚監部第1部総括班長 |
15 | 田村博 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 6月30日陸上自衛隊航空学校学校教官 | 自衛隊三重地方連絡部長 |
16 | 新舘節郎 | 1976年 | 7月 1日 - 1978年 7月31日第2師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
17 | 井元成美 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 3月16日陸上幕僚監部調査部調査第1課勤務 | 陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
18 | 高畑活水 | 1980年 | 3月17日 - 1981年 7月31日陸上幕僚監部調査部調査第2課 調査別室第3科長 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
19 | 福田守 | 1981年 | 8月 1日 - 1983年 7月31日中部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
20 | 原口俊郎 | 1983年 | 8月 1日 - 1985年 6月30日北部方面総監部勤務 | 東部方面総監部人事部勤務 |
21 | 中村仁郎 | 1985年 | 7月 1日 - 1988年 3月15日陸上自衛隊調査学校学校教官 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学校教官 |
22 | 河内九郎 | 1988年 | 3月16日 - 1990年 7月31日防衛研究所所員 | 統合幕僚学校主任教官 |
23 | 中村哲示 | 1990年 | 8月 1日 - 1992年 6月15日第2師団司令部第3部長 | 神町駐屯地業務隊長 |
24 | 田川友康 | 1992年 | 6月16日 - 1994年 7月31日中部方面調査隊長 | 陸上幕僚監部調査部調査第2課 |
25 | 及川輝彦 | 1994年 | 8月 1日 - 1998年 3月31日東部方面総監部装備部後方運用課長 | 練馬駐屯地業務隊長 |
26 | 柴田一男 | 1998年 | 4月 1日 - 2000年11月30日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第2班長 | 北部方面総監部調査部長 |
27 | 中里逸朗 | 2000年12月 | 1日 - 2003年 7月31日陸上自衛隊補給統制本部総務部 人事課長 | 情報本部 |
28 | 菊地豊 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 3月31日陸上幕僚監部調査部付 | 内閣官房内閣衛星情報センター 主任分析官[6] |
29 | 小松和典 | 2005年 | 4月 1日 - 2007年 3月27日防衛研究所総括主任研究官 | 陸上自衛隊研究本部総合研究部 第2研究課長 |
30 | 田草川茂人 | 2007年 | 3月28日 - 2009年 3月31日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 富士教導団副団長 |
31 | 西帶野輝男 | 2009年 | 4月 1日 - 2011年11月30日西部方面総監部防衛部訓練課長 | 中部方面指揮所訓練支援隊長 |
32 | 青木広治 | 2011年12月 | 1日 - 2013年12月17日陸上自衛隊九州補給処装備計画部 企画課長 | 西部方面混成団副団長 |
33 | 友伸治 | 2013年12月18日 - 2016年 | 3月22日第8師団司令部第3部長 | 第12旅団司令部幕僚長 |
34 | 田中仁朗 | 2016年 [7][8][9] | 3月23日 - 2017年 7月31日統合幕僚監部防衛計画部防衛課付 | 統合幕僚監部防衛計画部計画課長 |
35 | 古賀博彦 | 2017年 | 8月 1日 - 2019年 3月22日北部方面総監部装備部後方運用課長 | 東千歳駐屯地業務隊長 |
36 | 榮村佳之 | 2019年 | 3月23日 - 2021年 7月31日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 東北方面混成団副団長 |
37 | 降籏慎生 | 2021年 | 8月 1日 - 2023年 3月12日自衛隊愛知地方協力本部募集課長 | 東部方面指揮所訓練支援隊長 |
38 | 樋口毅 | 2023年 | 3月13日 -第10師団司令部監察官 |
主要装備
[編集]- 96式装輪装甲車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- M24対人狙撃銃 レミントン M24 SWS
- 01式軽対戦車誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
過去の装備品
[編集]警備隊区
[編集]青森市、平内町、七戸町、野辺地町、東北町、三沢市、六ケ所村、横浜町、東通村、むつ市、佐井村、大間町、風間浦村、田子町、三戸町、南部町、八戸市、階上町[10]
脚注
[編集]- ^ “青森)陸自隊員600人が八甲田を行進 遭難事件教訓に”. 朝日新聞. (2019年1月24日) 2019年5月18日閲覧。
- ^ a b c 『第一管区隊史 保安隊編』保安隊第一管区総監部、1958年。
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和31年政令第322号)『官報』本紙第8955号(昭和31年10月30日)
- ^ 朝雲新聞、2010年4月1日号
- ^ “下北、上北中心に大雨 風間浦で住民孤立 青森県、陸自に派遣要請”. デイリー東北 (2021年8月11日). 2021年8月12日閲覧。
- ^ 伊豆市 市長の部屋 私のプロフィール
- ^ 防衛省人事発令(2016年11月20日) (PDF) 南スーダン派遣施設隊付
- ^ 防衛省人事発令(2016年12月12日) (PDF) 南スーダン派遣施設隊長
- ^ 防衛省人事発令(2017年 6月 1日) (PDF) 第5普通科連隊長
- ^ “防衛省防災業務計画(令和6年3月28日)”. pp. 55. 2024年12月20日閲覧。
出典
[編集]- 八甲田:40年のあゆみ(陸上自衛隊第九師団第五普通科連隊編・1991年)
- “防衛省人事発令”. 2013年12月18日閲覧。