1936年の名古屋軍
1936年の名古屋軍 | |
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成績 | |
順位なし[1][2] | |
本拠地 | |
都市 | 愛知県名古屋市 |
球場 | フランチャイズ未導入 |
球団組織 | |
オーナー | 大島一郎 |
経営母体 | 新愛知新聞社 |
監督 | 池田豊 |
1937 » |
1936年の名古屋軍(1936ねんのなごやぐん)では、1936年シーズンの名古屋軍の動向をまとめる。
この年の名古屋軍は、球団創設1年目のシーズンであり、日本職業野球リーグ創設1年目のシーズンである。球団の設立母体となったのは新愛知新聞社だが、会長には社外から弁護士の大野正直が迎えられ[3]、副会長の大島一郎(新愛知新聞社支配人)が実質上のオーナーを務めた。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]球団 | 甲子園大会 | 鳴海大会 | 宝塚大会 | ||||
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勝(引)敗 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | |||||
東京巨人軍 | アメリカ合衆国遠征のため、不参加 | ||||||
大阪タイガース | 3(0)2 | 1(0)1 | 1(0)1 | ||||
名古屋軍 | 2(0)3 | 1(0)1 | 0(0)2 | ||||
東京セネタース | 4(0)1 | 3(0)0 | 2(0)0 | ||||
阪急軍 | 2(0)3 | 1(0)2 | 2(0)0 | ||||
大東京軍 | 0(1)4 | 0(0)2 | 0(0)2 | ||||
名古屋金鯱軍 | 3(1)1 | 不参加 |
球団 | トーナメント戦 | ||
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東京大会 | 大阪大会 | 名古屋大会 | |
東京巨人軍 | 敗者復活戦敗退 | 1回戦敗退 | 敗者復活戦敗退 |
大阪タイガース | 準決勝敗退 | 1回戦敗退 | 首位 |
名古屋軍 | 首位 | 準決勝敗退(シード) | 敗者復活後敗退 |
東京セネタース | 決勝敗退 | 決勝敗退 | 準決勝敗退 |
阪急軍 | 準決勝敗退 | 首位 | 決勝敗退 |
大東京軍 | 敗者復活戦敗退 | 1回戦敗退 | 敗者復活戦敗退 |
名古屋金鯱軍 | 敗者復活後敗退 | 準決勝敗退 | 準決勝敗退 |
球団 | リーグ戦 | トーナメント戦 | リーグ戦 | 勝ち点 | |||
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大阪大会 | 名古屋大会 | 大阪大会 | 東京大会 | 大阪大会 | 東京大会 | ||
勝(引)敗 | 成績 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | |||
東京巨人軍 | 5(0)1 | 1回戦敗退 | 首位(シード) | 4(0)2 | 5(0)1 | 2(0)4 | 2.5 |
大阪タイガース | 4(0)2 | 首位 | 準決勝敗退 | 5(0)1 | 5(0)1 | 5(0)1 | 2.5 |
名古屋軍 | 3(0)3 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | 5(0)1 | 2(0)4 | 2(0)4 | 0.5 |
東京セネタース | 2(0)4 | 決勝敗退 | 1回戦敗退 | 3(0)3 | 2(0)4 | 3(0)3 | 0 |
阪急軍 | 3(1)2 | 準決勝敗退 | 決勝敗退 | 2(0)4 | 3(0)3 | 5(0)1 | 0.5 |
大東京軍 | 2(1)3 | 準決勝敗退(シード) | 1回戦敗退 | 0(0)6 | 0(0)6 | 3(0)3 | 0 |
名古屋金鯱軍 | 1(0)5 | 1回戦敗退 | 準決勝敗退 | 2(0)4 | 4(0)2 | 1(0)5 | 0 |
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 3月19日 - 新愛知新聞社本社講堂で公式応援団の発会式が行われ、その席上で本社学芸部長の古田昴生が作詞した「名古屋軍応援歌」が発表される[4]。「NPB最古の球団歌」とされることが多い「大阪タイガースの歌」が甲子園ホテルで発表・初演奏されたのは3月25日のため、この「名古屋軍応援歌」の方が1週間ほど先んじていたことになるが楽譜は発見されておらず、中日ドラゴンズの球団史(三十年史・70年史)でも取り上げられていない。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
中根之 | 首位打者 | .376 | 初受賞 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1936年春 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “年度別成績 1936年秋 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
- ^ 『中日ドラゴンズ三十年史』(中日新聞社、1965年), p112 NCID BN12969077
- ^ “【プロ野球】応援歌の元祖は中日だった?”. mimi-yori (アンサンヒーロー). (2020年4月2日) 2022年11月15日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 107
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
日本野球連盟 | ||||
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優勝 | 東京巨人軍 | 大阪タイガース | 名古屋軍 | 東京セネタース |
阪急軍 | 大東京軍 | 名古屋金鯱軍 |