1977年の中日ドラゴンズ(1977ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1977年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、与那嶺要監督の6年目のシーズンである。
6年ぶりのBクラスに終わった前年からの巻き返しを図るべく、チームは現役大リーガーのウィリー・デービスを獲得。また前年パ・リーグ覇者の阪急とは主力選手の大型トレードを行い、稲葉光雄・島谷金二を放出して新たに森本潔と戸田善紀を獲得した。投手陣ではエースの星野仙一や松本幸行、三沢淳がローテを守り、守護神には鈴木孝政が控えるなど1974年の優勝メンバーは健在だった。打撃陣でも大ベテラン高木守道や木俣達彦をはじめ、この年レギュラー復帰の大島康徳、4番のジーン・マーチンなどが打線の中心となり、また谷木恭平や藤波行雄が代打として控えるなど戦力層が厚いチームはAクラス候補にあげられたが、開幕の巨人戦は人工芝恐怖症がたたって敗戦するとそれ以降は黒星を重ね前半戦を5位で終了。チームは9月以降不振の阪神に代わって3位に浮上すると閉幕まで守り切り、10月に8勝3敗と勝ち越して借金を返済したが優勝の巨人には15.5ゲーム差をつけられた。投手陣は星野・鈴木がチームトップの18勝をあげたが、この2人以外に2ケタ勝利をあげた投手はおらずチーム防御率は4.38のリーグ3位に終わった。打撃陣では大島・マーチン・木俣などが例年通りの活躍を見せチーム本塁打は176本を記録するも、得点が巨人と70点差の5位に終わり、リーグ2位の105併殺打を記録するなど拙攻が目立った。新外国人のデービスは8月2日の広島戦で外野フェンスに激突して後半戦を棒に振るが、皮肉にも後半から勝ちだしたため中日はデービス放出を決定し、わずか1年でクラウンに放出された。シーズン終了後、与那嶺監督の勇退と中利夫打撃コーチの監督就任が発表された。
1977年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 阪神 | 3.5 | 阪神 | 4.5 | ヤクルト | 5.0 | ヤクルト | 7.5 | ヤクルト | 12.0 | ヤクルト | 13.0 | ヤクルト | 15.0 |
3位 | 大洋 | 4.5 | 大洋 | 6.0 | 阪神 | 5.5 | 阪神 | 7.5 | 阪神 | 15.5 | 中日 | 17.5 | 中日 | 15.5 |
4位 | ヤクルト | ヤクルト | 7.0 | 大洋 | 8.5 | 大洋 | 11.0 | 中日 | 16.0 | 阪神 | 21.0 | 阪神 | 21.0 |
5位 | 中日 | 8.5 | 中日 | 9.0 | 中日 | 12.5 | 中日 | 16.0 | 大洋 | 18.0 | 大洋 | 22.0 | 広島 | 25.0 |
6位 | 広島 | 9.0 | 広島 | 9.5 | 広島 | 13.5 | 広島 | 18.0 | 広島 | 19.5 | 広島 | 25.5 | 大洋 | 25.5 |
[1]
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[2]
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |