大井成元
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大井 成元 | |
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生誕 | 1863年10月22日 山口県 |
死没 | 1951年7月15日(87歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1883 - 1923 |
最終階級 | 大将 |
指揮 | 軍事参議官 浦塩派遣軍司令官 第12師団長 第8師団長 近衛歩兵第2旅団長 歩兵第19旅団長 |
戦闘 | シベリア出兵 |
除隊後 | 貴族院議員 |
大井 成元(おおい しげもと、文久3年9月10日(1863年10月22日) - 1951年(昭和26年)7月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将従二位勲一等功一級男爵。旧名菊太郎。
経歴
[編集]- 1863年 山口県出身。大井又平の三男として生まれる。
- 1881年1月 陸軍士官学校に入校。
- 1883年12月25日 卒業[1]。歩兵少尉[1]、歩兵第14連隊第2大隊付。
- 1883年6月 歩兵第23連隊第1大隊小隊長
- 1886年1月 陸軍大学校(4期)に入校。
- 1887年4月 歩兵中尉
- 1888年11月 陸軍大学校を卒業。
- 1889年12月 参謀本部出仕
- 1890年2月 ドイツ留学。プロイセン歩兵第113連隊に配属。
- 1893年12月 歩兵大尉
- 1895年2月 帰国
- 1896年1月 陸軍大学校教官
- 5月 参謀本部第3部員兼陸軍大学校教官
- 10月 参謀本部第3部員を免職。
- 1897年10月、監軍部副官心得を兼務。
- 1898年4月、陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官心得
- 10月 陸軍少佐、陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官。
- 1900年5月 陸軍省総務局機密課長代理を兼務。
- 1902年5月 ドイツ公使館附
- 1903年2月 参謀本部附、歩兵中佐。
- 1905年3月 歩兵大佐
- 1906年8月 陸軍省軍務局軍事課長
- 1909年1月 陸軍少将、歩兵第19旅団長。
- 1911年3月 近衛歩兵第2旅団長
- 1912年11月 陸軍大学校長
- 1913年11月25日 - 成元に改名[2]。
- 1914年5月 陸軍中将、第8師団長
- 1918年7月 第12師団長、シベリア出兵に従軍。
- 1919年8月 浦塩派遣軍司令官。11月、陸軍大将。
- 1920年7月 帰国
- 1921年1月 軍事参議官
- 4月 男爵
- 1923年3月 待命。予備役。
- 1924年3月15日 貴族院議員[3]
- 4月 恢弘会会長に就任。
- 1929年4月 後備役
- 1933年4月、退役
- 1940年2月、内閣参議を務める
- 8月 免職
- 1946年3月13日 貴族院議員辞任[4]
- 1951年7月、死去。墓所は東京都の多磨霊園、法名は、成満院釋元忠。
- 1952年3月、追放解除[7]
栄典
[編集]- 位階
- 1884年(明治17年)2月9日 - 正八位[8]
- 1889年(明治22年)7月15日 - 従七位[8][9]
- 1893年(明治26年)12月27日 - 正七位[8][10]
- 1898年(明治31年)10月31日 - 従六位[8][11]
- 1903年(明治36年)5月20日 - 正六位[8][12]
- 1905年(明治38年)4月7日 - 従五位[8][13]
- 1909年(明治42年)4月20日 - 正五位[8][14]
- 1914年(大正3年)4月30日 - 従四位[8][15]
- 1916年(大正5年)5月20日 - 正四位[8][16]
- 1919年(大正8年)6月10日 - 従三位[8][17]
- 1922年(大正11年)6月30日 - 正三位[8][18]
- 1923年(大正12年)4月30日 - 従二位[19]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[20]
- 1896年(明治29年)4月11日 - 功五級金鵄勲章・勲六等瑞宝章[21]
- 1909年(明治42年)4月18日 - 皇太子渡韓記念章[22]
- 1914年(大正3年)11月30日 - 勲二等瑞宝章[23]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[24]
- 1919年(大正8年)10月25日 - 勲一等瑞宝章[25]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 旭日大綬章・功一級金鵄勲章・大正三年乃至九年戦役従軍記章[26]・戦捷記章[27]
- 1921年(大正10年)4月18日 - 男爵[8][26]
- 1932年(昭和7年)1月14日 - 御紋付銀杯[28]
- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ a b 『官報』第151号、明治16年12月27日。
- ^ 『官報』第418号、大正2年12月18日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。
- ^ 『朝日新聞』1946年9月26日一面。
- ^ 『歴代陸軍大将全覧(大正編)』180頁
- ^ 『毎日新聞』1952年3月4日夕刊一面。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「陸軍大将秋山好古外二名特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113166400
- ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
- ^ 『官報』第3151号「叙任及辞令」1893年12月28日。
- ^ 『官報』第4603号「敍任及辞令」1898年11月1日。
- ^ 『官報』第5963号「叙任及辞令」1903年5月21日。
- ^ 『官報』第6531号「叙任及辞令」1905年4月12日。
- ^ 『官報』第7743号「叙任及辞令」1909年4月21日。
- ^ 『官報』第525号「叙任及辞令」1914年5月1日。
- ^ 『官報』第1140号「叙任及辞令」1916年5月22日。
- ^ 『官報』第2055号「叙任及辞令」1919年6月11日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1922年7月1日。
- ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
- ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1896年4月23日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
- ^ 『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第2169号「叙任及辞令」1919年10月27日。
- ^ a b 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
- ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
- ^ 『官報』第1510号「宮廷録事-恩賜」1932年1月15日。
- ^ 『官報』第6515号「叙任及辞令」1905年3月23日。
- ^ 『官報』第29号「叙任及辞令」1927年2月3日。
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 | 男爵 大井(成元)家初代 1921年 - 1947年 | 次代 華族制度廃止 |