イースタン・リーグ

イースタン・リーグ
競技プロ野球
開始年1955年
参加チーム8
日本の旗 日本
前回優勝横浜DeNAベイスターズ(42年ぶり4回目)
最多優勝読売ジャイアンツ(28回)

イースタン・リーグEastern League)は、日本プロ野球のファーム(二軍)リーグの一つ。略称イ・リーグ。リーグ運営はセントラル・リーグが行う。

球団一覧

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地域 チーム名 略称 本拠地球場所在地 創設
年度
参加
年度
備考
東北 東北楽天ゴールデンイーグルス
Tohoku Rakuten Golden Eagles
楽天 宮城県仙台市泉区
楽天イーグルス泉練習場
2005年 2005年
関東 北海道日本ハムファイターズ
Hokkaido Nippon-Ham Fighters
日本ハム 千葉県鎌ケ谷市
ファイターズ鎌ケ谷スタジアム
1948年 1955年 1955年は「東映チックフライヤーズ」
1961年 - 1972年は「東映フライヤーズ」
1973年は「日拓ホームフライヤーズ」
1974年 - 2003年は「日本ハムファイターズ」
2004年から現名称
埼玉西武ライオンズ
Saitama Seibu Lions
西武 埼玉県所沢市
西武第二球場
1953年 1979年 1979年 - 2004年は「西武ライオンズ」
2005年 - 2006年は「インボイス」
2007年は「グッドウィル」
2008年から現名称
千葉ロッテマリーンズ
Chiba Lotte Marines
ロッテ 埼玉県さいたま市南区
ロッテ浦和球場
1950年 1955年 1955年は「毎日グリッターオリオンズ」
1961年 - 1963年は「大毎オリオンズ」
1964年 - 1968年は「東京オリオンズ」
1969年 - 1991年は「ロッテオリオンズ」
1992年から現名称
読売ジャイアンツ
Yomiuri Giants
巨人 神奈川県川崎市多摩区
読売ジャイアンツ球場
1949年 1955年 1955年は「読売ジュニアジャイアンツ」
1961年から現名称
東京ヤクルトスワローズ
Tokyo Yakult Swallows
ヤクルト 埼玉県戸田市
ヤクルト戸田球場
1950年 1955年 1955年は「国鉄フレッシュスワローズ」
1961年 - 1965年は「国鉄スワローズ」
1965年途中は「サンケイスワローズ」
1966年 - 1968年は「サンケイアトムズ」
1969年は「アトムズ」
1970年 - 1973年は「ヤクルトアトムズ」
1974年 - 2005年は「ヤクルトスワローズ」
2006年から現名称
横浜DeNAベイスターズ
YOKOHAMA DeNA BAYSTARS
DeNA 神奈川県横須賀市
横須賀スタジアム
1950年 1955年 1955年は「大洋ジュニアホエールズ」
1961年 - 1977年は「大洋ホエールズ」
1978 - 1992年は「横浜大洋ホエールズ」
1993年 - 1999年は「横浜ベイスターズ」
2000年 - 2010年は「湘南シーレックス」
2011年は「横浜ベイスターズ」
2012年から現名称
甲信越 オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ
Oisix Niigata Albirex Baseball Club
オイシックス 新潟県新潟市中央区
新潟県立野球場
2006年 2024年 二軍戦のみ参加

歴史

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第一次イースタン・リーグ

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母体となるセントラル・リーグ二軍による「新日本リーグ」を発展させて、1955年に東日本地区のプロ野球チームによる若手選手育成リーグとして創設された。同年シーズンは読売ジュニアジャイアンツ国鉄フレッシュスワローズ大洋ジュニアホエールズ東映チックフライヤーズ大映ジュニアスターズ毎日グリッターオリオンズトンボBユニオンズが参加した。

1955年のリーグ戦は毎日が優勝し、並行して行われたトーナメント戦は大洋が優勝した。さらにリーグ内の7チームをセントラル・リーグとパシフィック・リーグに分けて、第一回オールスターゲームも行われた。なお新日本リーグ自体は並行して開催されていたが、試合が消化できず中断となった。

しかし、ウエスタン・リーグ(母体となった関西ファーム・リーグとほとんど変わらなかった)に対し、新規参加のチームが多かったイースタン・リーグは興行の方向性や選手不足の問題があり、1956年から1960年まで一時中断を挟んだ[注 1]

第二次イースタン・リーグ

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1961年に読売、国鉄、大洋、東映、大毎の5チームで再開。1979年には埼玉県に本拠地を移した西武ライオンズが参加し6チームに。その後球団数の増減はなかったが、2005年山形県を二軍本拠地(当時)とする東北楽天ゴールデンイーグルスが参加し7チームとなった。

新球団の参加(2024年シーズンより)

