島津 忠兼(しまづ ただかね)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。播磨国下揖保荘地頭。
元弘3(1333)年4月27日、足利高氏(尊氏)より後醍醐天皇の勅命を伝えられ、元弘の乱に参戦した。後に尊氏と共に建武政権から離反して畿内各地を転戦し、観応の擾乱でも尊氏党に与し活躍。歴戦の武功により播磨布施郷・甲斐国花崎郷・相模国山内荘・同岩瀬郷等を領有する。
忠兼の奮戦は『越前島津家文書』(国立歴史民俗博物館蔵、国の重要文化財)に詳しい。同文書には忠兼ら尊氏の馬廻衆と推定される53名からなる一揆契状が収録されており、特に貴重な史料とされている。
- 国立歴史民俗博物館編『中世の武家文書』(全国書誌番号91069347・1989年)
- 杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』(全国書誌番号21733580・1997年、増訂版2010年)
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宗家 | 忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂 |
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総州家 | 師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶 |
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奥州家 | 氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在 |
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 | 久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続 |
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薩州家 | 用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶 |
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 | 久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在 |
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加治木家 | |
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佐土原家 | 忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在 |
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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