吉田簑助
吉田 簑助(よしだ みのすけ)は、人形浄瑠璃の人形遣いの名跡。
さんだいめ よしだ みのすけ 三代目 吉田 簑助 | |
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文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真 | |
生誕 | 平尾 勝義(ひらお かつよし) (1933-08-08) 1933年8月8日 日本・大阪府 |
死没 | (2024-11-07) 2024年11月7日(91歳没) 日本・大阪市 |
国籍 | 日本 |
親 | 桐竹紋太郎(父) |
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三代目 吉田 簑助(さんだいめ よしだ みのすけ、1933年(昭和8年)8月8日 - 2024年(令和6年)11月7日)は、人形浄瑠璃文楽の人形遣い、日本藝術院会員。大阪府生まれ。本名は平尾 勝義(ひらお かつよし)。
来歴・人物
[編集]父は二代目桐竹紋太郎、1940年6月に三代目吉田文五郎に入門し1942年3月に桐竹紋二郎と名乗る。翌年初舞台。1948年8月に二代目桐竹紋十郎門下となる。1961年6月三代目吉田簑助を襲名。1970年に芸術選奨新人賞を受賞。1994年に人間国宝に認定。1996年には紫綬褒章、1997年には芸術院賞を受賞した。1998年に脳出血のため楽屋で倒れたが熱心なリハビリの末、翌年夏の公演で奇跡的にカムバックした。2006年には5度目のフランス公演を行い、2007年にはフランス政府より芸術文化勲章コマンドゥールを受賞した。弟子に三代目桐竹勘十郎がいる。文楽を代表する立女形として有名。2009年、文化功労者。2012年、日本芸術院会員に選ばれる。2021年4月、国立文楽劇場での公演を最後に引退[1]。2023年秋の叙勲に於いて旭日中綬章を受章した[2][3]。
2024年11月7日、大阪市内の病院で死去[4]。91歳没。叙従四位[5]。
著書
[編集]- 吉田簑助、山川静夫『吉田簑助と山川静夫花舞台へ帰ってきた。-脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録』淡交社、2007年。ISBN 978-4473033789。
- 吉田簑助『頭巾かぶって五十年-文楽に生きて』淡交社、1991年。ISBN 978-4473012005。
その他
[編集]ドキュメンタリー
[編集]脚注
[編集][脚注の使い方]
出典
[編集]- ^ 同月公演の『国性爺合戦』の錦祥女役を最終日の4月25日まで務める予定であったが、25日の公演が緊急事態宣言により中止となったため、前日24日が最後の出演になった。
- ^ “旭日大綬章に片山虎之助氏 三浦友和さん、久石譲さんに小綬章―秋の叙勲”. 時事通信. (2023年11月3日). https://www.jiji.com/amp/article?k=2023110300161 2023年11月3日閲覧。
- ^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日
- ^ “吉田簑助さん死去、91歳 文楽人形遣い、人間国宝”. 時事ドットコム (2024年11月8日). 2024年11月8日閲覧。
- ^ 『官報』第1368号、令和6年12月16日
- ^ “人形遣い 吉田簑助 文楽の女にささげた81年”. NHK (2021年7月23日). 2021年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月25日閲覧。
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
毎日芸術賞受賞者 | |
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