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日刊スポーツ[1]、サンケイスポーツ[2]の報道により、2024年度をめどにイースタンリーグへの加盟のみで参加する新球団加盟の動きがあると報じられた。また、産経新聞[3]の報道では、読売ジャイアンツオーナーの山口寿一はこの新規参加球団加盟に積極的な姿勢を持っているとされるが、他球団関係者からは慎重論もあるといわれていた。

報道の翌年、日本野球機構(NPB)がファームのみに参戦する新規球団の公募を実施。2023年7月31日の公募締め切りの時点で、新潟県を本拠とする新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(オイシックス)と栃木県を本拠とするエイジェック静岡県を本拠とするくふうハヤテベンチャーズ静岡(当時の仮名称はハヤテ223)が参入に名乗りを上げ、財務状況や施設面などの審査を行った。結果、ハヤテと新潟が翌2024年シーズンからのリーグ加盟が内定[4]。このうち、新潟がイースタン・リーグに振り分けられることとなり、同年11月22日のオーナー会議で正式に承認された[5]。なお、一軍をもたないこれら球団については、ドラフト会議への参加はできない。逆にこれら球団の選手は、1)元NPB選手は、シーズン中でもNPB球団への移籍が可能。2)その他の選手は、当年秋のドラフトを経て翌年度からNPBへの移籍が可能 となっている[6]

2024年3月16日にオイシックスはイースタン公式戦初戦を迎えた。同21日には公式戦初勝利を挙げている。

試合方式

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2016年度から7球団各カード最大24回戦(1球団最大144試合)にウエスタン・リーグ所属5球団との交流戦(全てのチームとの総当りではない)が開催されている。なお中止による再試合は行わず、各チームの最終的な消化試合数での勝率をもって順位を決定する[7][注 2]

また所属7球団のうち、一軍がパシフィック・リーグに所属しているチーム(日本ハム、楽天、西武、ロッテの4球団)が主催試合を開催する場合、指名打者制度(DH制)が採用される。逆に一軍がセントラル・リーグに所属しているチーム(巨人、ヤクルト、DeNAの3球団)が主催の場合、試合は9人制で行われていたが、2009年度より、セントラル・リーグに所属しているチームの主催試合でもDH制を採用することが可能になった。また、DH制の採用は試合ごと各チームに任される。

延長戦は原則として11回までで引き分け再試合は行わない。また1軍の公式戦がある球場での前座開催の場合と地方球場開催で翌日別の会場に移動して行う場合は9回打ち切りとなる。コールドゲームは雨天・照明のない球場における日没・その他天災などやむをえない場合以外適用されない。

また試合予定が組まれていないチームと日本野球連盟 (JABA)所属の社会人野球チームによるプロ・アマ交流試合、あるいはセミプロの独立リーグのチームとの交流試合も随時開催される。なお、アマチュア・セミプロとの交流戦はほとんどが練習試合として行われており、成績はチーム・個人ともシーズン通算成績には算入されない。

2007年度から「イースタン・リーグ チャレンジ・マッチ」と題した教育リーグが行われる。この大会には、各チームの育成選手などによる「フューチャーズ」というチームと、公式戦の予定がないイースタンリーグ参加各チーム(同年シーズンは移動距離等の問題から、楽天との試合予定はなし)や、社会人チームとの交流試合などを開催する。こちらも対戦相手の参加チームも練習試合と同じ扱いのため、チーム・個人賞の成績には反映されない。

2024年度から、くふうハヤテベンチャーズ静岡のウエスタン参入により、オイシックスを含めた全球団が静岡市清水庵原球場でくふうハヤテと対戦するカードが必ず組まれる。

