1967年NFLチャンピオンシップゲーム
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開催日 | 1967年12月31日 | ||||||||||||||||||||||||
スタジアム | ランボー・フィールド | ||||||||||||||||||||||||
開催地 | ウィスコンシン州グリーンベイ | ||||||||||||||||||||||||
審判 | ノーム・シャクター | ||||||||||||||||||||||||
入場者数 | 50,861 | ||||||||||||||||||||||||
ネットワーク | CBS | ||||||||||||||||||||||||
実況と解説 | レイ・スコット、ジャック・バック | ||||||||||||||||||||||||
タイムライン | |||||||||||||||||||||||||
前シーズン | 翌シーズン | ||||||||||||||||||||||||
1966 | 1968 |
1967年NFLチャンピオンシップゲーム(1967 NFL Championship Game)は、1967年12月31日にウィスコンシン州グリーンベイのランボー・フィールドで開催された試合。 1967年シーズンのNFLチャンピオンの座をかけて、東カンファレンスのダラス・カウボーイズと西カンファレンスのグリーンベイ・パッカーズが対戦した。
アイスボウルとも呼ばれるこの試合はNFL史上最も困難な気象条件の下で行われたが50,000人以上の観衆で一杯となり[1]試合はグリーンベイ・パッカーズが21-17でダラス・カウボーイズを破り3連覇を達成した[1]。
背景
[編集]試合はウィスコンシン州グリーンベイにあるパッカーズの本拠地、ランボー・フィールドで行われた[1]。気温は氷点下25度[1]、体感温度は氷点下44度であった(2001年より用いられた計算では氷点下38度)。厳しい寒波によりランボー・フィールドの芝の下に埋め込まれたヒーターは作動せず[2]、フィールドを岩のように硬く氷のように滑りやすくした。審判はキックオフ後に舌が凍りそうな寒さのために金属製の笛を使えなくなり肉声でゲームをコントロールした。
ウィスコンシン大学ラクロス校のマーチング・バンドによって試合開始前とハーフタイムにパフォーマンスが行われることになっていたが木管楽器が凍り、管楽器のマウスピースはメンバーの舌に耐え難いほど冷たくなり、演奏は中止になり7人のメンバーが低体温になったため病院に搬送された。
この試合はレイ・スコットとジャック・バックの実況、フランク・ギフォードの解説でCBSによって中継された。
試合
[編集]パッカーズが試合開始早々、バート・スターからボイド・ダウラーへ2本のタッチダウンパスを決めて14-0とリードしたがその後、カウボーイズはパッカーズの2つのターンオーバーから10点をあげた[2]。1つ目はカウボーイズのディフェンスラインマンのウィリー・タウンズがスターをサックしてファンブルを誘ったボールをディフェンシブエンドのジョージ・アンドリーがリカバーし7ヤードのリターンタッチダウンをあげた。続いて第2Q終盤にパッカーズのセイフティ、ウィリー・ウッドがカウボーイズのパントをフェアキャッチシグナルを出したもののファンブルし、カウボーイズの新人ディフェンシブバックのフィル・クラークがボールを敵陣17ヤードで抑えた。パッカーズのディフェンスはTDを阻止したがダニー・ビラヌエバの21ヤードのFGが決まり試合は14-10でハーフタイムを迎えた[2]。
第3Qには両チームともに得点をあげることができなかった。第4Qの最初のプレイでカウボーイズはランニングバックのダン・リーブスがワイドレシーバーのランス・レンツェルへの50ヤードのタッチダウンパスを決めて17-14とリードした[3]。その後パッカーズは同点FGを狙えるところまで前進したがドン・チャンドラーの40ヤードのFGは失敗に終わった。
残り時間4分54秒、自陣32ヤードからの攻撃でスターはダウラーへの13ヤード、ドニー・アンダーソンへの12ヤード、チャック・マーセインへの18ヤードのパスなどを成功させた。その後、マーセインが8ヤードを走りファーストダウンを獲得、敵陣3ヤードまで攻め込んだ。続く2プレイでアンダーソンのランプレイが選択されたがいずれもゴール前1ヤードのところで攻撃が止められ2ndダウンのプレイではアンダーソンは凍ったフィールドに足を取られて転んでしまった。試合時間残り16秒、第3ダウン残り1ヤードの状況でスターは最後のタイムアウトを取り、サイドラインのヴィンス・ロンバルディと打ち合わせを行った(この時点で気温は氷点下28度まで下がっていた[1]。)。スターは次のプレイでQBスニークを行いたいと主張した[4]。ロンバルディはこれに対してカウボーイズディフェンスは次のプレイをパスと予測しているだろうから有効なプレイだと同意した[5]。スナップを受け取るとスターはセンターのケン・ボウマンとガードのジェリー・クレイマーのリードブロックした後ろからエンドゾーンに飛び込みタッチダウンをあげて[6]21-17と逆転に成功した。残り時間わずかでカウボーイズはボールを前進させることはできず、パッカーズが3年連続NFLチャンピオンとなった。
なおこの試合でバート・スターは8回もサックされた。
その後
