須藤美也子
須藤 美也子 すとう みやこ | |
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生年月日 | 1935年1月28日 |
出生地 | 山形県鶴岡市 |
没年月日 | 2018年8月11日(83歳没) |
死没地 | 山形県鶴岡市 |
出身校 | 山形県立鶴岡南高等学校 |
前職 | 日本電信電話公社職員 |
所属政党 | 日本共産党 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年 - 2001年 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1975年 - 1979年 |
須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 2018年8月11日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。同党山形県委員会委員長。
人物
[編集]山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業後、電電公社職員となる[1]。
1975年の第11回統一地方選挙で山形県議会議員となり、1980年第36回衆議院議員総選挙および1983年第37回衆議院議員総選挙で旧山形2区から立候補したが落選。1989年第15回参議院議員通常選挙からは参議院比例区へ鞍替えするも落選。1995年第17回参議院議員通常選挙では比例区で初当選し、1期務めた。この間、党では中央委員、農・漁民局長を歴任している。2000年から2004年まで党山形県委員会委員長。
参議院議員任期満了後、2002年、加藤紘一の辞職に伴う衆議院山形4区(当時)補欠選挙に立候補したが[1]、落選した。
2018年8月11日6時1分、老衰のため、鶴岡市の介護施設で死去[2][3]。83歳没。
政策
[編集]- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。2000年には、須藤ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて当時の森喜朗総理に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[4]。
脚注
[編集]- ^ a b “国会議員を経験した実力と21世紀を担う若い力 国政補欠選挙 候補者を紹介します”. しんぶん赤旗. (2002年7月12日) 2019年7月28日閲覧。
- ^ 須藤美也子氏死去(元共産党参院議員) - 時事ドットコム 2018年8月13日
- ^ “元共産党参院議員、須藤美也子氏死去”. 産経新聞. (2018年8月13日) 2019年7月28日閲覧。
- ^ 夫婦別姓選択性導入などを盛りこんだ民法改正案推進を求める申し入れ 2000年9月29日