年度別順位

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年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1955
[注 1][9]
毎日 国鉄 巨人 トンボ 大映 大洋 東映
1956 開催されず
1957 開催されず
1958 開催されず
1959 開催されず
1960 開催されず
1961 巨人・東映[注 3] 大洋 大毎 国鉄
1962 大毎 東映 巨人 国鉄 大洋
1963 大毎 国鉄 巨人 東映 大洋
1964 東京 国鉄 巨人 大洋 東映
1965 巨人 大洋 東京 東映 サンケイ
1966 巨人 東映 東京 大洋 サンケイ
1967 巨人 東映 東京 大洋 サンケイ
1968 大洋 巨人 東映 サンケイ 東京
1969 巨人 ロッテ 大洋 アトムズ 東映
1970 ロッテ 巨人 大洋 ヤクルト 東映
1971 ヤクルト 巨人 ロッテ 大洋 東映
1972 ヤクルト 巨人 大洋 ロッテ 東映
1973 巨人 ヤクルト 日拓 ロッテ 大洋
1974 巨人 大洋 日本ハム ヤクルト ロッテ
1975 大洋 巨人 ヤクルト 日本ハム ロッテ
1976 巨人 ヤクルト 大洋 日本ハム ロッテ
1977 巨人 大洋 ヤクルト 日本ハム ロッテ
1978 巨人 大洋 ロッテ ヤクルト 日本ハム
1979 ヤクルト 巨人 西武 ロッテ 日本ハム 大洋
1980 日本ハム ロッテ ヤクルト 西武 大洋 巨人
1981 西武 ロッテ 巨人 日本ハム ヤクルト 大洋
1982 大洋 ヤクルト ロッテ 西武 巨人 日本ハム
1983 西武 巨人 大洋 ヤクルト ロッテ 日本ハム
1984 西武 巨人 大洋 ロッテ 日本ハム ヤクルト
1985 西武 日本ハム 巨人 ロッテ ヤクルト 大洋
1986 巨人 ロッテ 西武 日本ハム 大洋 ヤクルト
1987 巨人 ヤクルト 大洋 西武 日本ハム ロッテ
1988 巨人 ヤクルト ロッテ 西武 大洋 日本ハム
1989 巨人 西武 大洋 ヤクルト ロッテ 日本ハム
1990 巨人 西武 大洋 ヤクルト ロッテ 日本ハム
1991 巨人 大洋 ロッテ 西武 ヤクルト 日本ハム
1992 巨人 西武 ヤクルト ロッテ 大洋 日本ハム
1993 巨人 ロッテ 日本ハム ヤクルト 西武 横浜
1994 巨人 日本ハム ロッテ ヤクルト 横浜 西武
1995 巨人 西武 ヤクルト 日本ハム 横浜 ロッテ
1996 ロッテ 巨人 西武 日本ハム ヤクルト 横浜
1997 日本ハム 西武 巨人 ヤクルト ロッテ 横浜
1998 ヤクルト 巨人 日本ハム 西武 ロッテ 横浜
1999 日本ハム 巨人 西武 ロッテ 横浜 ヤクルト
2000 巨人 西武 ヤクルト 湘南 ロッテ 日本ハム
2001 西武 巨人 湘南 ヤクルト ロッテ 日本ハム
2002 西武 日本ハム 巨人 湘南 ロッテ ヤクルト
2003 日本ハム 湘南 ヤクルト 巨人 ロッテ 西武
2004 日本ハム 巨人 湘南 ヤクルト ロッテ 西武
2005 ロッテ インボイス 湘南 楽天 日本ハム 巨人 ヤクルト
2006 ロッテ ヤクルト 巨人 楽天 湘南 インボイス 日本ハム
2007 巨人 日本ハム 湘南 ヤクルト 楽天 グッドウィル ロッテ
2008 ヤクルト 巨人 湘南 楽天 西武 ロッテ 日本ハム
2009 巨人 ロッテ 湘南 ヤクルト 日本ハム 西武 楽天
2010 ロッテ 巨人 湘南 楽天 日本ハム ヤクルト 西武
2011 日本ハム 巨人 楽天 ヤクルト 西武 横浜 ロッテ
2012 ロッテ DeNA 楽天 巨人 西武 日本ハム ヤクルト
2013 ヤクルト ロッテ 巨人 DeNA 楽天 西武 日本ハム
2014 ロッテ DeNA ヤクルト 楽天 西武 巨人 日本ハム
2015 巨人 DeNA 西武 ロッテ 楽天 日本ハム ヤクルト
2016 巨人 楽天 西武 ロッテ DeNA 日本ハム ヤクルト
2017 巨人 楽天 ヤクルト ロッテ 西武 日本ハム DeNA
2018 巨人 ヤクルト ロッテ DeNA 楽天 西武 日本ハム
2019 楽天 ロッテ DeNA 巨人 ヤクルト 西武 日本ハム
2020 楽天 DeNA 巨人 ロッテ ヤクルト 日本ハム・西武
2021 ロッテ 巨人 楽天 ヤクルト 日本ハム DeNA 西武
2022 楽天 ロッテ 巨人 ヤクルト 西武 日本ハム DeNA
2023 巨人 楽天 西武 DeNA 日本ハム ヤクルト ロッテ
2024 DeNA 巨人 西武 日本ハム ヤクルト ロッテ 楽天 オイシックス

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 現在の公式記録上では、1955年の情報は扱われていない場合も多い[8]
  2. ^ 2010年までは原則として7チームによる18回総当たり(ホーム&アウェー(ビジター)各9回ずつ)の年間108試合で勝率1位のチームが優勝としていた。その後、2011年から2015年まではイースタン参加7球団の総当り試合数を維持した上でファーム交流戦を行うことになり、各チーム108試合+交流戦開催分の試合を加えた通算の成績(チーム順位はチームごとの試合数が異なるので勝率順、5月に行うみやざきサンシャインシリーズ含む)で争う方式だった。また現行の方式になる前までは、雨天中止となった試合の振替試合がビジター側の本拠地球場で開催されることがあった。
  3. ^ 同率で両球団優勝(巨人は29勝27敗0分の勝率.518、東映は29勝27敗2分の勝率.518)[10]

出典

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参考書籍

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関連項目

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外部リンク

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