1990年の相撲
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1990年の相撲(1990ねんのすもう)は、1990年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア
[編集]- 全国都道府県中学生相撲選手権大会が初開催。のちの十両魁道の田中康弘(明大中野3年)が全国中学校相撲選手権大会とあわせて史上初の中学二冠達成。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、1月場所初日、千代の富士に特別表彰。「一代年寄」を辞退したため特別顕彰し、土俵上で平山郁夫画の「富士山」を贈った。10日、春日野(元横綱栃錦)死去、64歳。元関脇闘竜引退、年寄二十山襲名。プロスポーツ大賞を千代の富士が2年連続で受賞。故春日野相談役に従四位勲二等瑞宝章。役員改選が行われ、理事長二子山は2期目。新理事に高砂、新監事に玉垣。
- 2月、2日に前頭10枚目龍興山死去、22歳。
- 3月、元小結前乃森引退、年寄山響襲名。7日目、千代の富士が史上初の通算1000勝を達成。場所後の番付編成会議で霧島の大関昇進決定。
- 5月、ザーイドアラブ首長国連邦大統領が観戦[2] 。園遊会に千代の富士が出席。
- 6月、ブラジル公演。
- 7月、元関脇益荒雄引退、年寄錣山襲名。場所後、旭富士の横綱昇進決定。4横綱時代となった。
- 9月、大関北天佑引退、年寄二十山襲名。元前頭筆頭富士乃真引退、年寄錦戸襲名。元小結大徹引退、年寄湊川襲名。元前頭13枚目大乃花引退、年寄佐ノ山襲名。
- 11月、27代木村庄之助の停年に伴い、25代式守伊之助の28代木村庄之助昇格と、木村庄二郎の26代式守伊之助昇格が決まる。元関脇高望山引退、年寄高島襲名。この年は初めて90日間すべてで満員御礼。
本場所
[編集]- 一月場所(両国国技館・7日~21日)
- 三月場所(大阪府立体育会館・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 北勝海信芳(13勝2敗,6回目)
- 十両優勝 : 益荒雄広生(10勝5敗)
- 五月場所(両国国技館・13日~27日)
- 七月場所(愛知県体育館・8日~22日)
- 幕内最高優勝 : 旭富士正也(14勝1敗,3回目)
- 十両優勝 : 若花田勝(12勝3敗)
- 九月場所(両国国技館・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 北勝海信芳(14勝1敗,7回目)
- 十両優勝 : 小城ノ花昭和(11勝4敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(13勝2敗,31回目)
- 十両優勝 : 大輝煌正人(11勝4敗)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):旭富士正也(70勝20敗)
誕生
[編集]- 1月10日 - 石浦鹿介(最高位:前頭5枚目、所属:宮城野部屋、年寄:間垣)[3]
- 2月26日 - 貴ノ岩義司(最高位:前頭2枚目、所属:貴乃花部屋→千賀ノ浦部屋)[4]
- 2月28日 - 髙安晃(現役力士、所属:鳴戸部屋→田子ノ浦部屋)[5]
- 3月1日 - 海龍元生(最高位:幕下2枚目、所属:田子ノ浦部屋→出羽海部屋、世話人:海龍)
- 3月10日 - 慶天海孔晴(最高位:十両11枚目、所属:阿武松部屋)[6]
- 7月10日 - 千代の国憲輝(最高位:前頭筆頭、所属:九重部屋、年寄:佐ノ山)[7]
- 7月12日 - 千代栄栄太(現役力士、所属:九重部屋)[8]
- 8月25日 - 錦木徹也(現役力士、所属:伊勢ノ海部屋)[9]
- 10月19日 - 遠藤聖大(現役力士、所属:追手風部屋)[10]
- 11月1日 - 舛ノ山大晴(最高位:前頭4枚目、所属:千賀ノ浦部屋→常盤山部屋)[11]
- 11月6日 - 天空海翔馬(現役力士、所属:立浪部屋)[12]
- 11月10日 - 竜電剛至(現役力士、所属:高田川部屋)[13]
死去
[編集]- 1月10日 - 栃錦清隆(第44代横綱、所属:春日野部屋、年寄:春日野、第5代日本相撲協会理事長、* 1925年【大正14年】)[14]
- 2月2日 - 龍興山一人(最高位:前頭5枚目(現役没)、所属:出羽海部屋、* 1967年【昭和42年】)[15]
- 3月20日 - 若瀬川栄蔵(最高位:前頭筆頭、所属:楯山部屋→伊勢ヶ濱部屋、* 1903年【明治36年】)[16]
- 4月2日 - 赤城山晃(最高位:十両10枚目、所属:双葉山道場→時津風部屋、* 1926年【大正15年】)
- 5月15日 - 神風正一(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、* 1921年【大正10年】)[17]
- 5月30日 - 九州山義雄(最高位:小結、所属:出羽海部屋、* 1913年【大正2年】)[18]
- 11月24日 - 小野錦喜三郎(最高位:前頭16枚目、所属:陣幕部屋→小野川部屋→陣幕部屋→小野川部屋、* 1922年【大正11年】)[19]
出典
[編集]- ^ 伏木相撲愛好會サントリー地域文化賞
- ^ アラブ首長国連邦日本国大使館 「わたしたちの50年 日本とUAE」
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 295頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 288頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 278頁
- ^ 慶天海 孔晴 日本相撲協会公式サイト(2024年3月6日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 282頁
- ^ 千代栄 栄太 日本相撲協会公式サイト(2022年6月27日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 293頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 287頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 279頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 307頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 298頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 115頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 225頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 69頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 101頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 82頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 144頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p94