1880年の相撲
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■ヘルプ |
1880年の相撲(1880ねんのすもう)は、1880年の相撲関係のできごとについて述べる。
興行
[編集]誕生
[編集]- 1月3日 - 大緑仁吉(最高位:前頭3枚目、所属:高砂部屋、+ 1954年【昭和29年】)[4]
- 2月6日 - 2代西ノ海嘉治郎(第25代横綱、所属:井筒部屋、+ 1931年【昭和6年】)[5]
- 10月25日 - 大ノ川甚太郎(最高位:小結、所属:君ヶ濱部屋→出羽ノ海部屋、+ 1917年【大正6年】)[6]
- 12月13日 - 駒ヶ嶽國力(最高位:大関、所属:井筒部屋→関ノ戸部屋→井筒部屋、+ 1914年【大正3年】)[7]
- 12月20日 - 平ノ石辰治郎(最高位:前頭4枚目、所属:玉垣部屋→尾車部屋→峰崎部屋、+ 1925年【大正14年】)[8]
死去
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。