[編集]パッカーズは第2回スーパーボウルでAFLチャンピオンのオークランド・レイダースを容易に破った。当時はNFLチャンピオンシップゲームに比べてAFL-NFLワールドチャンピオンシップゲームは重要視されていなかった。パッカーズを7シーズンで5度目のNFLチャンピオンにしたロンバルディはヘッドコーチを退いた。翌年パッカーズは高齢化した選手、故障者などにより負け越し、およそ30年後、1990年代に入りブレット・ファーヴの入団までパッカーズの栄光の時代は終わりを告げた。カウボーイズは1970年代に2度スーパーボウルを制してリーグを代表するチームとなったがQBのドン・メレディスはチャンピオンリングを獲得することはなく現役を引退し、マンデーナイトフットボールの解説者となり選手時代よりも有名になった。この試合はNFLチャンピオンシップゲームがスーパーボウルよりも重要な試合だと考えられた最後の年となった(翌シーズンの第3回スーパーボウルではジョー・ネイマスに率いられたAFLのニューヨーク・ジェッツがボルチモア・コルツを破った。)。ランボー・フィールドはNFLフィルムズのハイライトシーンで"The Frozen Tundra"(凍ったツンドラ)というニックネームを与えられた。
このゲームの両チームの関係者の内、カウボーイズのテックス・シュラム(GM)、トム・ランドリー(ヘッドコーチ)、ボブ・リリー(ディフェンシブラインマン)、メル・レンフロ(ディフェンシブバック)、レイフィールド・ライト(オフェンシブラインマン)、そしてパッカーズのヴィンス・ロンバルディ(ヘッドコーチ)、バート・スター(クォーターバック)、フォレスト・グレッグ(オフェンシブラインマン)、ウィリー・デービス(ディフェンシブエンド)、レイ・ニチキ(ラインバッカー)、ヘンリー・ジョーダン(ディフェンシブラインマン)と多くのプロフットボール殿堂入りを果たした人物がいる。
参考文献
[編集]- Cameron, Steve. (1993). The Packers!. Dallas, TX: Taylor Publishing. ISBN 0-87833-048-8
- Gruver, Ed. (1997). The Ice Bowl: The Cold Truth About Football's Most Unforgettable Game. Ithaca, NY: McBooks Press. ISBN 0-935526-38-2
- Kramer, Jerry. (1968). Instant Replay: The Green Bay Diary of Jerry Kramer. New York, NY: World Publishing. ISBN 0-385-51745-9
- Maraniss, David. (1999). When Pride Still Mattered: A Life of Vince Lombardi. New York, NY: Simon & Schuster. ISBN 0-684-84418-4
- Shropshire, Mike. (1997). The Ice Bowl. New York, NY: Donald I. Fine Books. ISBN 1-55611-532-6
脚注
[編集]- ^ a b c d e “History: The Ice Bowl”. プロフットボール殿堂. 2010年2月7日閲覧。
- ^ a b c “"The Ice Bowl"”. PACKER ZONE. 2010年2月7日閲覧。
- ^ “ESPN's list of greatest NFL games, includes the Ice Bowl”. ESPN (1999年12月27日). 2010年2月7日閲覧。
- ^ VHS 『グレーテスト・タッチダウン ベスト100』(Number)
- ^ パス成功ならば逆転、不成功でも時計が止まり同点FGでオーバータイムに持ち込むか逆転TDを狙う時間が残るため。
- ^ Top Ten Clutch QBs: Bart Starr nfl.com
関連項目
[編集]- フローズンボウル - 1982年1月10日のAFCチャンピオンシップゲーム、シンシナティ・ベンガルズとサンディエゴ・チャージャーズが気温氷点下23度、体感温度氷点下51度の下対戦した試合。
- スノープローゲーム - 1982年12月12日、吹雪のシェーファー・スタジアムで行われたニューイングランド・ペイトリオッツとマイアミ・ドルフィンズの試合。両チームスコアレスで進んだ試合終盤の第4Q、ペイトリオッツがFGを狙う前にヘッドコーチのロン・マイアーが雪上車(snowplow;スノープロー)でキック地点を除雪するよう指示し、除雪が行われた。その後行われたキックが成功し、ペイトリオッツが3-0で勝利した。ドルフィンズのヘッドコーチドン・シュラの雪上車使用に関する抗議に対し、NFLコミッショナーのピート・ロゼールも不公平であることを認め、翌シーズンより、試合中の雪上車使用が禁止されることとなった。
- マッドボウル - 1983年1月23日のAFCチャンピオンシップゲーム、マイアミ・オレンジボウルで行われたマイアミ・ドルフィンズとニューヨーク・ジェッツの試合。試合開始前に大雨が降りぬかるんだフィールドでドルフィンズがジェッツを破った。試合終了後にジェッツはドルフィンズのヘッドコーチ、ドン・シュラが、ジェッツのパワーランをドルフィンズのキラーBディフェンスで封じるため、雨が降ったのに意図的にフィールドにカバーをしなかったのではないかと抗議した。
- フォッグボウル - 1988年12月31日にソルジャー・フィールドで行われたシカゴ・ベアーズとフィラデルフィア・イーグルスの試合。第2Q以降、視界が15ヤードから20ヤードに制限された。テレビ、ラジオ中継のアナウンサーもフィールド上で何が起きているかわからないほどであった。