島津 忠秀(しまづ ただひで)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将・歌人。宇宿氏、宇留氏、信濃島津氏赤沼家の祖。
信濃国赤沼郷に地頭職を有し、諏訪大社の御射山祭の頭役も務めた。元弘3年(1333年)5月7日、足利高氏が六波羅探題を攻撃した際には、六波羅探題方の将として太政官庁・神泉苑周辺を守る(『太平記』巻第九)。六波羅探題滅亡後は室町幕府に帰順したと考えられ、康永4年(1345年)、天龍寺供養の際に導師夢窓疎石の天蓋の執綱を務めた「島津常陸前司」(『同』巻第二十四)も忠秀と考えられる(杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』第6章)。
祖父・島津忠景、父・忠宗と同じく和歌の才に恵まれ、『続千載和歌集』、『続後拾遺和歌集』に入集。『武家百人一首』にも採歌されている。
- いにしへの 野中の清水くまねども 思ひ出てぞ袖ぬらしける (『続千載和歌集』雑下・『武家百人一首』)
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宗家 | 忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂 |
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総州家 | 師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶 |
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奥州家 | 氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在 |
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 | 久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続 |
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薩州家 | 用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶 |
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 | 久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在 |
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加治木家 | |
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佐土原家 | 忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在 |
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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