山田信道
山田信道 | |
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山田信道(1899年) | |
生年月日 | 1833年12月13日 |
出生地 | 肥後国熊本藩 |
没年月日 | 1900年3月11日(66歳没) |
死没地 | 大日本帝国 |
在任期間 | 1881年 - 1889年 |
第12代 農商務大臣 | |
在任期間 | 1897年11月8日 - 1898年1月12日 |
在任期間 | 1898年12月22日 - 1900年3月12日 |
元首 | 明治天皇 |
山田 信道(やまだ のぶみち、天保4年11月3日(1833年12月13日) - 1900年(明治33年)3月11日)は、日本の官僚、政治家。旧熊本藩士。男爵。
生涯
[編集]肥後熊本藩出身。尊皇攘夷思想に惹かれて鹿児島に下る。文久2年(1863年)、八月十八日の政変により江戸幕府に捕らわれ、拘禁5年の判決を受ける。明治維新後に新政府に入り、明治4年(1871年)の廃藩置県に伴い江刺県権知事に任命される。一時期、轟武平らと共に神風連に属し、その中で穏健派となっていたが、神風連の乱の頃には、既に山田は政府協力派となっていた。以後、鳥取県令、福島県、1891年(明治24年)に大阪府知事。1895年(明治28年)には京都府知事に就任した。1896年6月5日、維新や地方行政の功により男爵を授爵[1]。1897年(明治30年)には第2次松方内閣の農商務大臣として入閣した。のち、会計検査院長を務めた。
栄典
[編集]- 位階
- 1886年(明治19年)10月28日 - 従四位[2]
- 1891年(明治24年)6月25日 - 従三位[3]
- 1897年(明治30年)11月30日 - 正三位[4]
- 1900年(明治33年)3月11日 - 従二位[5]
- 勲章等
- 1887年(明治20年)11月25日 - 勲三等旭日中綬章[6]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[7]
- 1894年(明治27年)12月26日 - 勲二等瑞宝章[8]
- 1900年(明治33年)3月11日 - 旭日大綬章[5]
脚注
[編集]公職 | ||
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先代 渡邊昇 | 会計検査院長 第4代:1898 - 1900 | 次代 内海忠勝 |
先代 大隈重信 | 農商務大臣 第12代:1897 - 1898 | 次代 伊東巳代治 |
日本の爵位 | ||
先代 叙爵 | 男爵 山田(信道)家初代 1896年 - 1900年 | 次代 山田東三郎 |